第13話 一世一代の大仕事
「来る途中で話した通り、シャムスには女神の聖典を盗んできて貰いたいのだ」
タリーフは書棚から、地図を持ち出すと絨毯の上に広げた。この国とローズメドウの一部分の地形が詳細に記されている。地図の右下にはザマーン家の紋章があり、バールードが戦時中に使っていた貴重な物だ。
「理由は、海の国の超大国シーレギアとローズメドウによる国土分割を阻止するためだ。シャムスは知らぬだろうが、シーレギアは……この国の文明基準より、およそ200年先まで進んでいる。グルデシェールとローズメドウが戦争に明け暮れている間に、かの国の文明は我々がそうそう追いつけないところまで発展している」
一時的に海の国に亡命していたタリーフ達は自国との文明の差を肌で感じ取っている。砂漠の国と永遠の国の聖典戦争には、それこそ初期の頃は海の国を含めた諸外国も同盟を組んで参戦していた歴史があるが、あまりに長すぎる戦いに手を引き、それ以降は2つの国の成り行きを静観していたのだ。
「シーレギアがローズメドウと手を組んでグルデシェールに干渉する目的は1つ、この国の地下深くに眠るとされる資源だ。その名も『魔石油』という」
「魔石油……?」
「十国大陸には、魔力を秘めた様々な魔石という鉱物が取れるが、魔石油は油のように液体化した魔石だと思えば良い。海の国シーレギアでは魔石油を使って様々な発明をし、文明を大きく加速させた。だが、魔石油は無限に取れる資源というわけではなく、限りがあるそうだ。だからシーレギアでは新しい油田探しで躍起になっている」
「それが、この国にあるというのだな」
「その通りだ。この国にどれほど眠っているか今はまだ分からぬが、シーレギアにいた頃の情報によると、埋蔵量を調べる方法があるらしい。もしこの国に魔石油が豊富にあり、国土が乗っ取られでもしたらどうなるか貴様にも分かるだろう」
搾取に次ぐ搾取が始まる。一部の民は労働力として残されるだろうが、殆どのグルデシェール人は自由を制限されるか、難民として彷徨い、十国大陸から居場所が消えて無くなるかもしれない。
「しかしシーレギアと完全に対立してしまっては全く勝ち目が無い。だから、魔石油という地下資源を餌にシーレギアと対等な関係を築きつつローズメドウの支配から逃れなければならない。そのためには再び正式な国家として立ち上がる必要がある。国家としての権威を保つために聖典が必要なのだ」
「……俺は学がないから確認しておきたいが、本当に、聖典にはそれほどの力があるのか」
聖典が非常に尊いものだという認識はあるものの、シャムスが生まれて物心ついた時には聖典は"返還"されてしまっており、実物を見たことがないので半信半疑である。
シャムスの質問にはバールードが答えた。
「戦後に育った若い世代には、聖典がどのような物であったかの実感がわかないのは当然ですな」
「バールードよ、今一度語ってくれ」
タリーフに頼まれ、彼は頷いた。
「かつて聖地イクリールの礼拝堂に聖典が祀られていた頃は一年に一度、年明けの一ヶ月間だけ、誰もが聖典を拝めるように表紙が閉ざされたまま公開されておりました。英雄アリババが女神から授かった聖典を開くには5つの鍵が必要であり、聖典戦争が起こる前は5大王国の王達がそれぞれ鍵を持ち寄って、一年に一度集い、聖典を開いて平和の誓いを立てていたのです」
土の国、風の国、火の国、水の国、雷の国、これらが5大王国と呼ばれていた。聖典を所持していた5大王国の盟主アリババが治める土の国は当時、絶大な力を誇っており、その栄華は聖典によってもたらされたものだと知った他の王達は焦り、妬み、憤り、恐れていた。
なぜなら聖典には"世界の理"が記されており、それを読み解けば絶大な力が得られるというのに、盟主アリババは他の王達に聖典の表紙を開くことは許しても、中身を読むことは頑なに許さなかったのである。盟主アリババの死後も、土の国による権力集中は続いた。
