第5話 亡国の魔術士



宮廷魔法士とは、今は亡き先王、オマール・アル・シャルフーブの在位時代に聖典戦争で重用された官職である。魔法士やそれに準ずる職業の啓示を与えられたごく一部の者のみが就くことができた。敗戦後は殆どが捕えられて処刑されたが、こうして匿われて密かに生き延びた者もいる。

 宮廷魔法士は、その証として魔力を増幅させる効果のある赤い"魔石"がついた耳飾りをつけている。この魔石は非常に高性能で高価故に、例え身分がバレてしまおうとも、手放す者はそういない。


「シャムス、大丈夫か」

「問題ない」


 シャムスは両手剣を構えると、元宮廷魔法士の男を睨み、鑑定スキルをかけてステータスを読み取った。


「……やりにくい相手だ」


 隠し武器の麻痺針を投げると、魔法士に当たる直前で、透明な板に弾かれたようにパラパラと床へ落ちていく。目に見えない魔力の障壁が貼られているのだ。生半可な攻撃は通用しないだろう。

 シャムスはすぐ近くで心配そうにしているカマラルに言った。

 

「手加減ができるかは分からない。本気でやるなら殺してしまうぞ」

「ハハハハハ、……私を殺すと?手練れた暗殺者か盗賊か分かりませんが、魔法を使えぬ相手なら私に取って造作ないことです」


 ニザールはシャムスを見て嘲笑った。そして片手を突き出すと魔法の詠唱を始める。

 

「天を貫く女神の一矢、我が指し示す方へ光を降ろしたまえ!雷矢サハムアルラエード――!」


《スキル暗殺:煙分身――》

 

 ほぼ同時に発動したシャムスの煙分身は、何本もの弓矢のような稲妻によって同時に掻き消された。室内の床や壁が弾け飛び、土煙が上がる。シャムスは壊れた壁からカマラルを連れて中庭へ出た。

 

「シャムス、貴様はこれまで魔法士と戦ったことがあるのか」

「ない」

「なら不用意に近づくな。宮廷魔法士は肉弾戦には弱いが、それを補うだけの対策を必ずしている。あの装飾品も、どれかが魔宝具に違いない」

「……わかっている」


 シャムスにとって、ニザールの経験値レベルはそれほど驚異的ではないが、物理攻撃を主とする戦闘職業は、この世界に流れる魔力という概念を感じ取ることができない。よって、魔法を扱う戦闘職業には攻撃の威力で押し負ける可能性があり、相性が悪い。

 

「下がっていろ。俺の技はお前を巻き込む」


 魔法士の詠唱を止めるには毒煙を撒く必要がある。そのスキルを使うには毒煙の効果範囲が広すぎるためにカマラルが邪魔だ。


「待て、本当にあの二人を殺すつもりか」

「でなければ俺達が殺される。お前を守りながらでは、加減ができるほど隙がある相手ではない」

「……な、ならん。奴らにはまだ聞き出せていない情報がある」

「タヒークは良くても魔法士は喉を切らねば魔法を使う。一人は諦めろ」


 何やら意を決したカマラルはシャムスの肩を掴んで下がらせ、一歩前に出た。


「……仕方あるまい、余が出る」

「何をするつもりだ」


 シャムスが引き止めようとする前に、カマラルは自分の右手の中指に触れ、何かを抜き取るような仕草をした。


「余の姿を見て逃げるでないぞ。貴様との取引はまだ終わっておらぬからな」


 次の瞬間、カマラルの髪が徐々に赤く染まり、瞳の色が灰色に変わっていく。否、本来の姿へと戻っていっているのだ。変装の効果が解け、何も持っていなかったはずのカマラルの右手には黄金の指輪が存在していた。

 魔宝具である。


 先ほどとは打って変わって威圧感を放つカマラルに、シャムスや二ザール、タヒークを始めとしたこの場にいる人物は一斉にカマラルを凝視した。


「魔法士は余が相手をする。シャムスは他の者を必ず生きたまま捕えてくれ」

 

 堂々とした声色、燃えるような柔らかな赤毛と、燃やし尽くしたような灰の瞳。伝統的な金細工を施した青緑色の魔石の耳飾りが、中庭に差し込む太陽の光を受けてキラリと反射した。

 グルデシェール人は王族を一目見ただけで分かる。なぜなら王族は皆、同じ髪色と瞳の色を持つからだ。


「ま、まさか……、王族は全員処刑されたと聞いたが、生き延びていたのか……?!」

 

