幕間:『らんだ』霧屋記者
アクセルを踏み続けてブレーキの存在を忘れてしまう程に単調な田んぼの畦道。空が
対向車が来たら一貫の終わりな道を俺の
ラジオから歌よりも音質の方が気になる古臭い歌謡曲が流れて、砂利道をタイヤが擦る音が車内まで響く雑音の狭間、助手席で寝ていた鞠緒繭は「あれ?」と声を上げて目覚めた。寝ていた所為か黒のスカートが乱れていて腰を浮かして生地を伸ばす。
助手席の眠り姫としょぼくれた三十路男のドライブ。——因みに言うが俺はこいつを誘拐した訳ではない。
「あ……私寝てました?」
「ああ、首都高抜けた辺りからな。爆睡だ」
「助手席なのにすみません」
鞠緒繭は
「別にいいよ、あんたには村の案内人をやってもらうんだ。休憩してな」
「お陰様で休憩できました。それに久々の古宮団地に胸が躍って、もう眠れません」
「ディズニーランドじゃねえんだから。というか古宮団地は廃村化の兼ね合いで真っ先に住人が立ち退いだんだろ? そんな所に本当に住んでんのか? 葉山って奴は」
「ええ、いますよ。葉山さんは」
「集団餓死の舞台かもしれねぇところにかよ。言っちゃ悪いが狂ってるな」
「ふふ、あの団地に関わろうとする人はみんな狂ってますよ。私も、葉山さんも、そして貴方も」
「……まぁそれは間違いねぇな」
畦道を抜けると畑の傍に舎を模った看板が現れて『ここから●●村』と記されていた。看板を支える杭は傾いて、錆びて色褪せたパネルは村の廃村化の暗喩にも見えた。
村に近づくと鞠緒繭はサンバイザーを開けて、まるでデートの前みたいにミラーに映る化粧姿を確かめた。太ももに置いた小物入れに細い指を突っ込んでカチャカチャと化粧品の巣から口紅を発掘、そして唇に色を足していく。
ミラーに映る鞠緒繭の顔の半分。彼女はミラー越しの自分自身と目を合わせながら口紅を小物入れに戻し、ミラーに反射した視線はギョロっと俺の方へ飛んだ。
「不思議ですよね、口紅を足しても足さなくても見た目なんて大して変わらないに、私は口紅を塗る」
「意味無いよな。男なんて気づかねぇし」
我ながら女心の無い発言。だが鞠緒は人差し指をピンと立てて、『ご名答」と言わんばかりに俺を指す。
「そう、仰る通り意味の無い行為です。でも何故、わざわざそんなことをするかって——もはや“
「あれだな、プラシーボ効果ってやつ」
「科学的に言えばそうです。けど、“御呪い”という文字の通り本当に超自然的な力——いわゆる“呪い”が効いていたとしたら」
「“口紅を塗る”という呪いの効果が“自信”を生み出すってことか?」
「ええ。正確には“口紅を塗る”という儀式が“自信”という力を錬成させるということです」
こんなファンタジーな話をしていると助手席の黒ドレスが魔女のローブに見えてくる。笑えてくるが今はこの戯言に付き合うことにする。
「まぁそう考えると呪いを解剖すれば人を
「そうなんです。呪いとはまさに人の運命を操作すること。呪いを極めたその先にあるのは——それは運命の終着点を自由自在に、細かい単位で変えてしまうことなんです」
「悪役のやることだな、それ。世界征服だとか、そういうことをしでかす奴。独裁的でなんなキチいな」
「あら、健全な考えですね霧屋さん。見た目の割には」
急にディスられて俺は咽せた。
「んだよそれ、これでも一応“福山”に似てるとか言われるぜ?」
「いや、そのよれたシャツとか無精髭とか、タバコ臭い車内とか、そういうところです」
「け、可愛くねえ女」
ボタンをピっと押して助手席を射出してやりたい気分だが抑えた。
カーブに差し掛かり茂みの道を抜けた先へ。田園が広がり古民家が点在する集落へと到着した。スピードを落として周囲に気を配りながら村を進むが、夕方なのに電気の一つも灯って無い家、ベンチから雑草が生えているバス停、まるで人の住んでいる形跡が見当たらない。
「廃村化が進んでるとは聞いていたが、もう完了したんか」
