【殺す木⑭】鞠緒の仮説

 大広間は依然奇妙な空気で満たされていた。皆々が顔を見合わせて、何処ぞやの霊媒師が語る怪異譚と一族の実質的な長である理胆さんの昔話が噛み合ってしまっている事に皆困惑している。


 鞠緒は具体的な古宮家救済の解決策として


「私から村の人たちに呪詛を掛ける木の話をして、その上で実物を見てもらえばいいんですよ。『殺す木ツアー開催』ってところです。あ、心配しないで下さい、伐採してしまおうとか、燃やしてしまおうとか、そういう敵意を向けなければ木が呪詛を掛けることは無いでしょう。まぁ、むしろ試しに一人呪詛に掛かってくれた方が良い証拠になって有難いのですが。ふふ」


 そう提示した。


 そもそも“呪詛を用いる木”の話を信じない頑固者もチラホラいて、


「そんな、御伽噺おとぎばなしに目を向けるよりも、まずは警察関係者と情報を擦り合わせ、マスコミを利用して古宮家の潔白を更に主張すべきだ」


 と、政治的な解決案を推して鼻息を荒げている者もいた。しかし鞠緒は目を光らせて言い返す。


「想像力が足りていないのならまだしも、想像力が欠けた上で足まで引っ張ろうとするとはよろしくないですよ。村人に現代的な“根拠”なんて通用する訳ないじゃないですか。じゃなければ古宮屋敷を囲うなんて暴挙には出ないはずです」

「……くだらん女だ。ピーターパン症候群シンドロームめ」

「ふふ、あくまで御伽噺だなんて思ってらっしゃるのなら——そうだ、今ここで猛戸山の木に対して強い敵意を抱いてみたらどうですか? 何事も無ければ貴方が正しいですし、トマトの様に潰れてしまえば私が正しいです。さぁ如何いかがでしょう?」

「……」


 頑固者は言葉を詰まらせてシャツの襟を無駄に正す。


「……気が済むまで好きにやってろ」


 見苦しい捨て台詞を吐いて場の主導権を鞠緒に返した。鞠緒はクスっと悪戯に笑って次の標的は理胆さんだった。彼女の方に華奢な体を向けて、提灯の灯りでより映える漆黒のドレスが際立って、鞠緒の影が背後の障子に揺らめいていた。


「さて、これにて古宮家に光明が差しましたね。せっかく古宮家の皆さんが集まっているのですから、全員集合といきません? 理胆さん」


 鞠緒は何かに切り込んだ。彼女の顔は愉悦を楽しむ狂気を孕み始める。僕はこの顔を一度見たことがあった——あれは聖司が4号棟の屋上から飛び降りた時と同じ顔だ。


「何を仰っているのでしょう、古宮は此処に皆おりますよ」

「いやいや、大事な方がいないじゃないですか。——あの方ですよ、現当主の古宮腸座さん。彼の姿がどうやら……」


 掌を額に当ててわざとらしく望遠、大広間を見渡す鞠緒。

 僕は鞠緒の行動に肝を冷やす。


「当主は心身の病を患っており、今は離れにて安静にしております」

「あら、これはこれは——みたいに亡くなったことを隠しているのでは?」

「……ほぉ、私が腸座の生存を誤魔化しているとでも? ハハ、一体何の為に」


 理胆さんの表情がより厳しくなり鞠緒を睨む。


「まぁ——古宮が分家に対して腸座さんの死を隠すとなれば、それは意味を持ちますよ。なぜなら腸座さんが実は死んでいて、古宮法典の回収も出来ていないともなれば宗家の権威は無いも同然、分家の皆さんが宗家に取って代わる大大大チャンスになる訳ですから」


 騒つく古宮分家の皆々。理胆さんは目を丸くして、恐らく鞠緒の口から『古宮法典』という単語が出たことに驚いているのだろう。当初、鞠緒を軽くあしらうつもりだった理胆さんは想像を超える鞠緒の理解度に袖をまくって本気で対峙せざるを得ない状況に陥る。理胆さんの顔から冷静さが段々と引いていた。


「腸座は正真正銘生きてます。そこまで言うのなら連れて来たって構いませんが、アレと対峙するにはそれなりの覚悟を持って頂かないといけません。よろしくて?」

「もちろんです」

「わかりました。……はがばあ!」


 理胆さんが顎をくいっとさせて示すと羽賀さんが呼応するように立ち上がって黒子の様に大広間からはけていく。

 僕はこの時、理胆さんが鞠緒のペースに乗せられていることに気付いていた。鞠緒は腸座が生きていることを僕の話で散々知っている。ここまでして腸座をここに召喚させるのは何か企みを抱いているんだ。


 暫く待っていると襖で隔てた向こう側から叫び声がして、大広間に妙な緊張感が走る。次第に声は大きくなり、襖が開くと車椅子に乗せられた腸座が現れて、痩せ細って衰弱した容姿、それが相極まってまるで昭和の精神病棟にでも来たような光景だった。


「……ァァァァァァァァアアアアアアアアア!!!」


 調子は良好、いつも通りに普通ではない声を発して、常人なら耳を塞ぎたくなる声量で叫ぶ。古宮分家の人らは当主の見る影も無い姿に背筋を寒くさせて、女性陣の中には目を覆う人もいた。


