第14話 ローズメドウの騎士



 王都に滞在しているシャムスは、タリーフの命で計画の準備を進めつつ雑用を手伝わされていた。

 王都の闇市で頼まれた仕事を終えた帰り、商会へ戻る最中、王都イクリールの中央にある神殿広場の前に人だかりができていたのに気がついた。広場から、女性の悲鳴に似た懺悔が聞こえてくる。


「お許しください!どうか!子どものした事です!」

 

 幼い子連れの母親らしき女がローズメドウ人の騎士に叩頭し懇願していた。このような光景はもはや珍しいものではない。神殿前の広場は、民達の祈りと憩いの場であるはずが、現在では公開処刑場へと変わり果てた。

 王都ではローズメドウの騎士達が常に巡回しているので、違反行為が見つかればすぐに処罰されるのだ。

 

「どうか!よく言って聞かせますから!」

「ならん!この場所での礼拝は女神を冒涜する行為である!いかなる者も法を守らねばならぬ!子がこの場所で礼拝をしたということは母親のお前が法を破り教育しているからに間違いない。子への罰はお前への罰でもある!」

「お許しください!お許しください!」


 理不尽な弾圧に隠れて礼拝をしている民は多い。どんなに禁じられていても、イクリールでの礼拝は尊いものだと、毎日欠かさず礼拝をすれば願いを聞き届けてくれるのだと信仰されている。啓示をまだ授かっていない者にとっては、より一層その想いが強くなる。


 彼女の幼い息子はたった一瞬、ほんの僅かに願うだけなら見つからないと思ったのだろう。

 この苦しい生活から解放されるよう、特別な啓示が与えられるよう、願ったに違いない。男児は母親を奪われた当時のシャムスの年齢と、さほど変わらないくらいだ。


「お母さん……!お母さんっ!!」

 

 騎士は泣きじゃくる男児をうつ伏せにして足で押さえつけると、処罰用の鞭で叩く。母親は騎士の足に縋るが、その体を蹴飛ばして吐き捨てた。

 

「泥棒民族が!」


 法を犯して礼拝をしたものは、例外なく鞭打ちの刑だ。グルデシェール人は男だろうが、女だろうが、子どもだろうが、皆等しく罰せられる。

 何度蹴られても母親は身を挺して子に覆い被さり、代わりに鞭打たれた。響き渡る親子の悲鳴は、まさに地獄そのものだ。

 広場に集まる人々は、処罰が終わればすぐに助けられるよう息を呑んで見守ってはいるが、騎士の機嫌を損ねると自分達にまで被害が及ぶ。時間が経つにつれ、一人、また一人と去っていく。

 シャムスは一旦建物の影に隠れて変装スキルで年老いた商人の変装をすると、あの騎士に賄賂でも掴ませるつもりで近づこうとした。

 しかし、それより先に声をかける者が現れる。ローズメドウ人の別の騎士だ。


「小隊長!西の商業地区で暴動が起きたとの事で、他の部隊から動員するようにとの伝令がありました!」

「何だと……?!西地区は俺たちの管轄ではないだろう」

「私は伝令を預かったのみですので詳しい事は存じませんが、確認をとったほうがよろしいかと」

「チッ仕方あるまい……代わりにこいつらを処罰しておけ」

「ハッ!」


 鞭を持っていた騎士は、伝令をしにきた騎士へ母子を引き渡すと大股で広場を去って行った。残された騎士は、ぐったりした子どもを小脇にかかえると怯える母親を立たせた。


「さあ来い!歩け!そこにいるお前達も処罰されたいのか!用がないならばこの場を去れ!」


 騎士は、広場に残っていた人々を追い払うと、母子と一緒に神殿の裏通りの方へ歩いていく。

 別の場所で処罰するつもりなのかと、シャムスは変装を解いてから気づかれぬようその後をつけた。

 騎士は、更に進んで人通りの少なくなった路地に入ると、子どもを母親に押し付ける。


「ほら、早く行くんだ」


 母親は、一瞬状況が理解できない様子でぽかんとしていたが、慌てて息子を抱えた。


「あの……もうよろしいのですか……?」

「もういいよ。これに懲りたら広場にはあまり近づかないほうがいいぞ、あの隊長は暇だとああやって法を盾に憂さ晴らしするんだ」

「あぁ……!お見逃しくださり感謝いたします……っ」

「おい坊主、」


 騎士は母親に抱かれている子どもに声をかけた。

 

