第16話 教王の憂い


□―□―□

 

 ……永遠の国ローズメドウ教国評議会。

 教王ハリオン2世をはじめとしたローズメドウ教国女神教会の大司祭達や貴族達には、随分前から頭を悩ませている事がある。

 

 "聖典が開かない"のである。

 

 聖典は大人が片手で抱えられる程の大きさで、千ページを優に超えそうなほど分厚い本の形をしている。

 聖典にはこの世の理と平和が記されていると信じられており、女神教会はこの聖典の解読こそが悲願であった。

 しかし、聖典はかたく表紙を閉ざしたまま、誰の手によっても開くことができない。

 ローズメドウ教国は5つの"運命の鍵"を保有している。神話では、5つの"運命の鍵"が揃えば聖典が開くと伝わっているが、何も起こらないのだ。

 11年もの間、鍵をどのように使って聖典を開くのか調べてきたが、手掛かりは未だ見つかっていないのと同時に1つの可能性が浮上した。

 鍵が偽物だという事だ。

 

 5つの鍵のうち、4つはローズメドウ教国が建国された当時からの国宝だ。

 まだ永遠の国が風の国という名前の王国であった頃、土の国から聖典を取り戻すために、風の国、火の国、水の国、雷の国は四カ国同盟を結んだ。しかし圧倒的な土の国の力を前に同盟は決裂し、火の国と水の国と雷の国の王は、戦争から手を引く代償として、風の国の王に鍵を託したのだ。その当時からローズメドウにある鍵は、本物だと認定されている。

 

 そして最後の1つである"鉛の鍵"は先の戦争で今は亡きグルデシェール王家から奪ったものだ。


「やはり、本物はグルデシェール王が隠しておったか……忌々しい」


 鉛の鍵は国内で一番の鑑定士が鑑定スキルと真贋精査スキルを使っても見抜けないほどに精巧にできている。これを作った人物は相当の傑物だろう。

 本物の在り方を調べ直そうにも、グルデシェール王家は王位を剥奪したのち全員処刑済みである。手掛かりは無くなったに等しい。しかし、国の威信が関わっているため諦めるわけにもいかない。

 

「引き続き"鉛の鍵"の捜索と調査をすすめさせるのだ」

「御意に」

「して、シーレギアからの兵器開発の続報はないのか」

「はい、勇者を名乗る冒険者に兵器を破壊されたという事で。勇者については現在指名手配中であるそうですが、兵器の再開発の目処は立っていないそうで……」

 

 教王は悪態をつきながら悩ましげに額を押さえた。

 海の国シーレギアに"病をばら撒く"という生物兵器の開発を誘われ、多額の資金援助を行った。生物兵器を用いてイクリールに住むグルデシェール人を一掃し、国土のを測るはずであった。

 現在保護国となっているグルデシェール王国を、神聖ローズメドウ教国として再統治すれば、十国大陸で一番の国土を持つ大国になる。

 しかしそれを行えば、現在一番の軍事力と国土をもつ超大国、海の国シーレギアに警戒され、最悪領土を巡る戦争になるだろう。海の国は魔石油を手に入れるためなら必ず武力介入をしてくる。

 

 ローズメドウはシーレギアとの戦争を避ける為、あくまで協力して支配を進めるつもりだ。最悪、王都イクリールさえ手に入れば、グルデシェールの領土をシーレギアと分割しても構わないと思っている。

 だからシーレギアと共に裏工作を仕掛け、"女神の怒りをかって病に犯されたグルデシェール人を助ける"という名目で、ローズメドウの司祭達による、病を浄化する力を利用しあくまでに完全支配を進める計画だった。


 

「勇者が出たという話は真なのだろうな……」

「さようです猊下。勇者に手出しをする事は我々女神教国家としては得策ではありませぬ」


 南の大司祭、メリディウスが発言した。

 勇者というのは女神から神託と啓示の両方を授かった者であり、世界にたった一人しか存在せず、魔術士よりも希少な職業である。女神教信仰者の間でその存在を知らぬものはいない。いくら忌々しくても、勇者を手にかける事は公にはできないのだ。

 そんな折、さらに教王達を悩ませる珍事件が飛び込む。

 

「猊下……」

「何事だ」


 教王の右側の席に控えていたオルランド枢機卿がそっと声をかけた。枢機卿は教王の最高顧問である。

 