繁栄と栄華を独り占めしている事を不満に思った風の国の王は、永遠の国と名を改めた後にアリババを女神から聖典を盗んだ大罪人とし、他の王達と協力して聖典を奪う為の戦争を仕掛けた。
これが1000年もの間終わる事ない混沌とした争いを始めるきっかけになったと言われている。
「聖典に栄華を齎す力があるとして、ローズメドウに返還されてからは、聖典が開かれたという話は全く聞かないぞ」
「それはもちろん、ローズメドウが
聖典戦争が終わってから十一年、永遠の国は聖典の研究と国力の回復に専念していた。しかし、これからは海の国の力を借りて次の段階へ進もうとしている。タリーフはそれをシャムスに伝えたかったのだ。
「聖典を開けずとも、聖典を所持しているだけで大きな影響力がある。その気になれば諸外国と協力して開く事ができると言う事だ」
だから聖典さえあれば、交渉次第で大国を味方につける事ができる。
「聖典を盗むことは承知した。だが、どうやってローズメドウに侵入する。空を飛んで行くのか」
「余達だけならばそれを試すのも良いが、……他に輸送したいものがあるのだ。だから敵国の空を堂々と飛ぶわけにはゆかぬ」
「何を輸送する」
「この機会にローズメドウからグルデシェール人の奴隷を少しずつ逃す経路を確立させておきたい。それにはタヒーク商会が持っていた奴隷の密売経路を利用する。聖典を奪った際に、国内の奴隷を人質に取られる可能性がある。だから一人でも多く逃しておきたい」
ローズメドウの王都ローズウッドは、東西南北の名を冠した4人の大司祭の"祈り"によって守られている。"祈り"とは王都を覆う魔法障壁であり、いかなる攻撃や侵入をも通さない事で知られている。
つまり、城壁を超えて外から王都へ侵入するのは不可能で、国民登録証や、各領主から発行された証明書を持つ国民、もしくは外国からの入国証をもつ者だけが城門の厳しい審査を通過することができる。
正面から王都へ入るのは、変装をしていても合理的ではない。だから海路を使う。
「奴隷のフリをして密入国し、ローズメドウの奴隷商に接触、その後拠点を制圧する。上手くいけばローズメドウ国内にある奴隷の密売経路も把握できるだろう」
「制圧するのは構わないが、どんな大物が出てくるか分からないぞ。大事にならないか」
「……まあ、何とかなるだろう。細かい事はその時の状況を見て指示する。制圧できればローズメドウで活動する黄金の砂の足掛かりにできるし、制圧できなければ撤退して別の道を探す」
行き当たりばったり感は否めないが、バールードとブドゥールが口を挟まないのを見ると、タリーフへの信頼は厚いようだ。魔術士の力は、同じ魔術士が現れない限り唯一無二の力を誇る。
地図を眺めていたシャムスは、ローズウッドから程近い場所の一点を指さした。いつかの作戦で検討されたのか、丸い印が付けてある。
「この湖は何だ」
「その湖はローズウッドの水資源だ。王都と地下水路で繋がっているそうだが、利用するにしても到底呼吸が続かず、人が泳いで侵入できる距離ではあるまい」
「聞くところによると、王都の地下には巨大な地下宮殿とも呼べる地下貯水池が建てられているそうです。昔、戦争中にローズメドウでは
バールードが補足した。
「水が通っているのならば、障壁の効果は地下まで影響していないのか?」
「十分考えられる。司祭や魔法士が使う障壁には物理侵入無効以外の細かい条件は付与できないだろう。条件付けは魔術士にのみできる技だ」
「障壁が半円球型ということなら、水路を通っていけばおそらく王都内に侵入できる」
シャムスの言葉にタリーフは首を傾げた。
「……可能なのか?」
「俺の持つ神馬は元々兄弟馬だ。天を翔ける馬と水を翔ける馬がいる。そいつに乗れば、俺も水の影響を受けることがなくなり、巨大な水路を通れる」
「おお、流石は余が見込んだ男だ」
感嘆したタリーフとバールードは顔を見合わせた。
「殿下、この者が湖の水路を使えるならば、作戦の幅が広がりそうですな」