「女神への祈りよりも、お前を守ってくれる母を大切にするんだぞ」

 

 少年は泣き腫らした目で恨めしそうに騎士を見るだけだった。騎士は母子に早くこの場を去るように催促し、母親は見逃された事に驚きつつ、礼もそこそこに走り去って行った。


 母子を見送った騎士は広場の方へ戻って歩き出し、神殿を囲うように建てられた高い塔の中の1つに入って行った。シャムスは不思議とその騎士が気になり、密かに後をつける。これから騎士団に潜入する計画があるので、少しでも彼らの情報を知るべきだと思ったのだ。

 騎士は兜を外して小脇に抱えると、呑気に口笛を吹きながら長い階段を登り続ける。やがて塔の頂上に辿り着いた彼は、そこから王都の景色を眺め、サボりを決め込み始めた。


 シャムスは隠密スキルで気づかれぬように背後を通り、体術スキルを駆使して外側から塔の屋根へ登った。まさしくそこは絶景だった。

 間違いなく王都イクリールで一番高い場所だろう。屋根の上ならば、下にいる騎士や広場にいる人々から見上げられても気づかれる事はない。

 すると、屋根の下で景色を見ていたはずの騎士が、ひょっこりと顔を出して登ってきた。塔の屋根の上は丸みを帯びた角度が付いていて狭い。シャムスは場所を譲ろうとしたが、向こうは隠密スキルで姿を消したシャムスに気づかず進んでくる。やがて目に見えない何かに触れた騎士は、咄嗟に驚いて後ろに下がるがバランスを崩す。


「おっ……?!おッ……わっ!」


 彼は鎧の重みで体勢を立て直すことができず、そのまま足を滑らせて下へ落ちていく。この高さから地面に叩きつけられれば確実に助からない。

 シャムスは落ちていく騎士を追ってスキルを発動させた。


《スキル:隠密-体術-壁面移動》


 塔の側面を下に向かって走り、勢いをつけてから飛んで落下中の騎士を捕まえると、そのまま神殿を囲う塀の上へ転がるように着地する。

 一体何が起こったのか呆然としていた男は我に帰ると冷や汗を拭ってから礼を言った。


「いやぁ……本当に助かったよ、まさかあそこに人がいるとは思ってもなくてさ」


 今のシャムスは変装を解き、フードをかぶっていて全身黒づくめだ。いかにも怪しい格好をしているので、普通だったらその場で捕えられてもおかしくない。


「……俺を捕まえないのか?」

「何でだ?命の恩人にそんな事するわけないだろ」


 屋根の上にいた事を咎めるつもりは無いようだ。お互い様なのだろう。

 

「ローズメドウの騎士は何かと難癖をつけてグルデシェール人をいたぶるのが好きなんだと思っていた」

「……それは偏見だぞ。お前こそローズメドウ人が嫌いなら何で助けたりしたんだ」

「それは……」


 シャムスはあの母子を逃した騎士がどんな人物なのか気になってついてきたのだ。確かに見放しても良かったが、盗賊以外は殺さないと決めている。


「あれは事故だ。死なれたら目覚めが悪い」

「そうか……」


 男はふうっと大きく息を吐きだして落ち着くと、鎧の下から小さな酒瓶を取り出した。


「礼をさせてくれよ。これは故郷から持ってきたとっておきの酒なんだ。俺の曽祖父の代から熟成してある」

「……、酒は飲まない」

「なんだ、まだガキだったか」

「ガキじゃない」

「だったらこっちはどうだ?この街で売ってた実を酢漬けにしてある。酒と食うと美味いんだ」


 言いながら、彼は小瓶の蓋を開けて飲み始めた。ローズメドウでは酒の生産を禁じられているわけではないが、女神教に敬虔な信仰者は酒を飲まない。それに、国家騎士達は厳格で清廉である事が求められているはずなのに、彼は見事にそれを破っている。

