【殺す木⑯】血
宇宙人でも降りてきた——皆がそんな目で車椅子に座る腸座を凝視した。現実だと知覚して受け入れるまでにいくらか時間がかかり、ある意味ではシュールな空気が張り詰めた。
「腸座……?」
「お父さん……?」
顎が外れた様に同じ表情で唖然とする理胆さんと膵華。その顔はそっくりで血の繋がりを感じさせる。
「古宮の皆々、驚かしてすまないな。随分と長い間俺の世話を掛けた。
あの腸座が普通に話している。咳払いを挟みながら濁ったような声。脳梗塞みたく所々言葉が詰まって久々に話した
「鞠緒の嬢ちゃんにあそこまで仮病を指摘されたらなぁ、流石に折れたよ。やるな嬢ちゃん、あんたは俺と爺さんの目的を百発百中で当てやがった。アレか、俺が葉山君に託した手紙読んで大分推理を煮詰めたようだな」
唐突に僕の名前が出て背中がピシッとなる。離れにいた頃から正気だったのであれば僕を認知していてもおかしくないけれど、腸座にこう言われると妙な気分になる。
「手紙?」
腸座を突いたのは理胆さんだった。憔悴しながらも目を鋭く光らせる。
「ああ。俺はずっと編んでたんだ。それはそれは天女の羽衣を編むみたいに慎重にな。爺さんも俺も本能寺の明智光秀みたく突拍子もなく反逆した訳じゃない。緻密な計画だ。理胆姉さん、あんたを抑え込み、この古宮宗家という忌々しき一族を終わらせる為のな。手紙はその計画の最終段階さ。膵華の婿候補を起爆剤とした、古宮の終焉」
理胆さんは怒りに震え、鬼の面を被ったが如く変貌した。
「貴様……8年もの間当主の責務を放棄して企てとやらに勤しんでいただと? 肺明兄さんの夢を踏み躙り、当主という座を持て余して、何が古宮の終焉だ? ふざけるのも大概にしろ!」
唾を撒き散らしながら憤怒する理胆さん。
「気持ちは分かるよ。だけど姉さん、爺さんの桃源郷に古宮は無ぇ。それに俺だって膵華の幸せを考えた時に古宮という家はあまりにも幸せとは程遠い魔窟だと思っちまった。あんたは膵華を古宮の為の子宮程度にしか思っちゃいないだろうが、膵華は俺の娘だ。これからは娘を最優先に考えさせてもらう。……
「ええ」と淡白な返事をしたのは羽賀さんだった。
腸座の背後、車椅子で介助していた羽賀さんがハンドルから手を離して、サッサっと畳を擦りながら腸座よりも前に出る。厳粛な場に合わせて礼服を身につけた羽賀さんは理胆さんに対して老人の目の光とは思えない鋭い眼光を浴びせ、対峙する。理胆さんは乙女座わりで仰け反った。
「な、何をする気?」
怯える理胆さんは羽賀さんを使役する腸座に問い掛ける。
「別に殺しやしないよ。俺らの原点とも言うべきか、あの地下洞に姉さんを暫く幽閉させてもらって宗家の座を分家に明け渡す。その隙に俺と膵華は古宮を抜けてどこか別の場所で暮らそうと思う。な、膵華、父さんと行こう」
膵華は未だ頭の整理が追いついていなくて、腸座に何も返せないでいた。
「だから大人しく手錠を掛けられてくれ姉さん。かつて子供の頃、納屋で俺にそうした様にな」
腸座の言う通りに羽賀さんが手錠を出す——と思いきや羽賀さんは理胆さんに向けて腕を突き出した。掌底付きの様に力強く掌を突き出して、羽賀さんは冷淡な形相を浮かべて腕の先に念を込めていく。
その一連の行為を目の当たりにした鞠緒は意外な反応をし始めた。僕の方を向くや否や目を泳がせて「やばいかもです」と焦りながら警告する。
何か唯ならぬことが起きる。