「まだ数十名は残ってるとの話ですが、随分と寂しくなりましたね」
暫く辺りをキョロキョロしながら徐行したが結局人っこ一人見つからなかった。
カーナビがさした
駄菓子屋は夕焼け空の下、赤黄色の世界に佇む。
車を停め、俺と鞠緒は降りて店が無人なのかどうか伺う。
「廃村化だろ? やってんのか」
「ここ、やってない時はシャッター閉まってるはずなんですよね。ほら、扉も開いてますし」
そう言って鞠緒繭はズカズカと店内へ吸い込まれていく。俺も渋々中に入った。
色とりどりの懐かしのお菓子が陳列された味わい深い空間。何より一服したい俺は駄菓子なんて目もくれるつもりは無かったが、ついつい子供の頃の学校帰りを思い出して手に取ってしまう。
鞠緒がおもちゃみたいな買い物かごにお菓子を詰めてるいと店の奥の方から老婆がスローに現れた。
「らっしゃい」
俺と鞠緒は一旦互いの目を合わせ、同じタイミングで老婆に会釈。俺は「まだお店やってるんですね」と廃村化のニュアンスを含めて老婆に話しかけてみたが老婆は剥製の様に表情一つ変えず「へえ」と気の抜けた声を出した。鞠緒繭も「まだお客さんって来るのですか?」と半ば失礼に当たりそうな質問を放ったが老婆は「へえ」としか返さない。そしてカゴを持って突っ立ってる俺たちに「お会計は」味気ないトーンで急かしてきた。
「最近の駄菓子屋は自動レジでも導入したんか」
潜在意識で駄菓子屋のお婆ちゃんにはフランクを求めていた俺はついついこんな煽り文句を口走ってしまったが老婆は淡々と会計を済ませて、俺たちは歯切れの悪い思いをしながら店を出た。
店の前で俺たちは佇んで鞠緒繭は菓子の封を開けて俺は一服嗜んだ。縦長のビニールに詰まった甘い液を啜る鞠緒繭はそれを口に咥えたまま南東の方角を指差しす。
「
細い指が示す先には緑の山々と中腹に聳える白い巨影。それが何であるかは一目瞭然だった。
「あれが古宮団地か」
集落を見下ろす近代の砦城。言ってしまえばただの古臭い団地だが景観にそぐわない巨大な異物は一際目立って異様な存在感を放ち、その奇怪な風景に俺は見惚れてしまう。
そんな恍惚を覚ます様に北風が吹いて電柱に飾られた三つの風車が寂しげに回る。鞠緒繭はヨーグルトをカップごと圧縮した様な駄菓子の蓋を剥いて、「見て下さい! あたりです!」と今日一番のテンションで、白い液が付いた蓋の裏側を見せつけてきた。
煙を吸い込む途中だった俺は目で店に入るように示し、鞠緒繭は嬉々と当たりを交換しに行く。
「すみませーん。当たりが出ましてー」
俺は扉の端に肩だけ添えて店の中をチラリと覗くと老婆が事務的に当たりの蓋を回収していた。鞠緒繭は陳列されたヨーグルトの駄菓子を手に取りコンテニュー。店を出ようとした時、老婆が唐突に唱えだした。
それは呪文の様にも聞こえたが、よく耳を澄ますと旋律の上に奏でられた唄であった。
「当たりか外れか月知れず 顔出しゃそらよと花潰し 人形遊びに日が暮れば 狸も化けずに逃げりゃあす これよ、あれよと母さんは 四角い器に膿溜める らんだ らんだ らんらんらん らんだ らんだ らんらんらん らんだ らんだ らんらんらん……」
鞠緒繭が「あのー」と老婆を心配して声を掛けるが唄は止まない。
「霧屋さん、お婆様、こんな調子です」
困り果ててトホホな顔を浮かべる鞠緒。
「ぶっ壊れたな」
「なんでしょうね、この唄」
「聴いたこと無いな。世代の違いか?」
「いやあー……手毬唄の様に聴こえますが」
「婆さーん、レコード大賞でも出るんか?」
老婆の視線を何度も遮る様に掌を翳してみたけれど反応無し。いよいよ手が付けられなくなって、触れてはいけないものに触れた気分になった俺たちはそそくさと後退して車に戻ろうとドアハンドルに手を伸ばした。
指先がドアノブに触れる瞬間——「プツ」という機械音が頭上で鳴って、その刹那に音のこもった音質の悪いメロディが村中に響き渡った。夕刻を知らせる“遠き山に日は落ちて”が電柱に括り付けられた拡張器のスピーカーから放送されたのだ。
