第15話 永遠の国の影



 タリーフ率いる黄金の砂にシャムスが合流してから1ヶ月が過ぎ、聖典を盗む計画を実行する日が来た。

 

 タリーフ達は沿岸都市アルバフールの港から、海路を通りローズメドウの漁港まで小さな商船で北上して向かう。タヒーク商会の密売人を先導に、変装したタリーフやブドゥールを始めとした黄金の砂の団員達は奴隷の格好をし、体格が目立つバールードは奴隷を監視する傭兵役として潜入する。船の大きさの関係で8人までしか同行できない。

 

 シャムスだけは、一足先にローズメドウの王都に向かい、先に潜んでいた黄金の砂の斥候と合流する手筈になっている。

 

 王都イクリールからローズメドウ教国との国境まで、陸路で馬を走らせ続けると早くて5日はかかる。シャムスの神獣、白馬サビクなら休みながらでも3日ほどで到着する。空を飛べば街道を通る必要もないので、夜間に人目を避けつつ山間部からローズメドウへ侵入した。


 永遠の国ローズメドウ教国とは、女神教を国教とし、教王が神聖政治を行なっている国家である。国名は女神教の元となった女神の名前「薔薇の蕾」を冠しており、国花も薔薇である。

 国土の南部は砂漠の国グルデシェールとの国境がある荒野、北部は山の国ウォルナレンとの国境がある針葉樹林からなる山岳地帯、東部には白き海と呼ばれる内海を挟んで海の国シーレギアとも面している。

 王都ローズウッドは高原都市であり、標高が高く、付近は広大な草原と牧草地帯が広がっており、美しい湖がいくつも点在する。

 

 シャムスは月明かりを頼りにローズメドウの王都から少し離れた場所にある目的地の湖に辿り着くと、水辺で白馬から降りた。

 そして首から下げていた金の小さな縦笛を吹く。澄んだ音が響き渡り、どこからともなく黒馬が降りてきた。

 この笛は魔宝具『双対の神馬』といい、縦笛の音色によって神獣、白馬サビクと黒馬ラヒクの兄弟馬が現れる。白馬は天を翔け、黒馬は水の中を翔ける力を持つ。

 シャムスが盗賊狩りをしていた時に、彼らの盗品から奪った魔宝具の1つだ。

 黒馬の隣に白馬が並んだかと思うと二匹は仲睦まじそうに体を寄せ合った。

 

「サビク、ありがとう」


 白馬は鼻を鳴らした後、煙のように消えていった。残された黒馬に跨り、そのまま湖の中に飛び込んでいく。

 真っ暗で長い水路を通り抜けると、巨大な空間が広がっていた。王都ローズウッドの地下にある地下貯水地である。宮殿のような装飾が施された何本もの柱が立ち並び、迷宮といっていいほど広くて暗い。暗視スキルを使っても、殆どが水に沈んでいるので全貌がよく分からないが、ところどころに女神の像や上へ続く階段が見える。急事の際に利用する抜け道になっているらしい。


 シャムスは水流にそって泳いでいき、岸へ上がった。上へと続く階段の1つを道なりに進んでいくと、王都内の市街区にある用水路に辿り着いた。人が通れないように鉄柵で区切られていたので、魔物から採取した毒酸を何本かの根元にかけた。すると、柵の一部が溶けて脆くなる。鉄柵を歪ませて通り抜け、見様見真似で元に戻し、気配を消して街中に入った。


 

□―□―□

 


 ローズメドウの漁港に降り立ったタリーフ達は、ローズメドウの奴隷商人達に港で荷馬車に詰め込まれ奴隷商の拠点へ送られていた。そこで奴隷の鑑定を行い、価値に応じた換金が行われる。その後、売り上げと同等の高級品がタヒーク商会の船に運び込まれるというわけだ。

 を引き渡し、漁港に残ったバールードは背後から近づいてくる気配に振り返った。


「俺だ。用意はできているぞ」

 

