第10話 残された者達の記憶



 マタルが言った“無責任“の意味を、シャムスはようやく理解した。もしビルカ達があのまま途方に暮れて、迷った挙句魔物に襲われていたらどうなったであろうか。マタルが来なければ本当の意味で助かったと言えなかったのではないか。

 盗賊を殺すことで多くの人が救われると信じていたが、その過程で助かるはずだった命を見捨てる事は、本末転倒になる。

 シャムスはこれまでの自分の行動を鑑みて、俯いた。

 

「俺は、今まで牢屋の鍵を開けるだけでいいと思っていた……」

「わかってきたようだね。……アタシがアンタくらいの年頃だったら、そんな事到底言えなかったよ。アタシは厳しいことを言っていると思う。それを受け止められるシャムスはもう、大人なんだな」


 過酷な環境で育ち早熟した少年の境遇を察して、マタルは苦笑いをした。


「弱いままでは、本当の意味で助けられる命の数には限界がある。盗賊から家族や故郷を助けて守りたいなら、アタシを超えるくらい強くならなきゃダメだ。このままじゃアンタは本当の意味で大人になる前に早死にする。だからアタシは強引にでもシャムスを故郷のじいちゃんとやらの前に連れて行く」

「それは駄目だッ」


 マタルに連行されれば、逃げ出す事はできないだろう。シャムスは自分の弱さを改めて自覚した。

 

「強く、なりたい……」

「それなら、アタシが持つ知識や技をお前に教えよう。それが妹達を救ってくれた礼だよ。見ての通り貧しいから、金やご馳走は振る舞ってやれない。でも狩人の知識があれば今後、シャムスが生きるのに大いに役立つだろう?どうだい」

「どうして俺にそこまでする……」

「知ってほしいからさ。恩人であるシャムスには、このまま復讐の道へ進んでほしくない。今が一番、柔軟な時だ。強くなれば物事の選択肢が増える。それに大人の意見アドバイスというやつは、頭ごなしに言ったところで理解されなければ意味がないからね」

「……わかった。俺がマタルより強くなって、人助けの責任を取れるようになれたら、自分の好きにする」

「それがいい、そうしよう」


 マタルはシャムスに手を差し出した。それに応えて手を握る。彼女の手は硬く、力強かった。

 

「ところでシャムスはアンタのじいちゃんに、盗賊を倒して回っている事を教えているのかい?」

「何も教えていない。じいちゃんは……俺が盗賊に殺されて死んだと思っているだろう。その方がじいちゃんと妹にとってもいい」

「ハァ〜〜……子を持つ大人の気持ちが分からないなんて、シャムスはまだまだ子どもだなぁ……。教える事は山ほどありそうだよ」


 マタルの大袈裟な落胆ぶりに、シャムスはムッとした。

 

「マタルだって、子どもがいないなら親の気持ちは分からないだろう」

「……シャムス、仮にもしアンタの妹が盗賊の啓示を授かって、アンタのように一人で盗賊を倒しに回っていたら心配しないのかい?」

「それは……。妹は俺とは違う。そんな事はしない」

「シャムスのじいちゃんだって、アンタに対して同じ事を思ってるかもしれないよ」

「…………。」


 何も言い返せなかった。その通りだと思ったのだ。


「いいかい、こういうのは相手の気持ちに立って考えるのが大事なんだよ」

 

 こうしてシャムスは暫くの間"竜の寝ぐらの村"に居つく事になった。

 彼が最初にやらされた事は、祖父に事情を記した手紙を書く事だった。啓示を授かった者は、自身のステータスなどに表示される古代神話語を自然と理解できるようになる。古代神話語だけは誰かに教わらずとも会話や読み書きができるようになるので、手紙のやり取りが可能なのだ。

 手紙、といってもこの村に紙は無いので、マタルが取ってきた獣の皮に膠と炭を混ぜたインクで書く。

 込み入った事情は省き、盗賊の啓示受けて隠れて暮らしているという安否を知らせる簡潔な内容を記し、それを町へ行く女達に届けて貰った。手紙は行商人の手を渡り、長い時間をかけて土煙の村にたどり着くだろう。

 

 竜の寝ぐらの村がある岩山を超えた先の荒野に狩場があり、シャムス達は毎日、食料となる獣を狩った。

 マタルに、風のよみ方、脚の速い魔鹿や魔牛の狩り方、ツノの加工や肉と毛皮の捌き方などを教わった。スキルを持つ狩人のマタルほど上手く出来なくても、知識として得られる事は多く、シャムスは多くを吸収していった。

