第6話 黄金の砂



 タリーフの挑戦的な視線を受けたシャムスは、先に目を逸らした。

 

「……お前は盗賊じゃない」


 グルデシェール王国を奪い返すという彼の野望は随分と大それているが、王子であるタリーフが王位につこうとするのには正統性がある。盗賊という立場に負い目のあるシャムスはその事について口を挟もうとしなかった。

 

「余が悪人でないと、タヒークのような悪徳商人ではないと、なぜ言い切れる?」

「見ればわかる」

 

 タヒークに奴隷売買を辞めさせた男がもし、タヒークと同等かそれ以上の悪人なのだとしたら、それは己に見る目がないだけなのだとシャムスは割り切る。これまで散々踊らされた後であるし、彼の実力を既に認めている。

 この場から立ち去ろうとすると、タリーフが引き止めた。

 

「どこへ行く」

「黄金の砂がお前の手に渡っていたのなら、もうここに用はない。俺の目的は達成された」

「まあ待て、貴様にまだ話がある」

「それは命令か」


 改めて振り返ったシャムスを前にタリーフはフッと鼻先で笑った。

 

「いいや。余は確かに王子であるが、国王ではない。これは貴様に対する“お願い“だ」


 彼は椅子から立ち上がってシャムスに一歩近づくと、手のひらに黄金の指輪を乗せた。

 

「これは貴様程の男を欺いた魔宝具『逆さまの愚者』という指輪だ」


 指輪にはロープのような模様が透かし彫りされており、美しい逸品だ。これこそがカマラルとして変装するのに使っていた魔宝具であり、シャムスの鑑定と真贋精査スキルを凌駕するほどの力を備えている。

 

「変装や偽装工作スキルがなくともステータスと容姿を変える事ができ、既にスキルを持つものはその効果が増幅される。貴様が持つ『隠者の面』と少し似ているが、この魔宝具の特性は、経験値が高くより強い相手ほど騙される。というものだ。暗殺対策用の魔法具として、余が父上から譲り受けた家宝でもある」


 その指輪をシャムスの前に差し出した。


「これも褒美として授けよう」

「……そんな貴重なものを受け取れるはずがない」


 先王から授かったということは、先祖代々王家に伝わる国宝でもある。護衛の報酬としては随分過ぎたものだ。あまりに恐れ多くて、これを喜んで受け取る者はいないだろう。

 

「この後の話を聞いて判断するが良い」


 シャムスが断ることを見越してか、タリーフは続けた。

 

「シャムスよ、余の家臣になってくれ」


 一体何度驚かされれば済むのか、シャムスは面食らったまま王子の真意を確かめるつもりで灰色の瞳を見るしかなかった。王子が一番不名誉な職業である盗賊を身近に置くのは立場的に大きく不利になる。


「俺は人殺しの盗賊だぞ、なぜだ」


 騎士や戦士、魔法士とは違う。念を押すとタリーフは微笑んだ。


「この数日行動を共にしたが、実力は申し分ない上に心根も悪くない。そして盗賊アリババは義賊として民からの支持が厚い。余が大業を成す為には欠かせぬ人材だ。信頼のおける腹心は何人かいるのだが、余にはいざという時のがおらぬ。実力と胆力のある者が欲しい」


 腰刀ジャンビーヤとは、この国の男が日常使いする為に腰へ差す便利な短剣だ。シャムスの得意武器でもある。


「貴様程の男をこのまま手放すのは惜しい。盗賊は、グルデシェールの法では死罪だ。しかしこれから国の為に功績をあげ余に忠義を尽くせば、余が国王になった暁には放免とし、望んだ褒美を取らせよう。女神に誓って約束は違えぬ」


 窃盗や強盗、殺人をはじめとした犯罪は、女神教の宗教教義に反し、厳罰に処される。国政と宗教が深く関わってきたこれまでのグルデシェールの常識から逸れたタリーフの言動は、今までと違う未来を見据えている事をシャムスに予感させた。


「シャムスよ、この国には盗賊以外の問題も山積みなのだ。それらを解決するために余は国王になる。だから貴様の力が必要だ」

 

 家臣になるという事は、シャムスの今後の人生を大きく左右する。その決断はすぐにはできなかった。

 

「……少し考えさせてくれ」

「良かろう。タヒーク商会の後始末と今後の計画の準備のために暫しここへ留まる。7日後、アサルラーハを発つまでに、返事を聞かせるのだ。それまでは余の仕事ぶりを見ておくのだな」

 

 タリーフは再び椅子に腰掛けて、ゆったりと脚を組んだ。そして彼が再び魔宝具の指輪を嵌めると、赤い髪と灰の瞳は黒く染まっていった。

 


 □―□―□

 


