第18話 庇うか庇わないか
騎士団の新兵が最初に行うのは『女神教ローズメドウ神書』を諳んじる事である。神書とは、国が発行した女神教に纏わる教義が事細かく記された本であり、聖典とは似ているようで全く別の物だ。
グルデシェールにも『グルデシェール神書』が存在したが、敗戦の折に殆どが燃やされている。シャムスのような若者は、グルデシェール神書を読める機会がなかったので、両国の神書の違いを知らぬまま育っている。
訓練は剣術訓練と、基礎体力訓練がある。基礎体力訓練は、純粋に筋力や体力のステータスを上昇させるのに直結するのでシャムスにとっては有り難かったが、基本剣術訓練には問題があった。
目立たず、けれど手を抜いていると思われないよう、ほどほどの力で参加していても"ほどほどの剣術"は新兵達の中で抜きん出ており、周囲に注目されつつあるのだ。啓示を持たない新兵は素人に毛が生えた程度で、剣術よりも体力をつける事が優先されている。
シャムスが持つ剣術スキルには、使用条件に武器指定がある。この世界では、同じスキルを所持していても、職業によって異なる条件が付与される場合がある。
シャムスの場合、武器指定は"剣"の中でも刃渡が短〜中の片手剣、もしくは両手剣に限る。騎士団が主に扱う剣は長剣だ。一定の長さを超える指定条件以外の剣を扱うと、スキル熟練度が高くても半分以下の実力しか発揮されない。
そして盾や斧、鞭など"剣"以外の武器を持った場合は剣術スキルは発動すらしない。
例え指定条件以外だとしても、剣に分類される武器を持つ以上は、手加減をしようとしても体が先に反応してしまうのだ。
そんなシャムスを除き、木剣での打ち合い訓練で最も実力が顕著なのは、あのダライ・アンリカインだ。
ダライはあの日以来シャムスに対抗意識を燃やし、難癖をつけてしつこく付き纏っている。しかし彼が手を出そうとするたびに、シャムスは兵士らしからぬ身の躱しで方で逃げているので、余計にダライを憤慨させた。訓練以外の私闘は禁止されているので、シャムスはとことん相手にしない。
ダライは思い通りにならない事で鬱憤が溜まり、周囲に当たり散らし、他の新兵にも手を出して暴力沙汰を起こしているが、訓練での実力は申し分なく貴族なだけあって、幼少期から剣術の教育を受けてきた成果を出している。そして実家の太さで揉め事を起こしてもすぐに揉み消されているので、反省しないのだ。
その日も、食堂で食事をしていた新兵の1人がダライに殴らていた。
「ロドニー!」
新兵の友人であるマーカスという男が、名前を叫びながら助け起こすが、ロドニーは鼻が折れてしまったようで鼻血が止まらない。
ダライが食堂に出てくる飯を「まずい、家畜の餌と変わらない」といって笑って投げ捨ててたのを、ロドニーという男が"生意気な目で見ていた"という、それだけの理由だ。ロドニーとマーカスの二人組は、入団式の日にダライに絡まれていたシャムスの所へ偶然通りかかり、運悪くも失言を聞かれたあの二人だ。それ以来、彼らもシャムス同様に目をつけられている。
同じ食堂で食事をしていたシャムスは、スプーンを持つ手を止めた。
食事のメニューは平たいパンと豆のシチューと干し肉だ。貴族からすれば、質素なのかもしれないが、毎日飢えて苦しんでいるグルデシェール人の平民からするとご馳走に思える内容だ。
(それを家畜の餌とは、随分バチ当たりな事を言う)
ロドニーを助け起こし、救護室へ連れて行こうとしたマーカスの体を、背後からダライの腰巾着2人が蹴り飛ばした。訓練をしている新兵とはいえ、不意を突かれれば怪我をする。マーカスはロドニーと一緒に床へ伏した。
この場にいる新兵は、ダライ以外みな平民で、仲間を助け出そうとはしない。数の暴力でかかればダライ達を止められるだろうに、誰も立ち上がらない。それは、権力のある者には敵わないという日々の刷り込みが徹底されているからだ。
シャムスは友人でもない、ましてや敵国の訓練兵、いずれはグルデシェール人を殺すかもしれない2人を助けるかどうかを考えあぐねていた。
その間にいじめはエスカレートする。ダライ達は贅沢ができた実家暮らしとは違い、自身が見下している平民達と同じ抑圧された環境での憂さ晴らしに暴力をふるい、食堂からは逃げるように人が去っていく。
「それで民を守る騎士になれると思っているのなら、聞いて呆れるな」
「あ?」
食べ終えたシャムスは食器を片付けながら聞こえるようにつぶやいた。ロドニーとマーカスを助ける為ではなく、彼らの光景を見て盗賊に襲われる村人達のことを思い出し、気分が悪くなったのだと自分の行動に最もらしい理由をつける。