嵐の前の静けさとも思える奇妙な静寂が訪れ、そしてそれが起きるまでに大した時間は有さなかった。
「ゥギ」
喉から搾り出すような声を上げて、それが理胆さんの断末魔だった。
細い線の様な悲鳴の初期微動が大広間を震わす。
理胆さんの顔が3分の2まで縮み、押し出された目が平から球へと変化していく。耳、目、鼻、口、毛穴、穴という穴から血や体液が流れ出して、着物によって際立つ流麗な身体は耳を塞ぎたくなるような「バキバキ」という音と共に凹んでいく。圧力は体内を逆流させて理胆さんの口から肉だか臓器だか分からない真紅の物体が顔を出す。最後には辛うじて神経で繋がった眼玉を揺らしながらバタンと倒れ、潰れた果実の様な身体は畳の上で真っ赤な花が咲かせた。
大広間にて阿鼻叫喚が爆発した。
悲鳴、叫び、混乱が響き渡り、僕は壮絶な死を目の当たりにして吐き気を催した。首謀者とも言える腸座は目を丸くして呆然とし、理胆さんの死は想定外だったのだろうか「ちょ、初子さん、そこまで——」と何かを言い掛けて、理胆さんと同じ末路が腸座にも降りかかった。
鞠緒は臨戦体制だと言わんばかりに正座から片膝立ちに切り替えて、大混乱の最中冷静に見極める。しかし彼女の額からは汗が滴り、僕はここまで動じている鞠緒は初めて見た。
「まさか殺す木を介した呪詛回しだと言うの? だとすればあのお婆様——継承者……」
知らない単語を並べて分析をする鞠緒。
羽賀さんの猛攻は止まらず、次は掌を分家の人らに向ける。
僕があれを“猛攻”と表現するあたり、この尋常じゃない殺戮を羽賀さんが行っているのは明白で、羽賀さんの意思が理胆さんや腸座を無惨な姿に変えた。
そして分家の人らにも同じ惨劇が繰り広げられた。上空から俯瞰した時、それは扇状に起きたであろう、羽賀さんの手前から後方にかけて圧死が始まり惨殺死体が容易く量産されていく。死者の数は
「ェギゥァ」
残りも無慈悲に圧死させた。
虐殺は経ったの数十秒で完遂され、若草色だった和室は鮮血の赤に染め上がった。生臭さが充満して、狂ってしまいそうな臭いだ。辛うじて人の原型を留めた無惨な死体たちが重なり合って、地獄絵図が広がる。そんな中で僕と鞠緒と膵華だけがアスファルトに咲く花の様に不自然に生き残っていた。しかし膵華は一族の唐突な残虐劇に耐えきれず糸が切れたみたいにその場で気絶。パタリと軽い体が上座に敷かれた。
残った僕と鞠緒だけが羽賀さんと対峙。
返り血を浴びて、まるで赤鬼のような羽賀さん。虐殺を終えた後の表情は妙に涼し気で既に殺気は無かった。
「あんたらは殺しゃーせんわ」
血塗れの手を払いながら普段通りの喋り口で言う羽賀さん。鞠緒は警戒を解かずに七宝模様の眼を維持したまま羽賀さんに問い掛ける。
「ざっと見た感じ、目的は古宮家の滅亡というところでしょうか。……そんな中で膵華さんは生かすのですか?」
「あんの子を古宮から解放してやるのが目的やからね。腸座とわしは同志やったが、あんたが呪詛の木なんて物を教えてくれたお陰でこれを思いついたわ」
「敢えて殺す木の呪詛を自分に掛けて、それを呪詛回しで他者に行使……貴方、継承者の中でもかなり
「ほぉ、あんたも巫女か。なら話が早い。あん時——あんたが分家の男に『木に敵意を抱いてみたらどう』やと迫った時に電気が走ったんや、頭に。呪詛回しは我ながら妙案やったが、自分自身が呪詛に潰されないよう耐えるのに必死やったわ」
