第12話 ラノベ的一人称について

 このエッセィはひとまず終了──と書きましたが、小説の人称や視点に関する作品を読ませていただいて、「そうだ、一人称について書き忘れていた」と思い出しました。

 おまけの章として書かせていただきます。(2024.1.20 おまけを改めて第12話にしました)



 最近、一人称の小説がとても増えたと感じています。

 定義を一応書いておくと、一人称の小説というのは、ひとりの人物が物語を読者に語っている作品のこと。

「ぼく」や「わたし」といった主語の文章で書き進められます。


 この書き方は昔からあって、日本の近代小説のジャンルである「私小説」には一人称で書かれているものが多いし、ミステリーなんかも一人称の作品が多く見られます。(有名どころは「シャーロック・ホームズ」シリーズ。ワトソン博士の語りで物語が進行します)


 ただ、現在のライト系ノベルで見られる「若者が(若者とも限らないけれど)」「普段の口調そのままで」「一人称で語っていく」小説は、SF作家の新井素子氏が高校生のときに書いたデビュー作『あたしの中の……』が皮切りだったと思います。

 彼女が入選デビューしたのが1977年のことですから、もう半世紀も前のことになります。

 後に、新井素子氏は「ライトノベルの草分け的存在」と言われました。

 この形の一人称をここでは「ラノベ的一人称」とします。


 ラノベ的一人称の一番良いところは、とにかく書きやすいこと。そして、同年代の読者に読みやすいこと。

 なにしろ普段の会話で使っていることばを、そのまま小説の地の文(説明の部分の文章)にも、もちろん会話にも使えるわけですから。


 小説を書いていると、「あれっ、このことを言い表すのにどういうことばを使えばいいんだっけ?」と悩むことがよくあります。

 でも、ラノベ的一人称はそれもクリアしてしまいます。

 自分が知っていることばで書けばいいだけだし、自分のボキャブラリーにそれに相当することばがないときにも、「なんかいきなり、うっさい音? 破裂した音? そんな感じのに鼓膜をぶったたかれた。キーンと耳鳴り……」なんて感じに、自分自身の感覚で表現することができます。


 読者の側も、友だちの会話を聞いているような感覚で読んでいるので、そのあたりはなんとなくフワッと理解してくれます。

 普段の会話って、けっこうそういうものですよね。

 ただ、読者の理解だけを期待して、作者が自分のボキャブラリーを育てる努力をしないと、「雰囲気はわかる気がするけど、具体的になにが起きてるのかわからん」と言われて、だんだん読者が離れていくんじゃないかな、とは思います。


 ちなみに、第7話「異世界転生というテンプレを考える」で取り上げた異世界転生と、このラノベ的一人称は、相性最高だと私は思っています。

 転生して異世界にポンと放り込まれて、右往左往しながら少しずつその世界に慣れていく様子を、転生した主人公自身のことばで描いていく。

 世界の描写は主人公の視点から見たものになるし、主人公のとまどいや驚きもそのまま文章化されるから、読者は主人公に共感して読むことができます。

 だから、転生ものはラノベ的一人称が圧倒的に多いのでしょうね。


 一方、ラノベ的一人称の難点は、どうしても作品の視野が狭くなること。

 異世界転生の場合は、異世界ならではの世界や社会の仕組みがあるはずなんですが、主人公が見たり聞いたり体験したりしたことしか、小説に書くことができません。

 ひとりの人間が経験できることには限りがあるから、どうしても描ける世界が狭くなります。

 ただ、これをうまく使うと、主人公の意識していないところで物事が動いていって、ある瞬間にそれがわかって、主人公も読者もびっくり仰天、なんて効果を生むこともできます。


 どうしても感情がらみの文章になりやすいのも、難点と言えば難点です。

 主人公の目を通した作品だから、主人公の感情は読者にダダ漏れです。

 世界や事実を淡々と語る作品にしたかったら、主人公を「淡々と語れる冷静な人物」に設定する必要があるでしょう。


 私は『勇者フルート』の物語を、一人称ではなく三人称で書きました。

 もちろん一人称の小説は書けるし、短編には一人称の作品がいくつもあります。

 ただ『フルート』シリーズでそれをやらなかったのは、主人公のフルートが「他人に知らせず自分だけでことを進めようとするキャラクター」だったからです。


 彼がやろうとすることはたいてい「いこと」なので、謙虚で思いやりがある優等生タイプということになるのですが、仲間たちからは「水くさい」「もっと自分たちに相談しろ」と言われます。

「ひとりだけでやろうとして危なっかしい!」と叱られることもしょっちゅうです。


 優しい優等生は、それだけでもう問題なしなのか?

 優しいとか謙虚とかいうことは、本当に何よりすばらしいこと?

 そんなことも作品の中で掘り下げていきたかったので、主人公の考えがストレートに伝わってしまう一人称では書けなかったのです。


 作品を一人称で書くか、三人称で書くか。

 結局、それは作品の内容に合わせる、ということになるのかな、と思います。



 ラノベ的一人称についてはここまで。

 また何か書きたいことが出てきたら、おまけで書くので、このエッセィは「完結」にしないでおきます。

 それでは……。


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