 マタルと戦いの手合わせをする事もあった。弓と短剣を使う彼女は、シャムスの良い師となり、習得したスキルがどのような物かを試す環境もあった。

 ビルカ達が作った刺繍織物や、魔物の毛皮や骨を売りに、護衛で町へ行く事もあった。今まで大きな町に入った事が無かったシャムスには、さまざまな知識が新鮮だった。

 そして、自分がいかに狭い視野で物事を判断していたのか、マタルが伝えたかった事の本当の意味を理解できるようになったのは、3年が過ぎた頃である。


 この頃のシャムスは、歳を取るごとに得る人生経験値に加えて、マタルと魔物を狩り続けた経験値と、3つの盗賊団を滅ぼした事で得た経験値により年齢とかけ離れた人生経験値を獲得していた。

 目安として、ごく一般的な人生経験レベルは年齢にある程度比例しており、50レベルを超えれば、歳を取る以外での人生経験値は上がりにくくなる。現在、十国大陸の平均寿命は、国によって差異はあるが、およそ50歳前後である。生涯で100レベルを超えれば、国家権威として認められる程の専門家や、達人、偉人として評価される。

 啓示を授かってから村人のために何年もの間、魔物を狩り続けていたマタルは狩人として一流だが、シャムスは彼女に迫る勢いで強くなった。

 

「あと半年で追い抜かれそうだね。大分体力がついてきたじゃないか」


 マタルとの手合わせを終えた帰り道、二人は狩りの獲物を引きずりながら村へ戻っていた。成長期の子供が多い村は食料の確保が欠かせない。余った分は加工して町に売ることもできる。

 近頃のマタルは、シャムスの成長を間近で見て彼の旅立ちの日の近さを感じ取っていた。シャムスの背は彼女の肩と同じくらいの高さまで伸びている。

 

「シャムス、これからどうするんだい」

「……やはり俺は、目の前の問題から逃げる事はできないと思う。盗賊の被害に遭っている

「アンタがやらなくてもいいんだよ。故郷の村に戻っても、ここで妻を娶り家族を作っても、別の場所へ旅しても、何だってできるんだ」

「マタルが啓示を受けた狩人であるように、俺も盗賊なんだ。だから奪われた物を奪い返し、大切な物を奪われる前に、奪う。誰かを守る為に、必要ならば誰かを殺す。そこからは逃げない」

「狩人も変わらないさ。生きるために命を奪うんだ、奪う相手が人か、それ以外か、些細な違いだ」

「……マタルの教えは無駄になってない。知った上で、自分で選んだ。俺の進む道だ」

「頑固な奴だ、本当に」


 前方を歩いていたシャムスが異変に気づき、立ち止まった。ローズメドウの騎士小隊が、竜の寝ぐらの村の入り口まで向かって来ていたのだ。

 

「おいマタル、見ろ」

「……!ローズメドウの騎士だ、何だってこんなところに」


 騎士達を先導しているのは町まで織物を売りに行っていた村の女達だ。背中を押され無理やり歩かされている。シャムス達は様子を伺いながら、急いで村の方へ戻った。

 その途中でマタルは隣にいたシャムスへ耳打ちする。


「シャムス、アンタは隠れてな。もし何かあったら助けてくれ」

「ああ」

 

 シャムスはこの3年で使いこなした隠密スキルを使い気配を消して、岩山の頂上に登ると、穴から村の様子を覗いて見守った。

 騎士に連行されていた女は、村人達に向かって怯えながら言った。

 

「ごめんなさい……織物をどこで作ってるのか聞かれて、逃げられなくて……」


 彼女達が作っている刺繍織物は竜の寝ぐらの村に住む民族独自の伝統刺繍だ。グルデシェール人の中でも幾つかの民族は存在するが、その中でも竜の寝ぐらの村の民族刺繍は珍しいので目をつけられたのだろう。

 ローズメドウの騎士達は捕まえた女を盾に、竜の寝ぐらの村人達に命令をした。

 

「並べ!全員並ばねば反逆罪で捕える!」


 村の中心にぞろぞろと村人達が集まり、指示されるまま並んでいく。騎士達が村人の人数を数え、記録が終わると小隊長が村人達に宣言した。

 

「執政官様が定めた法により、人口が50人に満たない村は放棄とする!よってこの村もその対象だ、直ちに近隣の町へ移住せよ!」


 ここの村人は30人にも満たない。男が殆ど居なくなってしまったので、村人がこれ以上増え続ける事はないだろう。

 グルデシェールでは、人口が減り続けた村の村人を集めて合併させ、新しい町を作るという政策を行なっている。財政難により、生活圏の分散や広域化に対応できないのだ。そして、人口を集中させる事で生産効率を向上させる狙いがある。


