第20話 推薦状
例の模擬試合の後、ダライは本人の意思により高位の司祭による
「お前、実はやべー奴なんじゃないかって噂になってんだよ」
ダライが不在になってから、シャムスはロドニーとマーカスに話しかけられるようになった。以前、食堂でダライ達に襲われていた同期の新兵2人組である。彼らは故郷が同じで、幼馴染だという。
午後の訓練が終了し、訓練場で自分の鎧の手入れをしていたシャムスは、顔を上げて周囲に視線を向けた。すると同じ訓練場にいる他の新兵達の何人かと目が合い、逸らされる。ダライを圧倒的な力でねじ伏せたせいで畏怖の対象になっているのだ。
「お前、無口だし、無表情だし……何考えてるのか分からないっていうか……」
ロドニーは思っていることを素直に口にしてしまう性分である。そのせいでダライに目をつけられたのだが、シャムスはそれを不快に思ったことがないので、彼らを遠ざけることはしない。
そもそも、騎士団には計画のために潜入しており、その為に不必要な関わりは避けて心を閉ざしている。周囲から恐れられても無理はない。シャムスは再び、鎧を拭く作業を再開した。
「……育ちが悪いからな」
「コーズリー村ってそんなに怖いところなのか?」
「いや、……」
シャムスが返事に困っていると誰かが肩を叩いた。ケインだ。
「へディー、少し練習に付き合ってくれ」
「お前達まだ自主練するのかぁ?真面目だなぁ……」
腹を空かせたマーカスはロドニーと共に先に訓練場を去っていった。
シャムスはケインの誘いを断る理由がなかったので、彼に付き合って剣を打ち合うことにした。
「お前はどうして騎士になろうと思ったんだ」
ケインにそう尋ねられたが、もちろん本当のことは言えない。聖典を盗むことはタリーフの願いであり、それは奪われたグルデシェールを取り戻す手段になると信じている。全ては、国の平和のため。
「……故郷を守るためだ」
「そうか、立派だな。俺と少し似ている」
「ケインはどうなんだ」
「俺は家族を養うためだ。どうせ金を稼ぐなら、人の為になることがしたいと思っている。強くなければ家族の、弟達の生活を守れないからな」
地位や名誉ではなく、家族のため。シャムスは故郷の村に残してきている妹や祖父を思い出した。同じなのだ、彼も。
「意外だ。お前は自分の筋肉のことしか考えていない変な奴だと思っていた」
ケインは笑った。
「人のことは言えないだろう、お前もだいぶ変わっているぞ」
練習を続けていると、訓練場に血相を変えた副教官騎士が飛び込んできて、シャムスを呼んだ。
「ヘディー!少しまずいことになったぞ……」
自主練を中断し、ケインと別れたシャムスは副教官に連れられるまま、ヴァルター教官がいる教官室ではなく騎士団総帥がいる総本部に向かった。総本部は、士官クラスの騎士が常駐する場所であり騎士団そのものを運営する機関だ。一般兵がいる兵舎とは違い荘厳としている。
シャムスは案内された部屋に入り、副教官と共に敬礼する。
「閣下、連れて参りました」
室内には、執務机に座る騎士団総帥がいる。机を挟んだ両脇にヴァルター教官、そしてダライと彼の父親であるアンリカイン男爵がいた。シャムスは来る途中で副教官から事情を聞いていたので、この状況を見ても驚かない。アンリカイン男爵が、模擬試合で息子を侮辱されたとして騎士団総本部に直談判しにきたのである。
アンリカイン男爵はシャムスの姿を蔑むようにジロリと観察した後、持っていたステッキの先端をシャムスに向けた。
「この者が神聖な模擬試合で不正をし、我が息子を不当に侮辱した挙句、一方的に痛めつけたそうではないか」
