【殺す木⑰】“これ”
ゴツゴツとした岩肌の壁に囲まれた冷気と湿気の世界。羽賀さん改めて“羽蛾場”さんの持つ提灯の灯りだけが闇を照らして僕らは地下洞の奥へ奥へと進んでいく。鞠緒は鍾乳洞の観光にでも来たように胸を躍らせて氷柱石や湿った岩を観察していた。僕は羽蛾場さんに訊きたいことが山ほどあったけれど、僕が選んだのは自分でも驚く意外な質問だった。
「羽蛾場さんはその……孫とかには会ったことがあるんですか?」
白々しく訊いた。麻衣花さんの残響に後押しをされて。
羽蛾場さんは何の躊躇いもなく言う。
「子供は産んですぐに取り上げられて、絶縁させられたわ。まぁ村には住んどるとは聞いてたけど」
「そうなんですね……村に住んでいるなら会いには行かなかったんですか?」
僕の質問に羽蛾場さんは声を詰まらせて、一先ず置いて話し出す。
「……本当に腎吉さんとの子供か分からんかったんや。ありゃ罪悪感か、それとも嫌悪感か、会う気がせんかった」
羽蛾場さんの発言に鞠緒が鍾乳洞観察を切り上げて視線で食い入る。僕が羽蛾場さんに「どういうことですか?」と訊くと、溜息を挟んで羽蛾場さんは語り出した。
「古宮家にはあんたの前任に当たる使用人がいたんだわ。当時はあんたよりももっと若かったが、蓮見耕梅っていう使用人がいて、わしはそいつとも男女の関係にあった」
喉の奥に指を突っ込まれたような衝撃を食らった。鞠緒は羽蛾場さんには気付かれないように僕にだけ笑みを見せる。彼女にとってこれは最高の喜劇なのだろう。
蓮見耕梅とは霊媒師の家系であり、何より麻衣花さんの夫であった蓮見聖司の父親。もし羽蛾場さんの子供が腎吉翁との子ではなくて蓮見耕梅との子だったら——麻衣花さんと聖司は近親相姦ということになる。麻衣花さんの祖父が聖司の父……それはあまりにも悍ましい所業じゃないか。
「だもんで、わしは母親として最低な女だわ。子供に会う資格なんて無い。孫が産まれたのは何となく聞いてはいたが、顔も名前も知らん。知ってるのは女の子ってことぐらいだわ」
古宮家と蓮見家の忌々しき螺旋がこの村には渦巻いて、昨今の虚躰児事件も何か因縁めいたものを感じて僕は背筋が凍った。
「本当に……どうしようもない一族ですね。みんな」
途方に暮れて僕は吐露した。僕の本音に羽蛾場さんは振り向いて、微笑を浮かべる。
「何もかもが狂ってる。全て……わしも」
羽蛾場さんはそう溢し、鞠緒だけは酔っ払ったみたいに愉しそうでいた。羽蛾場さんはその様子を不思議に思って訊く。
「なんやあんた、随分と楽しそうで」
鞠緒は地面から生える氷柱石たちの先端を撫でて伝え歩きで言う。
「ふふ、そう見えます? 結構好きなんですよ、そう言う話」
「あんた、禍々しいもんを紐解くのが得意そうやもんな」
「ええ、そういうのに関しては水を得た魚ですよ私」
「どっちかというとあんたは“混沌を泳ぐ魚”やわ。優雅に」
黒いドレスの
「あら、何かハンドルネームに使えそうな良い表現ですね、それ」
惨劇があったとは思えない、他愛のない会話が繰り広げられた。狂った者同士、お似合いだと思った。
そして殺戮者率いる一行は地下洞の終着点、肺明のいる木乃伊の墓標へと到着した。
朽ち果てた肺明の死骸を見上げて鞠緒は白息と共に呟く。
「古宮肺明——当主になるべくしてなれなかった男……ですか」
腎吉翁の組み上げた陰謀によって当主にもなれず、果ては木乃伊となってしまった者。
「この後ろにあるわ」
羽蛾場さんは肺明の置かれた祭壇を上って木乃伊の裏へと回り込む。そこにはちょうど下からは見えない死角となっている横穴があって、先は暗い闇が続いていた。
「来な。この先に原点がおる」
身体を横向きにしないと入れないくらいの縦穴で半ば身体を捩じ込ませて入った。進むためには集中力を有して、これが切れたら岩肌で身体を削ってしまいそう。その為、進むには全身を研ぎ澄ませる必要があって、結局抜けるのに5分くらいは掛かった。目的地に着いた頃には息が上がったけれど、目の前に広がった光景を見て疲れなんて上書きされてしまった。
「なんだこれ……」
岩肌に囲まれて、微小なる朝日が差し込んだ青く淡い空間。ドーム状になっていて全力で端まで走ったら10秒くらいは掛かるだろうか、そこそこ広い地下空間。その中心地に赤色か、ピンク色か、はたまた橙色にも見える、人と同じ背丈の楕円状の物体が佇んでいた。それは微かではあるが心臓のように蠢いている。
僕らは羽蛾場さんに連れられてそれに近づくと、むしろ質感や見た目は臓器や筋肉に近いものだと分かった。
「どうや、鞠緒爺の孫娘ならある程度の察しがつくかね」