ダライ達は、シャムスの方へゆっくりと振り返り、狙いを変えた。その隙に、マーカス達がそさくさと食堂から出ていく。シャムスの同室のケインが二人に手を貸すのが見えた。
「土被りの汚え農民野郎、何か言ったか?」
ふてぶてしいダライと目を合わせるが、シャムスは事を構える気はなく嫌味の1つでも言ってやりたかっただけだ。食堂にはもう彼ら以外の兵士は残っていなかったので、シャムスはいつものように体術と隠密スキルを併用してダライ達の前から逃げた。
突然シャムスの姿を見失った3人は、椅子やテーブルをひっくり返し、理性を失った獣のように暴れる。
「逃げやがったなッッッ!出てこい!ヴォォォオァ!」
怒りの雄叫びを聞きながら悠々と食堂を後にした。
シャムスが廊下を歩いていると、どこからともなく出てきた一匹の猫が、後ろをついてきた。立ち止まり、けむくじゃらで毛足の長い猫を抱えると、人気のない
『無事に潜入できたようですね、誰にも気づかれていませんか』
ブドゥールの声である。この猫は彼女と契約した使い魔だ。
「……問題ない。教王のお膝元で騎士達が盗賊の鍛錬に貢献しているなどと、誰も思ってはいないだろう」
シャムスはブドゥールにこれまで知り得た騎士団の情報を簡潔に伝えた。新兵は連日の長い訓練が終われば、数日間の休みが得られるので、その機会を利用して城下町の様子や脱出経路、兵の配置、城の構造などを記憶している。
「ひとつ気がかりな事がある。アンリカイン男爵の息子が新兵の中にいる」
『……あのアンリカイン男爵ですか』
「噂では三男だと聞いている。奴隷売買の実態を知らない可能性の方が高い」
「殿下にお伝えしますわ。利用できるかもしれません」
「!……人が来た。噂をすれば奴だ」
シャムスの気配探知スキルに反応があり、それを聞いてブドゥールの猫は一目散に逃げていった。
「見ろよ、あいつ猫に話しかけてるぞ」
ぞろぞろとやって来たのはダライ達である。
(わざわざ探して後をつけてきたのか。)
食堂の一件の後もまだ怒りが収まっていなかったのか、ダライ達は人手を増やしてシャムスを探し回っていた。兵舎の中で人気のない場所というのは限られている。集団暴力を隠蔽するのには持って来いなのでダライ達もよく利用しているのだろう。
何度追いかけ回して来ようが無駄だと、なぜ分からないのか。シャムスはうんざりしながらスキルを使おうとした。
「へディー、ここにいたのか」
ちょうどケインが、ダライ達とは反対方向から走ってきた。鎧を脱いだ軽装をしていたので、自主トレーニングの最中だったのだろう。彼は、真顔のままシャムスに言った。
「俺とトレーニングをする約束だったな」
(していないが。)
ケインなりの助け舟だというのは、すぐに理解した。シャムスはとりあえず頷いて見せる。
「悪いが、俺と先に約束していたんだ。構わないよな」
「なんだとッ?!邪魔するならお前も……ッ」
ダライはケインの肩を力一杯押した。しかし、日頃から自主訓練を欠かさないケインの体幹と筋肉はビクともしない。ダライは、一歩も動かなかったケインに驚いて躊躇った。
ケインだけはダライよりも体格が大きいのだ。訓練でも比較的いい成績を維持している。
「チッ……、」
ダライは二人を睨んだ。そして分が悪いと感じたのか、大人しく仲間を連れてこの場を去った。
「なぜ俺を助けた」
危機を免れた後、シャムスはケインを見上げた。常に我観せず、誰にでも平等を貫いていた彼にしては珍しい行動だと思ったのだ。
「同室のよしみというやつだ。ここはランニングコースにしているから、たまたま馬小屋に向かうダライ達を見つけたんだよ」
「俺を庇えば、お前も目をつけられるぞ」
「構わないさ。さっき食堂でお前がダライに言っていた言葉で目が覚めたんだ」
大した事を言った覚えはないが、シャムスは黙って聞いていた。
「新兵として志願した者の多くは食いっぱぐれないためだ。俺もそうだ。だから貴族を敵に回し不興を買えば職を失う危険がある……だから皆、見て見ぬ振りをする。でも、ここで誰かを見捨てていては、俺はきっとつまらない騎士になるだろう。まぁ、色々言ってみたが、結局は自分のためだ」
「そうか」
「じゃあ、また後でな」
例え自己満足だとしても、時には誰かの為になる事もある。シャムスが頷くと、ケインはいつもより爽やかな表情で再び自主トレーニングに戻っていった。
ケインに礼を言い損ねた事を思い出し、シャムスも訓練場の方へ戻ることにした。
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