 翌日、一羽の魔大鷹グリフォンがタヒーク商会の中庭へ降り立った。背中に乗っていたのは目元以外の全身を黒い布で隠した女と、商人風の男の二人だ。彼らはタリーフの前に並ぶと、女が先に話しかけた。


「殿下、寄り道をするのならば事が終わった後ではなく、先にお知らせいただかないと。随分心配しました」

「すまなかった、そのような時間がなかなか得られなかったのでな」


 会話を聞きつけた一匹の砂猫がどこからともなく現れ、タリーフの足元を通り抜けてから女の胸へ抱かれにいった。彼女が猫を抱えて撫でていると、タヒーク商会の建物を見渡していた商人風の男が尋ねた。


「それで、こんな大層なところに俺まで呼び寄せて一体何です?殿下があちこちで増やした麦の穂商会の仕事がまだまだ山積みなんですけどねぇ」

「うむ……本題へ入る前に、先に紹介しておこう」


 タリーフは後ろを振り返り、誰も居ない空間に向かって声をかけた。

 

「シャムス、いるか」


 柱の影にもたれ掛かっていたシャムスが、隠密スキルを解いて現れた。


「……何だ」

 

 タリーフ以外の二人は突然姿を見せたシャムスに驚いた。タリーフは女の方から順番に紹介する。


「彼女は従魔士のブドゥール・アル・ナファルだ。余の再従姉弟はとこである」


 猫を抱えたブドゥールの髪や口元はベールで覆われているが、瞳はタリーフと同じ灰色をしている。彼女もタリーフと一緒に生き延びていた王族の一人だ。


「そして隣にいるのが商人のクムルだ。麦の穂商会の運営の一端を任せている」


 眠たそうな垂れ目と長い下睫毛が特徴的な、駱駝のような顔の若い男だ。この中では年長者である。タリーフが今度はシャムスの方を手で示した。

 

「この男は盗賊のシャムスだ。あの“盗賊アリババ“だぞ。色々と助けて貰っている」


 盗賊アリババの名は彼らにも知れ渡っている。クムルが驚嘆の声を上げた。


「ええっ彼も殿下の家臣になったのですか?!」

「いいや、まだ口説いている最中である」

「なーんだ」

「殿下は……、」


 クムルが残念そうにしていると、ブドゥールがシャムスに向かって話しかけた。落ち着いて凛とした声色だが、内容には熱意がこもっている。

 

「殿下は商談の帰りに盗賊アリババに会いにいくと言って、我々の制止を聞かず、お一人で南の街サターラに向かうとわざと盗賊に捕まり、貴方が来るのを待っていました。一緒に王都へ戻ってくるからと……」

「待て、ブドゥール……」

 

 彼女はタリーフの制止を無視し、胸に抱いている砂猫を片手間に撫でながら大きな瞳でじっとシャムスを凝視している。

 

「分かっているとは思いますが、殿下が生きていると知った以上はくれぐれも秘密をお守りください。わたくしは従魔士、従えた魔物や動物の目と耳を借りてどこにいても情報を得ることができるのです。もし貴方が殿下の信頼を裏切り、意にそぐわない事を為されば、私が必ず裁きに参ります。いつでも私の目が行き届いていることをお忘れなきように」

「……、」


 彼女の脅しとも言える気迫に圧され、シャムスは隠密スキルを使いスーッと姿を消しながら逃げようとした。慌ててタリーフが引き止める。

 

「待て、行くなシャムスよ……!まだ用があるのだ」


 軽い顔合わせが済んだところでようやく本題に入る。


「クムルよ、まずはそなたにタヒーク商会の帳簿を確認してもらいたい。裏帳簿があるはずだ。正確な金の流れが分かり次第、タヒーク商会を麦の穂の傘下に入れる」

「まっまた俺一人でですかぁ?!」


 嫌な予感がしていた、とクムルは涙目になりながら不満をこぼした。彼は日々、タリーフのせいで急速に大きくなる麦の穂商会の運営で多忙の身である。今回の様に悪徳商法に手を染めた商会を吸収するのは過去にも何度か経験している。

 タリーフはクムルの忙しさを理解していても、頼れる優秀な人材の少なさ故にクムルを振り回すしかないのである。

 

「金勘定はそなたに任せるのが一番正確で早い上に、そなたの手腕を一番信頼しているのだ。人手がいるなら、後で遣わせよう」

「まったく殿下は人使いが荒いんだから……!それで帳簿があるのはどこの部屋ですか!何でこんなに広いんだこの商会はっ!」


 ぷりぷりと怒りながらもクムルは部屋を出ていった。

 

「ブドゥール、タヒーク商会の奴隷売買の密輸経路を利用して例の計画を進める。王都で準備を始めるのだ」

「畏まりました」


 ブドゥールは砂猫を床へ下ろすと、早速魔大鷹に乗って飛び去った。


「さて……シャムスよ。ムスアブ・タヒークから奴隷売買の協力者の名や密輸経路を聞き出した後は、この町にいる他の関係者もここへ全員連れてくる必要がある。余を手伝ってもらえるか」