 シャムスが言うと、バールードは頷いた。そして船の番をしているタヒーク商会の商人に目を光らせる。


「必ずここで待っておるのだ。一人で逃げ出せば女神の怒りを買うだろう、その時は命が無いと思え」

「ヒッ、も、もちろんんです!必ず皆様をお待ちしております!」


 バールードの鋭い眼光に縮み上がった商人は船の上で女神に祈りを捧げた。

 シャムスとバールードは、神馬、白馬サビクと黒馬ラヒクにそれぞれ跨りタリーフ達が乗せられた荷馬車を追った。


「この馬は本気で走らせれば荷馬車に追いついてしまう。速度を落とせ、奴隷商の本拠地は既に調べがついている」

「……ううむ、実に良い馬だ。仕事でなければ、荒野を存分に駆けてみたいものですな」


 後方からシャムスに注意され、軽やかなラヒクの走りに戦士の血が騒ぎかけていたバールードは少し残念そうに速度を落とした。

 やがて二人が辿り着いたのは小さな村にある農場だった。近くの林で馬を降りた二人は、黄金の砂の斥候、盗賊のカフルと合流する。彼はシャムスと同じ盗賊で、タリーフに忠誠を誓っている者の一人だ。シャムスと違い戦闘に優れているわけでは無いので、斥候として情報を集める仕事に徹している。


「随分早かったですねぇ、殿下達もさっき到着しましたぜ」


 カフルの視線の先には、灯りを持って歩く奴隷商人に先導され葡萄畑の中を歩くタリーフ達が見える。彼らは、丘の頂にある大きな倉庫へと向かっている。元々は収穫した葡萄を保管する場所だが、奴隷も一時的に収容されているようだ。

 カフルは来たばかりのバールードに説明した。


「ここは王都ローズウッドの隣にある、ボアズケレー伯爵領が治めてる領地の村の1つでさぁ。シャムスと調べて分かったんですが、少なくとも奴隷売買にはボアズケレー伯爵と、他の貴族が何人か関わってるらしく、王都には他にも3つの拠点があるようで」

「なるほど、それぞれの拠点を同時に潰さなければ逃げられてしまうと言うことか。殿下はいかがするおつもりか……」


 遠くでバールード達が見守る中、奴隷商人とタリーフ達は倉庫の前に辿り着いた。重々しい大きな扉が開き、中から続々と傭兵や商人達が出てくる。その中の一人が武器を持って脅した。


「さっさと中に入れ!」

 

 しかし、タリーフは立ち止まったまま倉庫に向かって手を伸ばす。


「魔術障壁展開――!」


 倉庫を中心に大きな半球状の障壁が広がり、透明な壁となった。タリーフを捕まえようとした奴隷商人達は倉庫ごと障壁の中に閉じ込められる。


「何だ!?出られないぞ?!」

「何が起こった!?」


 タリーフの魔術障壁の展開が始動の合図だ。奴隷の格好をしていたブドゥールや、林に隠れていたシャムス達は一斉に飛び出し、魔法障壁の外側にいた奴隷商人や傭兵達を次々と仕留めていく。

 大した数は居なかったので、瞬く間に制圧が完了した。敵を一掃したところでシャムスは主人の所へ戻る。


 タリーフはふう、と大きく息を吐く。


「障壁を展開する前に魔術で建物の構造を調べたのだが、地下に抜け道があったぞ。だからこの障壁は地下まで円球状に作ってある。中に入れるのは余の臣下のみ、敵は誰一人として出られぬはずだ」


 魔術探知というスキルを使い、魔力の流れを利用して周囲の状況と建物の構造を把握し、条件付きの複雑な魔術障壁を展開する。そしてそれを維持するにはかなりの精神力と魔力を消耗するので、タリーフの言う"燃費が悪い"という現象が起こる。


「余は疲れたぞ、素早く片付けてくれ」

「無論だ」


 シャムス達は、倉庫の中をくまなく捜索し、奴隷として監禁されていたグルデシェール人を救出した。そして地下から逃げ出そうとしていた奴隷商人や傭兵を一人残らず縛り上げ、タリーフの前に集めた。


「其方らの主人の名を教えるのだ。でなければ命は無いと思うが良い」

「チッ、グルデシェール人か。奴隷の分際で俺たちに命令できると思うな」

「お前達ごときに話すようなことは何もないッ」


 ローズメドウ人の彼らは囚われの身だとしても差別的な言葉を使って従おうとしない。

 

「なんと無礼な。吐かせましょうか」


 バールードが指を鳴らすと腕の筋肉と血管が隆起した。その迫力に奴隷商人達は戦慄したが、死んでも雇い主の名を出さないと言う決意が見て取れる。

 シャムスはバールードを遮って名乗りをあげた。


「こいつらは痛みに強い、俺がやろう。既に何度か試した」


 タリーフ達がここに到着するまでの間、斥候カフルと共に王都で調査の仕事をしていたので有効的な拷問は実験済みである。シャムスは適当に二人選んで襟首を掴むと、奴隷達が監禁されていた地下室へ引きずっていく。