 僕とて離れの中以外で腸座を見るのは新鮮で、大広間で見る腸座は“人”としての形がより一層感じられる。日本兵のような坊主頭、ピエロの様な大袈裟にできた目の隈、食べかすが付いた無精髭を一族に晒しても恥じらう様子は一切無くて、痩けた顔から浮き出た目玉が縦横無尽に部屋中を見渡す。そして妙に長い手が車椅子の肘掛けからだらんと垂れて、不規則に痙攣していた。



「ろおおおおおおおおお!! あぁだだぁぁだぁぁ!!」


 狂った腸座を横目に理胆さんは言う。


「我らが当主、古宮腸座は存命です。見ての通り、一族の恥部なのですよ彼は。古宮として、姉としてこんな弟を曝け出すのは屈辱以外の何物でもありませんからね。さあ、これで満足でしょうか、鞠緒繭さん」


 鞠緒は敬意を込めて理胆に一礼をする。が、次に出た行動は古宮家の大一族たちの度肝を抜いた。


「腸座さーん、古宮腸座さーん、そろそろ普通に話してもいいんじゃないですかー?」


 一瞬、大広間が真空になった。宇宙に放り出されたみたいな静寂が場を包む。

 この時、腸座もまた口を結んだあたり、鞠緒が放った言葉の意図は何か的を得ているのではないか——そういう気にさせる。


「貴方、ふざけるのもいい加減にしなさい。たかが霊媒師の小娘が門閥である我らを随分と虚仮こけにしてくれるわね。そもそも、呪殺の謎が解けたのならもういいわ、報酬をお渡しするのでお帰り頂きたい」


 鞠緒の奇言に理胆さんは目を尖らせて怒りの念を噴出させた。古宮家を体現するような純日本の和装と戦国のような威厳はもはや修羅の女。


 鞠緒は演技じみた残念そうな顔で言う。


「そんな、腸座さんの口から“古宮法典”がサルベージ出来るかもしれませんのに」 

「……はい?」


 古宮法典は当主の引き継ぎにおいて要となるもの。今は腸座の頭の中にあって、これが膵華に引き継がれていないが為に理胆さんは苦労している。鞠緒の発言に理胆さんは流石に聞く耳を持った。


「実は腸座さんがはなから狂ってはいなくて、全てが演技だったら——結構丸く収まるんですよね」


 鞠緒は愉快に話し始め、上座の膵華はしかめっ面とも泣きっ面ともつかない、不安を含んだ表情で父親について重大な話を聞く。


「腸座さんが正気であれば、例えば拷問なんかに掛けてしまえば意外とコロっと吐いちゃうかもしれませんし」


 鞠緒の話に皆が戦慄した。特に僕は膵華の顔を見てられない。そして何より怖いのは鞠緒の軽はずみな言動に対して理胆さんの目は真っ直ぐなことだ。理胆さんだけは拷問を良き手段と捉えている。


 鞠緒は愉快に話を続ける。


「更に腸座さんが実は正気であれば、私も私である仮説が現実味を帯びてくるのです。推理が当たるのはスッキリ気持ち良いですからね」


 僕は思わず「仮説?」と呟いた。それがある意味合いの手になって、鞠緒は「ええ」と応えて話を進め、理胆さんは僕を睨む。『台本じゃないですよ』という意味を込めて僕は理胆さんに向けて首を横に振った。


「もし腸座さんが正気だとしたら、全てが繋がるんですよ。この根のように張り巡らされたの秘密も」


 鞠緒が膵華の背後に視線をやって、上座の背面に掲げられた巨大な家系図に視線が集まる。


「私、この家系図を見て凄い違和感を覚えまして、何かおかしいような、釈然としない図だなぁって。それでやっと気がつきました。この家系図、幹となる宗家から枝分かれするに連れて女子めのこの数も増えていくのですが、幹に寄れば寄るほど女子の数が減って、宗家に至っては理胆さんと膵華さんしか女子がいないんですよね。つまり理胆さんが生まれるまで宗家には一切女子が生まれなかった。——う〜ん3世代に渡って一人も女の子が生まれないなんて奇妙ですよねー」


 鞠緒の指摘に僕は樹木のような家系図を目を凝らして見てみたけれど、確かに彼女の言う通り家系図の中心に軸として連なる宗家には女子がいない。端に寄れば女子を生んでいる家系も現れるけれど、そもそも宗家に至っては妻の名が伏せられ『妻』としか記載がされていない。“古宮家には妻を秘匿とする奇習がある”——まさにこれを体現している家系図だ。


「私思ったのですが、女子が生まれないんじゃなくて、んじゃないでしょうか」


 鞠緒の悍ましい推理に青ざめた。呼応するように一つの提灯から火が消えて、大広間の明かりが闇へと近づく。薄暗い空間で幽玄に佇む理胆さんの顔は氷の様でその目は夜よりも黒く、ただ一点、鞠緒を凝視する。

 鞠緒は臆する事なく恐ろしい仮説を続ける。


「ただ、女子だけを無条件で堕ろし続けるなんて果たして産婦人科がそんな暴挙を許すのか。まぁ古宮家ともなれば産婦人科を買収することだって容易いとは思いますが、そうだとしても3世代前に関しては女子だけを中絶する技術なんて無いですからねぇ。さぁ古宮家はどうやって女子を消していたのでしょうか………そんなことを考えていると私、ふと閃きました。 この村には死体を大胆に遺棄できるシステムがあるなーと」


 鞠緒は人差し指をピンと立てて言う——

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