 酢漬けの実をしつこく差し出して来るので、シャムスは受け取って口に入れた。酸味と渋みがあるが、良い味だ。


「なぁ、ちょっと愚痴を聞いてくれないか」

「……。」


 彼は上官の命令を無視してグルデシェール人の母子を逃したのだ。命令違反が見つかれば処罰されるので、ここで時間を潰すつもりなのだろう。

 シャムスは絡まれついでに話を聞くことにした。少し離れた所に腰を下ろすと、騎士は王都イクリールの壮大な景色を眺めながらぽつぽつと語り始めた。


「俺は16歳の時に、11年前の戦争に初めて参加したんだ。新兵で後続部隊だったから前線には行かなかった。けど怪我人も死人もたくさん見た。聖典戦争は俺の先祖の時代からずっと続いていたし、休戦中は平和な時代もあったらしいが、戦争してる時代の方多かった」


 茶色いぼさぼさの髪に無精髭を生やしたこの騎士は、若さのわりにくたびれている。


「グルデシェール人は俺たちのような騎士を恨んでいるだろうが、俺はこの国に派遣されて10年経つんだ。だから、グルデシェール人もローズメドウ人も同じ命で、同じ心を持ってるって知ってる。文化や考え方が違っても、同じ人間なんだ。争うのはもう御免だよ」


 同じ命。敵国の兵士からその言葉を聞いたシャムスは新鮮な気持ちになった。"泥棒民族"だと罵り、虐げる他の騎士を見て育って来たせいで、ローズメドウ人とは永遠に分かり合えないのだと、心のどこかで思っていたからだ。

 

「聖典ってのは、本当に人の命より大事なものなんかね。この世界に無いほうが平和になるんじゃないかって思うよ」

「……ケホッ」

 

 シャムスは驚きのあまり、噛んでいた実を飲み違えそうになって咳き込んだ。

 聖典に否定的な発言をするのはあまりに畏れ多い事だ。女神教はグルデシェールにとってもローズメドウにとっても最も崇高とされる宗教で、女神の啓示がある以上、全ての人間には女神の加護があり、監視されているという思想が当たり前になっている。

 たとえ否定的に思っていたとしても、迂闊にも誰かの前で口にしようものなら身の危険が及ぶ事だってある。これがごく一般的な考えだろう。


「ローズメドウの騎士とは思えない発言だな」


 男は苦笑した。しかしシャムスは、彼の考えを批判する気になれなかった。シャムス自身、望まない啓示を受けた身であるからこそ、思っていても口にできなかった事だ。


「ローズメドウの騎士達は女神の"代弁者"である教王の下僕だ。だから皆、信心深いと聞いていた。お前は……随分変わっているのだな」

「ハハ……確かに、変わってるかもな。でもお前だって、こんな話をしても怒らなかったんだ、十分変わってるじゃないか」


 否定はしない。黙っていると男は話を続けた。


「もともと、俺は家を継いで農業をするつもりだった。みんなに反対されようが、とにかく美味い酒を作りたかった。けれど啓示があって、剣士としての才を認められて、親父達は喜んで送り出してくれた。嬉しそうな顔を見たら、行きたくないって言えなかったよ。農業より剣士の方が才能あるって女神に言われちゃ、もう仕方がなかった。どんなに望んでても、自分が本当になりたいものになれない事もあるんだよ……」


 シャムスは、黙って懐から塩漬けにして乾燥させた羊の生ハムを取り出す。好物なので、本来は一人で味わうつもりだったのだが、手頃な大きさに切って風変わりな騎士に渡した。

 相手から与えられたものの対価だ。

 

「おっ!いいモノ持ってるじゃねぇか。うめえ〜〜」


 男は酒を煽り、シャムスは肉をつまんだ。興が乗った騎士は自分の故郷の話を延々と語った。

 気づけば日が暮れて空に星が見え始めている。さすがにサボりすぎたと、漸く男が立ち上がった。ほどよく酔いがまわっているのか、ふらふらとしているので今度こそ落ちて死ぬ危険性がある。


「酒は程々にしておけ」

「わかってるよぉ」


 へらへら、と男は陽気に笑った。

 

「そういえば名乗ってなかったな。俺はジュリアンって言うんだ。コーズリー村のジュリアンだ。また会ったら、今度は一緒に酒を飲もうぜ」


 その後、麦の穂商会に戻ったシャムスは帰りが遅いとタリーフに小言を言われたが、ジュリアンとの事は秘密にしておいた。

 

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