「今になって何だっていうのさ……。この近くをウロついてた盗賊がいなくなったから、騎士様もここまでお出ましなれたんでしょうに……」

「シッ……」


 近くでぼやいていた村の女をマタルが嗜めた。並ばされていた別の女が、騎士の前で膝を折って懇願した。

 

「あの……私たちはここにいないと、夫達が帰ってくるかもしれないからこの近くにいないといけないのです……」


 それを聞いた一人の騎士が失笑した。

 

「あのなあ、奥さん。帰ってくるって言ったて戦争が終わったのは8年も前のことだぜ?もうとっくに死んでるって」


 死んでいる。その言葉はこの村の女達の前では禁句だった。皆薄々分かってはいても、希望を捨てずにこれまで生きて来たのだ。騎士から突きつけられた現実は、女達に重くのしかかった。

 

「アンタ達が……!アンタ達が息子を殺したんじゃないか!アンタ達が奪ったんじゃないか!それをよくも……!返しておくれよ……!」


 一人の老婆が、失言をした騎士に掴みかかって縋ったが、彼は乱暴に払い除けて腰の剣に手をかけた。

 

「おいババア!戦争で死んだのはお前達泥棒民族だけじゃねえんだぞ!いつまでも被害者面しやがって!今すぐ息子に会わせてやろうかぁ!?」

「やめろ、規約違反だぞ。従わない連中は縛って連れて行け」


 小隊長がすぐに止めたので、老婆は切り捨てられずに済んだ。打ちのめされた女や老婆を抱き起こして、マタルがみんなに声を掛けた。

 

「いずれはアタシ達だけじゃ暮らせなくなってかもしれないんだ。……みんなで従おう。竜の寝ぐらの村が無くなるわけじゃない。またみんなで戻ってこればいい」


 重い足取りで最低限の荷物を纏め始めた女達は、騎士を先頭にぞろぞろと列を成して村を出ていく。目的地はいつも刺繍織物を売りに行っているウグニヤという町だ。

 騎士達が離れていったあと、マタルは合図をしてシャムスを呼び寄せた。

 

「行くのか」

「ああ、アタシはみんなに着いていてあげないとな」


 彼女はシャムスに手を差し出した。

 

「一緒に行こう」


 シャムスは迷ったが、結局その手を取らず、首を振った。別れは、予想していたより少し早く訪れた。


「俺は、いかない」

「そうか……」


 マタルは極めて残念そうにしたが、強引に連れて行こうとする気は無かった。


「……アンタはまだアタシに勝っていないんだ。だから無理をするんじゃないよ」

「分かっている」

「それから、アンタのじいちゃんにも会いに行ってやるんだ。手紙も忘れずに書くんだぞ」

「ああ」

「アタシ達はひとまず、ウグニヤにいる。アンタはアタシの弟分みたいなもんなんだから遠慮せずにいつでも頼りに来な」

「ああ」

「全く、別れ際まで素っ気無いやつだな。また会おう、シャムス」


 明るく笑ったマタルは歩き出し、途中で一度振り返ってから再び進んで村の出入り口に向かっていく。

 

「……マタル、ありがとう」


 シャムスの声が届いていたかは分からないまま、銀の髪を靡かせた彼女の背はだんだんと小さくなり消えていく。マタルはシャムスにとって師であり、歳の離れた姉のような存在だった。

 

 村の奥の岩壁の下には今も砂竜の牙が祀られている。この村では女神を祀る日とは別に、一年に一度、砂竜に感謝する祭日があった。誰一人としていなくなってしまったこの村で、あの伝統が守られ続けるのかはもう分からない。

 シャムスは3年過ごしたこの場所に、故郷とは違う寂寥感を覚えながらも立ち去った。


 竜の寝ぐらの村を出てから、シャムスはすぐに盗賊狩りを再開する。その後ウグニヤという町に一度だけ寄った事はあるが、マタル達の姿を見つける事ができなかった。

 新しい法のせいで移住を余儀なくされても、移住先の町に馴染めず、別の町へ転々と移動する事はよくある話だ。彼女達はきっとどこかで、あの竜の寝ぐらの村に戻る日を夢見て暮らしているのだろう。

 この国が少しでも良くなれば、マタル達と再会する日が来るとシャムスは信じている。

 

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