第11話 太陽を背に


 アサルラーハでは、タヒーク商会が麦の穂商会の傘下に入った事が知れ渡り、町は騒然としていた。

 ナスリとクムルが必死でタヒーク商会の帳簿を精査している間に、続々と麦の穂商会の商人達が各所から現れてタリーフの指示の元、入れ替わり立ち替わり様々な仕事を行なっていた。ナスリはこの仕事が終われば、家族と共に別の町へ移る事が決まっている。

 これまでアサルラーハではタヒーク商会が市場を独占していたが、これからは麦の穂商会と契約をしている様々な商会や商人達の商品が並び、移住者達が抱えていた不当な負債は解消され、奴隷として売られる事に怯える必要がなくなる。町はこれまでより賑わう事になるだろう。

 ムスアブ・タヒークを始めとするタヒーク商会の者は、麦の穂商会の商人達に監視されながら引き続き商人として仕事をする事が許された。タリーフとの契約に反して問題を起こせば、その時点で彼らの命は尽きるので、今のところは敬虔に働く事に必死である。

 

 シャムスはその混乱に巻き込まれながら、タリーフが命じた雑用を数日間に渡りこなしていた。日々はあっという間に過ぎていく。

 

 「お前はなぜ王になりたいと思うのだ」


 約束の期限である七日目の朝、王都へ戻る支度をしているタリーフやブドゥール達の前に現れたシャムスは、タリーフにそう尋ねた。

 

「このまま隠れて過ごしていても良かっただろう」


 それはかつて、シャムスがマタルに言われた事と同じだった。他の選択肢があるはずなのに、危険を冒してまで、なぜこの道を選ぶのかと。

 王子は生まれながらにして国王になる権利を持つが、一度滅ぼされた国を取り戻そうとすれば、ローズメドウと再び戦争になる可能性もある。そうまでして、王になろうとする理由を問うた。

 

「……うむ、そうだな。お前が思っているより、余は単純な男であるぞ」


 タリーフはシャムスの前に向き直ると、たっぷり間を溜めてから答えた。

 

「余は目立ちたいのだ」


 もう少し殊勝な事を言うと思っていたシャムスは拍子抜けした。タリーフは至って真面目だが、彼は普段から不敵な笑みを浮かべているので真意が読めない。


「……どういう意味だ」

「民から称賛される王になりたいと思ってる。類い稀なる素晴らしい王だと、褒めそやされ、万民に敬われ慕われたい」


 支度を終えたブドゥールが気を利かせてその場を離れたので、タリーフは中庭に続く短い階段へ腰を下ろし、話し始めた。シャムスは近くの柱の影に隠れたまま黙って聴き入る。

 

「余は物心ついた時から、自分は良き王になるのだという自信で満ちていた。なぜなら、生まれてすぐ魔術士という啓示を授かったうえに父王が切望した男子だったからだ」


 タリーフの父、オマール王はなかなか子宝に恵まれず、タリーフの兄や姉達は早世していた。啓示を授かったタリーフ王子の生誕は国を挙げて祝われたという話は有名である。


「余が立ち上がり、歩き、何かをする度に、すごいすごいと褒められた。周囲からの期待を一身に背負い、王になるための勉学や知識も喜んで学んだ。父王や、歴代の王よりも民に慕われる優れた王になりたかったのだ。余の夢はその頃から明瞭だ。 あの大敗の戦火から逃れしばらくして、余とブドゥールは父王の家臣バールードと共に海の国へ亡命し、そこから諸外国を旅して見聞を広めていた。その時も余は一人では無かった。常に誰かに支えられて生きてきた」


 タリーフには、ブドゥールとクムルの他にも亡命してから11年の間で仲間になった協力者が沢山いる。その全員が、彼を支え、タリーフを王にすべく身を捧げ働いている。それはタリーフが正統な王子である以前に、人格者として、先導者として、人を従えるだけの魅力があるからだろう。

 