 タヒークは驚愕の声をあげた。

 砂漠の国グルデシェール王国のたった1人の王子と言われている男――魔術士タリーフ・アル・シャルフーブが目の前にいるのだ。

 貧しい村の育ちであったシャムスでさえも、その存在を知っている。当時7歳で亡くなったと聞いていたから、もし本当に生きていたのなら18歳にはなっている。目の前にいる男の年齢と相違ない。


「余の姿を見たからには無事では帰さぬぞ。民を売り飛ばした贖罪として生涯を余と女神のために尽くせば命までは取らぬ」


 カマラル……ではなく、タリーフが腕を振ると、騒動を聞きつけて中庭を取り囲んでいた私兵や商会の商人達の体に急に火がついた。

 魔術士はスキルを使うのに、詠唱は不要である。

 

「うううっうわあわあ!」

「ひっひいい!あっあつい!」


 男達は火を消す為に転がり回り、中庭の貯水池へと我先に飛び込んでいった。水から上がろうとするとまた体に火がつくので、彼らは水の中にいるしかなくなった。


「タリーフ王子か?!おい、本物なのか?!」


 王子の力をありありと目撃して、すっかり動転したタヒークは魔法士二ザールに縋った。先ほどまで優勢だったニザールは途端に居心地が悪そうな顔色になる。


「王子は魔術士だったと聞いております……間違いないでしょう」

「死んだのでは無かったのか……ッくそっ……奴隷の売買が見つかったのだ、今更媚び諂ったところでどうせ私たちは処刑される!」


 ニザールの後ろで怯えながら、タリーフを指差し訴えた。

 

「二ザール!殺るしかないだろう!」


 カマラルが王子であると分かるやいなや、攻撃を止めた魔法士に対して必死に催促するが、しかし、ニザールは動かなかった。

 

「タヒーク様もご存知でしょう!魔術士はこの国で十年に一人……いや百年に一人現れるかどうかの、天賦の才に恵まれた者にしか授からぬと言われている希少な啓示です……!魔法士は魔術士相手だと分が悪い……!」


 魔術士と魔法士の明確な違いは、魔力を通して生み出される力の物質や概念を理解しているか否かという点だ。魔法士はこの世界に流れる魔力を体に通し、神の力を借りるための詠唱を行う事で魔法を扱うことができる。魔法の原理や理屈がわからなくても、スキルを使って詠唱さえすれば雷の魔法を使えるのが魔法士であるならば、"雷とは何か"という、この世の理の一端を理解し自身の力として精密な運用を可能にするのが魔術である。

 魔術士は膨大で難解な知識を理解する必要がある為、女神からの啓示を与えられる者が殆どおらず、この十国大陸で、とある1つの職業を除けば最も稀有な職業であるとされている。


 ニザールは仕方なく雇い主に従い、己の魔法が相手に通用するか見せるつもりで攻撃魔宝の詠唱を始めた。

 

「天を貫く雷の一矢――、」

「魔術操作――」


 ニザールから放たれた魔法はタリーフには届かず、急に明後日の方向へ折れ曲がって消えていった。魔法の構造を理解したタリーフのスキルによって掌握され、空中で霧散してしまったのだ。

 先程まで優勢だったニザールの魔法が悉く役に立たないのが分かり、一番衝撃を受けたのはニザールを高い金で雇い入れていたムスアブ・タヒークだった。

 攻撃をするだけ無駄だと悟ったニザールは、腕につけていた金の腕輪を床へ落とした。腕輪はゴムのように伸びきって大きくなり、魔法士の足元をぐるりと囲う。彼が持つ魔宝具だ。


「タヒーク様、残念ながら貴方との契約はここまでのようです。御免……!」


 そして腕輪から黄金の砂で描かれた魔術式が現れたかと思うと、二ザールは地面に吸い込まれるようにその場から姿を消した。腕輪と魔術式はただの砂となり、後には何も残らなかった。

 その光景を見てタリーフは悔し気に表情を歪めると臨戦態勢を解き、腕を組んだ。


「まずいな……逃げたか、惜しい男を逃したぞ」

「なっ何……?!おい!二ザール!お前には高い金をッ……」

 

 タヒークはニザールが消えた場所に向かって叫んだが、虚しく響くだけで尻尾を巻いて逃げた魔法士には届かない。次の瞬間、タヒークは背後にいたシャムスの手によって気絶した。