「今し方、配下の者から連絡がありました。"大盗賊アリババ"と名乗る不届きものが、女神の聖典を奪うという犯行予告を両国に出して回っているそうです。この件でグルデシェールに派遣中の執政官からのご報告が……」

「一体何だというのだ。よい、通せ」


 枢機卿の配下が一枚の鏡をテーブルの上に用意した。黄金の美しいレリーフがあしらわれたこの鏡は魔宝具である。同じ鏡をもつ者同士の姿を写し合うことができ、遠くに居ても会話ができるという代物だ。

 教王が鏡を覗き込むと、鏡面が揺らぎ、やがて一人の男を映し出した。


『猊下』


 グルデシェールに派遣されている執政官、マーラーという男の声が評議会の会議室に響いた。

 

「ただの悪戯というわけではないのだろうな」

『その可能性は低いと考えております。予告状は枢機卿が持っているでしょう。まずはご覧になってください』


 枢機卿が予告状を教王へ差し出した。


 "6の月、生贄の日にて女神の聖典『シャハナーダ』を永遠の国ローズメドウより奪う 大盗賊アリババ"


 読み上げた内容を聞き、議席に座っている司祭達がどよめいた。大盗賊アリババという名はローズメドウの建国神話にも登場し、ローズメドウの民が最も忌み嫌う大悪党と同じ名前だからだ。


『盗賊アリババは8年ほど前から盗賊を狩る盗賊として一部の民から支持されている義賊です。今の所正体不明であり、これまで実害がなかったため野放しでありました。 今回の予告状を機に調査をしたところ、グルデシェール内で散見された39の盗賊団を壊滅させており、かなりの実力をつけていると思われます。予告状を出した人物と、盗賊狩りの盗賊と同一人物である事はほぼ間違いないかと。引き続き盗賊アリババの調査をすすめております』


 マーラー執政官の淡々とした報告が終わり、鏡による連絡が途絶えた。すると聞き終わるや否や、北の大司祭が嘲笑った。


「たかが盗賊とやらに、我が国の魔法障壁を打ち破り聖典を盗めるというのか?グルデシェール王国の軍ですら、国境を越えられず我々騎士団に敗北したというのに。一体何を警戒する必要があるというのです」

「盗賊は正面から挑んでくる軍人と違い、忍び込むことに特化した者でしょう。だから執政官殿は問題視されているのでは」


 枢機卿が意見した。


「まさか、もう忍び込まれているという事はあるまいな……」


 西の大司祭が不安そうに周囲を見た。すかさず騎士団総帥が発言する。

 

「王都の検問は魔宝具の力もある故、皆様もご存知の通り厳重です。それに、魔法障壁に何か不審なことが起きていれば大司祭の皆様方が先にお気づきになっているのでは?」


 確かにそうだと、大司祭達は口を継ぐんだ。静かになったところで教王が枢機卿に尋ねた。


「わざわざ予告状を両国に出した理由をどう捉える」

「我々を挑発しているのです、猊下。実際に盗み出すかは別として、国民の注目を集めようとしています。聖典を盗む以外にも何か別の意図がある可能性も考慮すべきかと」


 今度は東の大司祭が枢機卿に尋ねた。

 

「では、生贄の日は例年通り執り行うのですか。生贄の日まであと10日もありませぬが……」


 生贄の日とは収穫した獲物や作物を女神に捧げる祭典であり、3日間ほど開催される伝統の祝日だ。女神教信者にとっては特別な日になる。


「それが良いでしょう。愉快犯かもしれない可能性もまだ捨てきれませんから、神聖な祭典を中止にはできません」

「しかし……」

「念の為、各検問所の取り締まりを厳しくしつつ、城の警備は通例どおり行いましょう。その代わり、聖典を保管する儀式の間には強力な障壁を幾重にも貼るのです。たかが一盗賊にあからさまに厳戒態勢を強いていては国民を不安がらせ、余計な混乱を招きます。あくまで冷静に対処すべきです」


 枢機卿が答えると東の大司祭を含めて評議会の面々は納得した様子で頷いた。

 

「もし盗賊アリババを捕まえ処刑できれば、グルデシェールの民は意気消沈するはず。かの泥棒民族を一掃するのに役立ちますな」

 

 と、北の大司祭が言った。

 

「卿らの言う通りにしよう」


 教王が締めくくり、評議会の方針はまとまった。


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