「皆が口を揃えて“王子は恵まれている“と言うだろう。余もそう思う。恵まれているからこそ、この恵みを他者に分け与えたいとすら思っている。だから余は王になりたいのだ。この国で一番恵まれているからこそ、この国の民のためにこの身を捧げる覚悟と余裕がある。余の強運はきっと女神から与えられたに違いない。運の強い者が王になるべきなのだ」


 彼は誰一人として余裕がないこの国で、民を救い、導き、支えるだけの余裕があると言い切ってのけた。たった一人の人間が“人を救うための責任“を負うには限界がある。だが、国王になれば全ての民を救うだけの力を得ることができるだろう。

 タリーフは仲間を集め、少しずつその目的に向かって駒を進めている。そして、王になれば民から称賛されるだけの大業を成せるという自信があるのだ。

 

「恐ろしいほど高慢な男だ」


 シャムスは失笑するしか無かった。盗賊を倒すことしか考え付かなかった自分とは違い、タリーフはもっと根本的な部分から国を変えようとしている。それこそシャムスが望んでいても、手が届かなかった事だ。


「そう自信満々に言われては、お前を否定しようがない。もしお前が王になったら一体、どんな国にするつもりだ」

「余の力でこの砂漠の国を、世界で一番富んだ国にしたい。そのためには一人一人が豊かにならねばならぬ。豊かになるには他の国々を相手に商売をするしかあるまい。彼らが大金をはたいてでも欲しがるものを作り出し、売るのだ。この国は万人の腹を満たす麦の穂であり、万人は富を生み出す黄金の砂でなければならぬ」


 聖典戦争が起こる1000年以上前、砂漠の国グルデシェールは世界で一番豊かな国であり、黄金時代にあった。その金色を、シャムスはタリーフの瞳に見たような気がした。

 この国が今より少しでも良くなれば、シャムスの願いが叶うだろう。そう思わずにはいられなかった。

 

「タリーフ王子……なるほど、名前の通り“新奇“な男だ。今のこの国に必要なのは、お前のような新進気鋭な王なのだろう。お前が他の権力者と同じように、民を苦しめるような支配者になるとは考えにくいが、もし道を外れた時は、俺はお前の剣ではなくなるぞ」


 シャムスはタリーフが座る階段を降り、彼を見上げると、その場に片膝をついて王子に対し臣従の礼をした。そして指導者の右手を取り、服従する者はその上に手を乗せて宣誓する。これがグルデシェール式の忠誠の誓いバイアである。

 

「イフラースの息子、盗賊のシャムス。これよりタリーフ王子の家臣に加わる」

 

 タリーフはシャムスを立たせて満足気に微笑んだ。


「太陽の名を持つ男が余の背を守るのだ。これほど心強い事はない」

「調子のいいことを。俺は盗賊だぞ」

「どんな啓示を持つかは重要ではない。大事なのは、何をするかだ」


 タリーフが善人と悪人、啓示の有無を問わず臣下に引き入れているのは彼の持つ信条に由来する。

 信じるに値する主人あるじだと見込んで、シャムスは打ち明けた。


「タリーフ王子、俺は褒美目当てでお前に尽くすのではない。だが……俺には故郷に残した家族がいる。王子が大業を成した後ならば、俺は罪を償い罰されて構わない。だが、家族だけは見逃して欲しい。家族は俺の罪に関わっていない」

「良かろう。貴様を信じ、貴様の家族を守ると約束しよう。他にも望みがあるのならば、申してみよ。3つまでなら聞き入れてやるぞ」

「そんなには無い。それに、お前が王にならなければ話したところで意味がないだろう」

「それもそうだ。まずは余が王にならなくてはな。だからこれを受け取るのだ」


 タリーフは右手から例の指輪を抜きとってシャムスへ渡そうとした。けれど、シャムスはそれより早く手を引っ込めて首を振る。

 

「……それは無理だ」

「いいや、この指輪は必ず貴様の役に立つ。早速、頼みたい仕事があるのだ」


 半ば強引に指輪を押し付けたタリーフはシャムスに指輪を握らせ、その端正な顔に堂々とした笑みを浮かべて言った。


「シャムスよ、余の為に『女神の聖典シャハナーダ』を盗んで来てはくれまいか」


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