「空間転移の魔術が刻まれた魔法具があったとは……、余でさえ空間転移をまだ理解しておらぬというのに。ますます悔やまれるぞ」


 タリーフに火の魔術を付与されていた私兵達や、商会にいた全ての関係者はシャムスの手によって拘束され、商会の大広間に集めて幽閉された。全ての扉を閉め切り、中の様子が外へ洩れないよう遮断する。翌日にタリーフの仲間が来るそうなので、それまで商会を二人で見張る事になる。

 応接室に戻り、ようやくひと段落着いたところで、シャムスは赤い髪の貴人に溜め込んでいた不満をぶつけた。

 

「騙していたな」


 シャムスは表情の少ない男であるが、怒りの感情だけはハッキリとしている。カマラルの正体がタリーフ王子であると知ったところで、これまでの不遜な態度を改めても意味が無いと判断し、今まで通り直接的な言葉を使って責めた。

 

「護衛などなくとも、お前一人で何とかなっただろう」


 砂漠で魔砂狼に襲われた時、タリーフ扮するカマラルが真っ先に狙われたのは彼が高い魔力を保有していたからだ。魔物は魔力の高い生物を優先して襲い、糧とする習性がある。魔砂狼の嗅覚は変装していても騙されないらしい。

 タリーフはシャムスの機嫌を宥めるように言った。

 

「そんなことはない。魔術士は魔法士のような相手には有利だが、魔術士はそもそも燃費が悪いのだ。貴様のように、力をずっと使えるわけではないから助けが必要なのだぞ」

「どうだか」

「それに騙していたのではなく隠していたのだ。"元"貴族なのだから嘘はついておらぬ。余が白昼堂々と魔術を使い続けて王子であると知られれば大変だろう」

「…………」


 王子が生きていると分かれば、それこそローズメドウの騎士達が総出でタリーフを捕まえに来るというのは間違いない。そして先ほど取り逃したニザールのように、王子が生きているという情報を漏らしてしまう可能性がある敵対者を増やすのは得策ではない。

 シャムスが黙ったのをいい事にタリーフは心から感謝を贈った。

 

「偶然巡り合わせたナスリ殿を助けなければ、ここに辿り着いてはいなかった。これは貴様の協力なくして得られなかった成果だ。感謝するぞ」

 

 タリーフの魔力で引き寄せられた魔砂狼達が商人ナスリを襲った事で責任を感じ、率先して助けようとシャムスを誘導したのは筋が通る。だが、シャムスにはまだ疑問が残っていた。


「……まさか、サターラでわざと捕まっていたのではないのか。最初から俺を利用するために、全て計算していたのか」

「……ふふふ、それを聞いてどうする。違うといったら信じてくれるのか?」

「……」


 相手が王子だと知っていて命令されれば同じ事をしたかもしれないが、知らないままでも、これまで彼の良いように言いくるめられ巻き込まれてきた。全てシャムス自身が選択した結果であることは間違いない上に、タリーフに協力した事への後悔もない。

 シャムスが必要に感じている物事の道理と、タリーフの言動が一致していたからこそ、自然と彼に従っていられたのだ。

 シャムスはタリーフという存在を認めざるを得なかった。

 

「さて、王都にはまだ着いておらぬが……貴様にはこれまでの働きに対する褒美を与えねばならぬな。最後の盗賊団、黄金の砂に関する情報を欲していただろう」


 タリーフは、応接室の椅子に座った。続いた彼の言葉にシャムスは耳を疑う。


「黄金の砂の長とは余だ」

「……何?」


 瞠目するシャムスの表情の変化を見てとれた王子は、その反応を楽しむようにほくそ笑んだ。

 

「貴様が探している盗賊団の長は余だ。黄金の砂に属していた盗賊達は皆、3年前に余の臣下となった。余が黄金の砂を乗っ取ってからは、盗賊行為は一切許しておらぬ。別の目的で働かせているからな。黄金の砂が余の手足であれば、麦の穂は余の財布である」


 またしてもしてやられた、とシャムスは頭を抱えた。黄金の砂の手がかりを餌にすれば、盗賊アリババシャムスが喰らいつくと見込んでわざとサターラで近づいてきたのだ。

 黄金の砂が既に王子タリーフの手勢として乗っ取られていた後ならば、探そうと躍起になっていても見つからないのは当然である。

 40の盗賊団を滅ぼす事が目標であったシャムスの記録は39で打ち止めとなった。

 盗賊行為をさせていないとはいえ、盗賊達を集めて一体何をさせているのか、シャムスは確かめるつもりで尋ねた。


「お前の目的とは何だ」

「無論、グルデシェール王国を奪い返すことだ」


 タリーフは浮かべていた笑みを消すと、真っ直ぐにシャムスを見つめた。


よ、余を討つか?」


 

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