「虐殺の責任を押し付けられてるみたいで嫌ですね、それ。一応釘を刺しておきますが、この一方的な虐殺を引き起こしたのは貴方の私怨でしかないですからね、初子さん」
「はーん、腸座が言ったのを聞き逃さんかったか」
「ええ、勿論」
潰れた死体たちから血が溢れ、いよいよ大広間が一つの大きな血溜まりになっていた。そんな中で羽賀さんと鞠緒は僕には理解し難い会話をして、僕は視覚・嗅覚・感触から入り込む凄惨な情報に耐え切れず、膵華同様意識の糸がぷつりと切れてしまいそうだった。けれども鞠緒が放った「初子さん』という呼び名が引っ掛かり意識が保たれる。
僕は鼓舞するように足を摩って血溜まりを踏み付けながら立ち上がった。ポチャンと水飛沫ならぬ血飛沫が畳を跳ねて、真っ赤な家に佇む二人の方へ。柔らかいものを踏んで、液体を踏んで、地獄を渡る。僕がまだ気を失っていないのはこの虐殺があまりにも呆気なさすぎたからだろうか。殺人というよりは作業のような、何か淡々としたものがあって、残骸は悲惨だけれど頭から潰れる辺り痛みや苦しみがあまり伴っていないように思えた。
「あら葉山さん、この惨劇の中で立ち上がれるとは、随分と屈強な精神をお持ちで」
「血を吐いて死んだ母を見たことあるがあるからね。それに、君に会ってからというもの、 日常はとうの昔に崩れ去ってるよ」
僕と鞠緒の会話を聞いて、僕にそんな過去があったのかと羽賀さんは関心するような顔を浮かべた。
「わしは最後の仕上げに下に行くが、あんたらも来るか? せっかくなら」
「下、ですか?」
僕が訊くと羽賀さんは「ああ。地下洞や。あそこに古宮の原点がおる」と言った。
「地下洞……古宮肺明の木乃伊じゃなくてですか?」
「ありゃあ囮や。奥のものを隠す為のな。まぁ見りゃ分かる」
そう言って羽賀さんは歩き出す。鞠緒は着いていき、僕もそうするけれど、気絶したままの膵華が気になって僕は振り返った。倒れたままの彼女をほっとけないけれど……この地獄絵図の中で起こすのも酷か。そう考えを改めて、今は殺戮者である羽賀さんの後を追うしか無かった。
廊下を歩くと血で形成された足跡が僕らの後方に続いていく。薄暗い廊下を淡々と歩いていく羽賀さんに僕は気になったことを訊いた。
「あの羽賀さん、“初子さん”ってその……」
「そうや。わしが古宮初子や」
腎吉翁の元遊び女であり、古宮姓を貰った特異な女性。ということは羽賀さんが麻衣花さんのお婆ちゃん……
「じゃあ『羽賀』ってのは偽名だったんですね」
「偽名ちゃうわ。それはあんたが勝手に呼んでただけやろ」
「え?」
「古宮の連中はわしの古宮姓を認めることはなく、旧姓の『羽蛾場』で呼んでたんや。あんたは『場』抜きでわしを呼ぶもんだから不思議にゃー思ってたけど」
「え、でも『はがばあ』って『羽賀婆』じゃ」
「わしは『はがはあ』なんて呼ばれとらん。最初から皆『羽蛾場』で呼び捨てやわ」
「そういうことですか……」
「そうや。『羽蛾場初子』、それがわしの本名や。腎吉さんと婚姻するまでわな」
返り血で赤く染まった背中。闇に吸い込まれる様に僕らは背中を追う。“無限に続いている”と錯覚をもたらす廊下を歩き、約30人以上を一瞬にして殺戮した張本人に案内されて僕らは地下洞の入り口、麒麟の欄間の部屋に到着した。
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