【集団餓死.mp4】の15時間47分と同じ曲。
イントロが流れた途端、俺は時間が止まったかのように硬直した。それは鞠緒繭も同じ。止まった時の中を北風が過ぎ去り鞠緒繭の長い黒髪が夕焼け空に靡く。
——ハッとして、俺たちは車に乗り込んだ。
「良いんですか? 最後までお婆様の唄聴かなくて」
「あの感じじゃあ最後まで『らんだらんだらんらんらん』のエンドレスだろ。てか何だよ“らんだ”って」
「……さぁ?」
キーを捻って店内の様子を気にしながら駄菓子屋を後にした。
*
上り坂の山道を抜けると夕色に染まった集落を俯瞰できる開発地帯に辿り着いて、そこには幽玄に聳える長方形の巨像が4つ、寂しく佇んでいた。車から降りて、コンクリートの巨影を見上げながら古宮団地へと足を踏み入れる。
「団地ってのは人が大勢住んでるのに無性に静かなんだよなぁ。本当はまだたくさん住んでんじゃねーの?」
「いや、みんな立ち退いたはずですよ。一人を除いて」
「葉山か……おい、本当に生きてんだろうな?」
何か嫌な予感がして俺は鞠緒繭に物騒なことを訊いた。
「死体をご紹介するなんて素敵な趣味はありませんよ」
悠々と歩きだす鞠緒繭に俺は不信感を払拭できないまま着いていく。
葉山がいるとされる4号棟へ近づいた時だった。目に飛び込んできたのはこの場所にはあまりにもそぐわないもの。
「鳥居だと?」
人が一人潜れる程度の古びた鳥居が4号棟を
「この村ではあれが神様です。4号棟——すなわち『御殿様』。ここは団地を信仰している村なのです」
「団地そのものを祀る……何か変だな」
「ええ。この村は変な村です」
「いやそうじゃない。『御殿』とは神社とか社とかそういう意味だ。御殿には宿るべきものがいる。あれは匣にすぎねぇ。そもそも団地なんて神秘性のかけらもねぇ俗世の落とし物に神が宿るなんて考えはちと強引だな。偶像が近代的すぎてカルトの中でもB級……いやC級ってところだ。信仰自体が作り物臭いが……おい鞠緒繭、俺をハメてるな?」
「……さすがこの手の類には叡智ですね霧屋さん。それでも貴方は私に着いてくる。貴方はそういう性です」
「ほぉルポライターって生き物をよく分かってんなお前。ああ、俺は自分が死んだとしてもそれを記事にしたい性分でな」
俺の指摘に鞠緒繭の表情から笑顔が引いた。企てを見透かされて苛ついている様にも見える。それでも俺は夕風に黒いドレス羽ばたかせ
てコンクリートの森を進む鞠緒繭に着いていく。この先に何が待ち受けているのか恐ろしさもあるけれど、今は好奇心という名の生存本能のバグに溺れていた。
4号棟の1階、網目状に並ぶ郵便ポストに囲まれた入り口。落ち葉が散らかった手入れのされていない空間で埃臭さに顔を顰めて入っていく。『御殿様』なんて名称が付けられてなければ一見ただの団地の廃墟。エレベーターも勿論使えない。玄関扉は閉まりきっていて、表札も無くて人の住んでいた気配が無い。冷えたコンクリートに覆われて嫌な冷気が団地中に染み渡
り、人の住処としての役目を果たさず、不気味に佇むだけの4号棟は纏わりつくようなプレッシャーを放つ。内部にいる俺は奇っ怪な圧に息苦しさを感じて、それに耐えながら405号室の扉の前へと着いた。
「こちらです」
エレベーターガールみたく扉の傍らで俺に入るよう促す鞠緒繭。ドアノブに手を掛けて、捻って引くと団地特有の鉄扉の重みが腕を通して全身に伝わった。
扉の向こうは新居の内覧みたいに家具一つ無い空間。人の形跡が無い無機質な部屋だ。
「こんなところに葉山がいるんか?」
振り返って鞠緒繭に確認するが彼女はコクリと頷いた。信用ならん態度に俺は首を傾げて奥へと踏み込む。
が——俺の視界には常軌を逸した光景が飛び込んできた。
「おい……何だよこれ……」
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