「……いいだろう」

「ああ先に、ナスリ殿をクムルの所へ連れて行かねばな。いずれはクムルに人事を任せるつもりだから顔合わせには良い機会だ」


 シャムスによって商人ナスリと彼の家族はタヒーク商会の監視から助け出され、宿屋の一室に匿われていた。脅威が無くなった今は、自分達の家に戻っている。二人が彼を呼びに行くと、ナスリは喜んで仕事を引き受けた。ちなみに彼はタリーフが王子である事を知らないままだ。

 その足で、シャムス達は商会の地下牢に閉じ込めていたムスアブ・タヒークの元へ訪れた。

 一日監禁されていたタヒークは、頭が冷えたのか、抵抗することなく素直に情報を吐いた。魔術士である王子を前に悪あがきをする気力も無くなったようで、少しでも延命する道を選んだのである。

 聴き出した情報を元にシャムスが捕えてきた共犯者達が、縄で縛られたままずらりとタヒーク商会の中庭に並べられた。首謀者のムスアブ・タヒークとタヒーク商会の者をはじめ、町の金貸屋や名士達もいる。


 タリーフは彼らの前に立つと、指輪の魔宝具の力を解いた。タリーフ王子の姿を初めて見た者は皆一様に驚き、これから裁きを下されることを渋々受け入れ萎縮した。

 タリーフにこのような権限はないが、殆どのグルデシェール人の忠誠心は今も王家にある。王族を滅ぼした仇敵、ローズメドウから来た支配者達や、彼らに媚を売って就任した州王達には微塵も持ち合わせていない。

 彼らに裁かれるくらいならば、亡国の王子の決定に従うほうがマシという事なのだ。グルデシェール人にとって、それほどまでに王家の血とは尊いものである。


「タヒーク商会は麦の穂商会の傘下に加わり、今後は商会長である余の定めた運営方針を絶対遵守とする。そして次に申しつける条件の一切を誓約とし、余に忠誠を尽くせば減刑とする。毎日女神に欠かさず祈りを捧げて許しを請い、敬虔な信徒として悔い改めるのだ」


 タリーフは今後の奉仕条件を述べた後、ムスアブ・タヒークらに血判状を押させた。魔術士が定めた血の誓約を少しでも違えれば、その時点で死を賜るのだと、タリーフが脅すと、ムスアブ・タヒークらは平伏し忠誠を誓った。

 

「なぜあの者を処刑しない」


 一連の流れを見ていたシャムスは、近くにいるタリーフにのみ聞こえる声量で言った。首謀者であるムスアブ・タヒークだけでも見せしめとして処刑すべきだと考えている。


「確かに奴は欲深く外道であるが……人手が足らぬ故に、弱みを握れば今は使い所がある。それに、心根の良い者だけが有能とは限らぬのだ。奴にはまだ機会を与えても良いと判断した。真に罪深い者であれば女神が赦さぬだろう」


 隣に立つ男の、ほんのわずかな表情の変化を読み取ってタリーフが尋ねた。

 

「何か言いたそうだな。余のやり方が不服か」

「タヒークは信用ができない。いつまた裏切るかわからない。例えその場で赦しを請うたとしても、手綱を緩めれば次の日にはまた悪知恵を働かせて力のない者から搾取する」


 シャムスの決めつけたような物言いに、タリーフは不思議がる。

 

「ふむ、それは貴様の経験か。……そう言えば、盗賊アリババは、盗賊達がいくら命乞いをしても一切の慈悲を与えなかったそうだな」

「……盗賊は、力のない者がどれだけ命乞いをしようが奪い続ける。盗賊は、奪われ、命乞いをする立場になってようやく、己の罪を自覚する。だから俺は慈悲を与えない。最も酷い行いをした者の屍を、焼いたことだってある」


 女神教の信仰に厚いこの国では死後に、神の世界へ迎えられると信じられている。それには肉体を残しておく必要があり、土葬が基本である。死体を焼くのは、神の世界への道を閉ざし、地獄の業火に焼かれる事と同義である。余程のことが無い限り、火葬はしない。

 

「……なるほど、盗賊に怨恨があるのだな。だとしたら、貴様が盗賊の啓示を与えられたというのは随分、皮肉が効いている」

「逆だ。盗賊の命を奪ったから、俺は盗賊になったのだ」


 そう言い残し、シャムスはタリーフの側を離れた。去っていく彼に届いているかは分からずとも、タリーフはすっかり日が落ちた星空を眺めて言った。


「見せしめで恐怖を植え付けるだけでは、人々は真についてくる事はない。難しいものだな」


 

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