「海路に監視が着いてしまった場合にも他の抜け道は幾つか用意しておかなければならぬ。余は水の魔術が苦手なのだが、やはり対策をすべきか……」
二人が話し込み始めたので、シャムスは気になっていた最も肝心な事を尋ねる。
「それで、聖典はどこに保管されている」
「ローズメドウの王都、ローズウッド城にあることは間違いない。既に黄金の砂の斥候を何人か忍びこませているが、聖典の詳しい場所までは未だ掴めておらぬのだ。そこで貴様の出番というわけよ」
タリーフはローズウッドが記された場所を指先で叩きながら、シャムスに向かって笑みかけた。
「騎士団に潜入して、情報を集めて欲しいのだ」
ローズメドウ国家騎士団はローズメドウ教国の国防の要である。そこに兵士として忍び込むには様々な対策が必要だ。シャムスにとって敵国への潜入調査は生まれて初めての試みだ。
「無茶を言う」
「できぬのか……?」
「やるしかないのだろう」
「斥候からの情報によると、2ヶ月後に新兵を募集する入団試験があるらしい。そこに間に合わせる必要がある」
シャムスは自分の右手に嵌めてある指輪を見た。タリーフから譲られた魔宝具を使えば、強者が集まる騎士団で変装し続けるのにはうってつけだろう。
「騎士団には啓示を持たぬ者として入団する事になる。すると問題になるのはメドウ語だ。シェール語とは言い回しが異なる部分が幾つかある。それはバールードから教わると良い」
十国大陸の国々には独自の言語が存在するが、この世界の共通語は古代神話語と呼ばれ、啓示を授かった者だけが自然と理解できるようになる言語だ。古代神話語だけは教わらずとも会話や読み書きができるようになるが、その他の言語は自力で習得する必要がある。この世界の人々は母国語と共通語の両方を理解している者が殆どだ。
「この計画を達成するには最低でも一年近くはかかるだろう。まさに一世一代の大仕事だな。だがそれまでに、ローズメドウとシーレギアに動かれては厄介だ。先に問題を起こし牽制をしておく必要がある」
「まだ何かするつもりなのか」
「それはだな……」
タリーフの説明を聞きつつ、4人は計画について話し込んだ。一通りの会議が終わると、タリーフはシャムスを連れて商会の外へ出た。すっかり夜が更けている。
「商会の中は人が増えすぎて手狭になってしまったからな。ローズメドウへ発つまでは、懇意にしている宿屋を手配しよう」
商会の中の部屋は、入ってきた時よりも人が減っていたが、広間では多くの商人達が水煙草を吸いながら集まって談笑していた。
「あの者達はまだ働いているのか」
「さぁな、余は命令しておらぬから好きで集まっているのだろう」
「お前は変わり者ばかり集めているな」
違いない、とタリーフは小さく笑った。
「黄金の砂や麦の穂商会で働く者達の殆どは、生きる為に過去に罪を犯し、女神に怯え、心に弱みを持つ者ばかりなのだ。だから贖罪として誰かを、国を救う為によく働いてくれる。彼らのおかげで組織が大きくなったも同然だ」
「それなら俺も、おあつらえ向きというわけか」
「……そうだな。でも貴様は強い。悲しい事に、民達は"正義"の為に立ち上がり戦うには疲れすぎているのだ。これまで多くの犠牲を払い続けたのに負けたのだから、国を取り戻すという大義名分だけを掲げても、余の仲間は増えぬ」
タリーフは神殿の方向を示した。
王都イクリールの中央にある神殿はずっと封鎖されている。新しい法により、神に祈りを捧げる時は、ローズメドウがある北の方角に祈らなければならない。しかし、監視の目が届かない地方に住む民は、今でもあの神殿に密かに祈りを捧げている。でもそれは"罪"に値する。
「心の拠り所がなくなれば、人は簡単に道を踏み外す。そもそも罪人が多いのは国が貧しいからだ。正と悪が混沌としている中で、一体何を指標にすべきなのか、きちんと聖典に書いてあれば良いのだがな」
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