このように、兵士の父兄が騎士団総帥に直談判をし、それが認められるのは例外中の例外である。それはアンリカイン男爵よりも影響力のある有力貴族が、男爵に協力して騎士団に圧をかけているという状況に他ならない。騎士団総帥は、騎士団の最高司令官ではあるがその席は“女神教評議会“によって用意される。だから保身の為には、自ずと有力貴族の機嫌を取らなければならないのだ。
総帥は難しい顔でヴァルター教官に尋ねた。
「いかがか、ヴァルター教官」
「模擬試合は我々教官騎士達の監視のもと、公平に行われました。試合内容に不自然な点はなく、規則の違反行為は認められておりません」
教官ははっきりと言ってのけた。
「ヴァルター教官は先の聖典戦争で武勲をあげ、その後10年に渡り新兵育成に携わる教官騎士として勤めて信頼に値する騎士です。彼の言うことに間違いはないでしょう」
「ですが、総帥。証拠があるのです。入れ」
扉が開いて、一人の新兵が入ってきた。シャムス達の同期であり、ダライに従っている兵士だという事は分かるが、顔を知っているだけで一度も話したことがない。
「彼は試合の前日、ヘディーという男に“強壮薬”を頼まれて売ったと自供しております」
「何だと?それは本当か。嘘であるなら厳罰は免れぬぞ」
「本当です閣下」
新兵は真っ直ぐに前を向いたまま発言した。その声は揺らぐことなく、固い決意を感じられる。
馬鹿馬鹿しい、とシャムスは思わずにはいられなかった。男爵は息子の立場を守るために、証拠の捏造までやってのけるのだ。模擬試合の優勝にはそれほどの価値がある。
強壮薬とは一時的に体力や筋力を増幅させ攻撃力を高める力がある薬だ。試合において、いかなる薬物の使用も認められていない。試合前には不正がないか調査される。
「薬物の検査にも問題はなかったと断言できます」
教官は徹底してシャムスを庇う姿勢である。アンリカイン男爵はそれが気に入らないのか、刺々しく噛みついた。
「その者は普段大人しいという評判の割りに、試合では攻撃的だったそうではないか。強壮薬を飲んだ証拠になるのではないか」
「それは私が、」
「貴方が檄を飛ばして奴に命令したとでも仰るのか」
「……!」
揚げ足取りに優れているとはこの事だろう。隙があれば教官の立場まで崩そうとしているのだ。
薬を飲んだという確実な証拠もなければ、飲んでいないという証明もできない。実際にやったかやっていないかの事実確認はどうでもよく、男爵はこの状況に持ち込めれば良かったのだ。そうすればこの場を取り仕切る総帥の立場上、疑わしきは罰する他ない。
「ヘディー、何か申し開きはあるか」
「……俺は不正をしていないと女神と父母に誓います。薬を使わず実力でダライに勝利したと、いつでも証明できる。この場でもう一度勝負をしても構いません」
「……くっ!」
ダライはあからさまに表情を歪めた。シャムスに敵わないと身にしみて理解しているのだ。この場で勝負をして大敗をすれば、それこそ父親の前で大恥をかくことになるだろう。
総帥はシャムスの言葉に大きく頷いた。結局のところ、実力が物を言う世界である。
「それなら我々の監視の元、もう一度試合をする事を特別に認めよう。男爵の御子息が勝利すればヘディーの不正を厳罰に処し懲戒処分とする。しかし、彼が勝利した場合は……分かっておるな」
総帥は後から来た新兵を真っ直ぐに見据えた。虚偽の告発をした者も処罰は免れない。新兵はみるみるうちに青ざめて男爵の方を見た。アンリカイン男爵はその視線を拒むようにしてダライの方を見る。
「どうなんだ、ダライ。できるな?」
「……っ、……」
ダライはあからさまに震えた。彼らが一体どのような経緯を経て直談判をするに至ったか、シャムスには知る由もないが、彼が周囲を巻き込み自分自身で不利な状況を招いた事は誰の目からしても明白であった。
「しゃっ謝罪を要求する……!」