「カフル、手伝ってくれ」

「いいいや、またアレを飲ますんですかぃ……最悪だぁ」


 重い足取りでシャムスの後に続くカフルを、タリーフが呼び止めた。

 

「おい、アレとは何なのだ」

「シャムスが特別に調合した油、というか即効性の毒、みたいなモノでさぁ……。とにかく貴人様方が知らなくてもいいような代物ですよぉ、はい……」


 カフル達が地下室に行った後、タリーフは隣にいるバールードを見た。

 

「バールード、何か知っているか」

「存じませぬが、カフルがあのように言うくらいですから知らぬ方が良いのでしょうな」

「……きっとヒマシ油ですわね。美容に良いという油ですが、飲ませると強力な下剤になるのです」


 奴隷として囚われていたグルデシェール人の怪我の手当をしていたブドゥールが口を挟んだ。タリーフはわざとらしく肩をすくめて見せる。

 

「なんと、恐ろしい」


 やがて、地下から男達の強烈な悲鳴が響き渡り始めた。

 

「ウグゥぅぅあああぁぁ!!!!」

「ヒギィィィィィいい!!」

「助けてくれぇぇ!」

「水を!水をくれぇぇ!」


 拷問に苦しむ仲間の叫びに、男達はみな押し黙って恐怖に震えた。シャムスとカフルが情報を聞き出すのを待つ間に、バールードと黄金の砂の者達は、荷馬車を利用してグルデシェールの民を少しずつ船に乗せて逃す作業を進めていく。

 沿岸都市アルバフールに到着した船は、タヒーク商会の交通手段を全て活用してアサルラーハや麦の穂商会の村に送られる。そこでは、クムルやナスリといった商会の者達が中心となって一時的な受け入れ態勢を整え、支援を行っている。

 救出作業は夜間にのみ可能なので、タリーフ達はこの倉庫を仮拠点にして留まり、ローズメドウにどれだけの奴隷がいるのかを具体的に調べて把握つつ、救出計画を細かく練り直していくつもりだ。


「敵にこの場所を制圧した事を知られてはならぬが、奴隷の供給が途絶えれば、組織の者が度々様子を見にくるだろう。その者達を順番に捉えていけば各地の拠点は維持できなくなってくるはずだ。多勢に無勢で押しかけてきた場合はこの農場を捨てなければならぬが……」


 タリーフは、カフルが手に入れたローズメドウの詳細な地図を広げて思案する。ローズメドウでは貴族がそれぞれ領土を持って統治している。グルデシェールでいう州王と同じようなものだ。

 厄介なのは、貴族よりも強い力を持つローズメドウ女神教会の存在だ。女神教会は王都ローズウッドの東西南北に教会を置き、各教会から選ばれた大司祭が王都を守る祈りを捧げ、教会内を取り仕切っている。つまり4つの大きな派閥から成り立っている。

 現在の教王は北の教会から選出されたので、北の勢力が一時的に強まっている。そして女神教会は民の税と貴族達の献金により維持されている。このように、派閥を巡った権力構造ができ上がっている。

 

「どこまで大きな組織かまだ分からぬから、大元の貴族にまで手は出せまい。今の余達にできるのは、せいぜい損害を与えるくらいだ。時間はかかるが、少しずつ進めていくしかあるまいな」

「王子よ、手掛かりを掴んだぞ」


 マントを脱ぎ去ったシャムスが地下室から現れた。その後ろからカフルが、酷くげんなりした表情でついて来る。

 

「……む、もう吐いたか。あと数日はかかると踏んでいたが、それほど恐ろしい毒なのだな……」

「殿下、そこは触れないでくだせぇ……俺は血を見る方がまだマシだと思えてきやしたよ……」

 

 一人、また一人とシャムスの拷問部屋に連れ去られてから2日目にして、ようやく奴隷商人達は主の名前を白状した。

 

「アンリカイン男爵とツァルバリー男爵だ。それ以外は聞き出せなかった」

「ボアズケレー伯爵も間違いないとして、この三家に絞って調べてみますかねぇ」

「二人ともご苦労だった」

 

 タリーフが労ったが、休む間もなく次の仕事が待っている。

 

「ではシャムス、これからは騎士として上手くやるのだぞ」

「承知した」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る