鞠緒は怪訝な表情で瞼を摩って、ストレートな解答は出ない。
「えー……かつて駿府城に落ちたと云われる『ぬっぺふほふ』に近いものだと思えますが……天井に穴が空いているあたり“生えた”というよりは“落ちてきた”みたいですし、同じ括りの怪異譚として纏めても異論は無いくらいに似てます」
「察しがいいわあんた。だが、わしとてこれの本当の正体は知らん。知っているのはこれが所謂『妻』であるということだけや」
僕は「え!?」と反射的に声を出した。
羽蛾場さんは不適に笑って話を続ける。
「気色が悪いやろ古宮の一族とは。当主は皆、これとまぐわうんや。ほれ、真ん中に穴があるやろ」
羽蛾場さんはそう言って肉の塊の中心を指差す。確かにそこには薬指程度の細い縦穴があった。
「当主がここに種を植えればちゃんと“これ”は受精する。そして子を孕み、人と同じ時間の経過で出産をするんや」
「え、じゃあ理胆さんや腸座は……」
「ああ、腎吉さんも肺明も膵華だって、宗家はみんなこれから産まれたんや」
僕の目が頭の深部に落ちていく様な、酷い眩暈が襲った。
「みんなここから……産まれた……」
「そうや。古宮宗家は“これ”からしか産まれん。人からの誕生を一切許さんかった」
羽蛾場さんの言葉に鞠緒が何かを理解して言う。
「なるほど……古宮宗家とは他者の遺伝子を拒絶し、古典的な遺伝子だけを紡ぎ続けた謂わば超排他的な一族。でも、そこまでして一体“古宮”という血に何の価値があるのでしょうか。たかが鎌倉時代に現れたぽっと出の家柄ですよね」
「平家や」
「はい?」
羽蛾場さんの口から出た家名に鞠緒の目が点になる。それは僕も知ってるくらい有名な家名であり、●●村にはある種因縁のある単語だ。
「『古宮』とは偽名なんや。真の姓は『
「え……僕が知る限りでは——この村に落ち延びた平家は皆殺しにされた。村の火匣祭だってこの昔話が起源だって……」
「皆殺しにされたのは平家に仕えた侍女や使用人や。世話をしてくれた彼らを身代わりにして、平家は名を古宮と改め生き延びた。そしていつの日かこの肉の塊と交配するようになり、純度の高い平家の血を現代まで残してきたんや」
禍々しい古宮の過去に僕は立ち尽くすしか無かった。
「やけん、わしは今日ここで終わらせる。この忌々しき古宮の歴史を。最初は“これ”を燃やすつもりだったが今のわしにはこの呪いがある」
羽蛾場さんはそう言って得意げに右手を見せつけた。
「木の呪いは想像以上や。“これ”もまた呪いを受ければひとたまりも無いやろ」
無邪気な子供の様に振る舞う羽蛾場さん。表情は若返って意気揚々と肉の塊に対して掌を突き出した。その様子を見て鞠緒が僕に耳打ちをする。微風の声が鼓膜を震わせた。
「この人、取り憑かれ始めてます。強大な呪いの力に」
それは鞠緒の感想か、啓蒙か、それとも警告か。
ただ、僕らは羽蛾場さんが古宮の歴史を終わらせるその瞬間を見守るしかない。
羽蛾場さんが掌に力を込めると——肉の塊は咀嚼音の様な不快な音を立て、赤い液体を吹き上げながら縮んでいく。呪詛の圧力に押し潰され、最後には風船が弾けたみたいに破片を四散させて、赤い液体の水溜りだけがそこに残った。
そして、連鎖するように羽蛾場さんもまた縮み始めた。
「な……?」
それが羽蛾場さんの最期の言葉だった。
血と肉と骨の砕ける音を撒き散らして彼女もまた潰れてしまった。無論、生存の確率は無い程度の形がそこに残る。
——僕はこの瞬間、鞠緒の眼が七宝模様になっていることを見逃さなかった。
「鞠緒、羽賀さんが……」
赤い花びらを頬に付けた鞠緒は依然佇む。
否、それら羽蛾場さんの返り血。
「呪詛回しは一度自分に呪詛を降ろして、それを鏡のように反射させる手法です。ミスをすれば無論自分にも呪詛が掛かります」
羽蛾場さんの最期を冷淡に解説した。
けれど僕の中には疑心の渦が渦巻いている。
「呪詛を反射させる鏡なら肉の塊よりも後に潰れるのは些か変な気もするけれど……」
僕の指摘に鞠緒は頬の赤い花びらを拭って笑顔を浮かべる。
「鋭いですね葉山さん。けど、心にへばりついたその染みの様な疑心はそのままにしておいて下さい」
鞠緒は翻って出口の方へと歩き出す。その背中に僕は問いかけた。
「何で……?」
彼女は切間から差す光を浴びて振り返った。
神々しい白い光の中で天使のような顔が僕を壊そうとする。
そして透き通った声で言った——
「ふふ、だって葉山さんは……それでも私を好いてくれるから」
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