ダライはシャムスを指さして叫んだ。隣にいた男爵は、我が子の動転した言動についに額を押さえる。
シャムスは冷静に答えた。
「一体何のだ。実力でお前に勝った事への謝罪か」
「ふっ不正をして勝った事への謝罪だ!俺を侮辱しただろ!」
「だから、その謝罪をかけてお前ともう一度勝負をするという話ではないのか」
「もうよいッ!」
アンリカイン男爵は持っていたステッキで床を叩いた。ダライはびくり、と肩を震わせて唇を噛む。
「総帥、どうやら私も愚息も、強壮薬を売ったというあの者の虚言に騙されていたようだ。処罰を要求します」
その言葉に、虚偽の告発をした新兵は目を見開いた。
「なっ男爵様!?話が違うではありませんか……っ?!」
「……ヴァルター教官、彼を連れて行け」
「……承知しました」
「まっ待てください!そんな……!!」
総帥に命令され、新兵はヴァルター教官と副教官に引きずられながら部屋を出ていった。
彼は男爵から金を貰う代わりにシャムスを告発し、薬物を持ち込んだ罪による謹慎処分のみで済むはずが、男爵に切り捨てられ何も得られないま重い処分を課せられるだろう。総帥の目の前で人を陥れる罪を堂々と犯した以上はヴァルター教官も庇いきれない。
結局、金で権力者に利用され、この件の落とし所として利用されてしまったのだ。
「我々はこれで失礼する」
アンリカイン男爵親子が去った直後、総帥は大きなため息をついた。
「随分とヴァルターに目をかけてもらっているようだな」
シャムスが総帥を見ると、彼は肩の荷が降りたかのように頬杖をついてひどく疲れた表情をしている。
「ヴァルターが一人の新兵にこうも気にかけている姿を見るのは初めてだ。お前も、恩を感じるならば実力をひけらかすのはやめて自重に徹する事だ。ほら、さっさと下がれ」
しっし、と追い払われたので、シャムスは改めて敬礼をして部屋を後にした。兵舎へ戻る渡り廊下と出入り口へ続く廊下の分かれ道に差し掛かった時、アンリカイン男爵の怒鳴り声が響いてきた。シャムスは咄嗟に柱の影に隠れる。
「いつまで経っても啓示を授からない上に貴族学校にも入れず、大事な試合にも負けて私に恥をかかせるとは!」
アンリカイン男爵は持っていたステッキで息子の尻を叩いた。ダライはその勢いに負けて前方に倒れ込む。
「お前が啓示を授かるには近衞騎士隊に入る他ないのだ!近衞騎士隊は首席しか入れないのだぞ!本当にわかっておるのか?!お前の兄達には私の爵位を与えられるが、お前の事はこれ以上守ってやれないぞ!これからどうする気なのだ!落ちこぼれとして一生を“能無し”共と過ごすのか!?」
“能無し“とはこの国の貴族達が、啓示を授かっていない平民を蔑む時に使う言葉だ。
「も、申し訳ありません父上……」
「必ずあの者を蹴落としてお前が近衛騎士隊に入るのだ!でなければ二度とアンリカイン家の敷居を跨ぐことは許さぬ!良いな?!」
ダライを突き放した男爵は、踵を返して騎士団本部を後にした。ダライはふらふらと立ち上がると、死人のような顔つきで兵舎の方へ戻って行く。シャムスは、それを見届けた後にアンリカイン男爵が去っていた方向に急いで向かった。男爵は止めてあった馬車に乗り込むと、帰路につく。
「ブドゥール」
植木の影に隠れていたシャムスが小声で名を呼ぶと、猫がするりと足元に現れた。
「男爵の服に俺の血をつけた。奴隷の件は任せたぞ」
男爵が部屋を出る直前に、シャムスは追跡が有利になるよう細工をした。獣の鼻であれば、ほんの僅かな血の臭いも嗅ぎ分けられる。ブドゥールの猫はニャッと短く鳴いたあと、馬車が走って行った方角へ駆けて行った。
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