【殺す木⑫】おかされる

 太陽が波のように夜を追い出して、膵華との打ち明けた夜が明けた。 


 目が覚めれば広大な天井が余白いっぱいに広がって落ち着かない。隣に膵華の姿はなくて、丁寧に折り畳まれた布団だけが置いてあった。なんだか取り残され気分になる。


 重い瞼と鈍い頭になんとか抵抗しながら使用人室の洗面台へ行き、支度を済ませた後は納屋へ行く用事があった。今日は離れの障子の張り替えを羽賀さんから頼まれていて『障子には張り替えには季節を選ばんといかん。今の時期にやるのがええ」とのことだ。幸い僕は母親とのボロアパート時代に障子の張り替えを経験したことがあって、それなりのノウハウが蓄積されている。


 納屋は離れに近いところにあって、物置の割には立派な瓦屋根でもはや一軒家として住めそうな大きさ。けれどさすがは物置、戸はつっかえていて半ば壊してやるくらいの心意気で豪快に引っ張る必要があった。


「ホコリくさ」


 薄暗い屋内で埃を被った家具やら箱の隙間を縫って奥の方へ行き、棚に置いてあった障子の張り替えセットを見つけて、両手いっぱいに抱えて出口に向かった時に戸口から差していた光が消えた。何かが光を遮っている。

 戸の方に視線をやると逆光に佇む人影に僕はみぞおちを打たれたみたいに声も立てられずに驚いた。


 全開になった戸、外と納屋の狭間にいるのは理胆さんの影。身長の半分くらいはある線が右手から一直線に伸びていて、腕を軸に角度が変わると光を煌めかせた。それは身の毛もよ立つ白刃の光、理胆さんは日本刀を持参して僕の目の前にいた。


 気品のある足取りで納屋へと踏み入り、逆光の背景幕が上がると理胆さんの洗練された容姿が現れる。古き良き日本の貴女であり、兵を束ねる女帝のような覇気を放つ。そして僕にこびり着く殺気の発生源こそ右手に握った日本刀であり、少しでも粗相をすればこの身を真っ二つにされる——そう本能がそう囁いていた。


 蛇に睨まれた蛙も同然、凍りついた僕に理胆さんは弦楽器のような声を浴びせる。


「朝顔という花はねぇ、苗の先の芽を切ってあげないとツルが伸びてしまうの。そうなるとねぇ綺麗に花が咲かないのよ。花が咲かないということは種が出来ない——つまり子孫を残せないの。貴方……あの子の何が気に食わん? 容姿か? 歳か?」


 今にも獲物に飛び掛かるライオンのような目。理胆さんの右腕は筋肉が強張って力が入っているのが分かる。


——やられるんじゃないか


 僕は震え上がって沈黙するしかない。


「今朝、あの子が処女を失っているかどうか調べわたわ。まぁ夜を過ごした貴方なら結果はもう分かっているとは思うけど、中々役目を果たさないわねぇ、膵華も、そして貴方も。私としてはとっとと他の“種”を膵華に当てたいところだけど……相手を選ぶ権利はこの古宮において私には無い。ならば——“摘芯てきしん”するしかないでしょう」


 ゆらりゆらりと酔っ払いの様に揺らめいて、日本刀を振り上げた理胆さん。


 具体化した死の気配。全身の血が冷えわたって、動悸が高まる。


「じっとしてなさい……!」


 僕へと斬りかかる理胆さん。僕は反射的に左方へ飛んで家具や箱を薙ぎ倒しながら逃げる。家具の角が身体にめり込んで痛いはずなのに生命の危機から沸き立つアドレナリンがそれを感じさせない。


 戦闘マシーンの如き理胆さんの追撃にぐちゃぐちゃな体勢で躱わして、何かの破片や埃が舞う。納屋はひっくり返したみたいな滅茶苦茶な状態になって、僕は落ちた家具や箱を飛び越えながら出口へ駆けるが——寸前、理胆さんに追いつかれた僕は首根っこを鷲掴みにされ、足払いを食らった後に仰向けで地面に叩きつけられた。


「痛っ」


 後頭部を打って視界に靄がかかる。


 怯む僕に対して冷酷な目で僕を見下ろす理胆さんは日本刀を逆手持ちに切り替えて容赦無く刃先を一気に振り下ろす——


「うわ!!」


 反射的に目を瞑って視界が真っ暗になる。

 日本刀が風を切る音が鼓膜を震わせて全身が竦んだ。


 そして——


 火打石みたいな音が鳴った。

 カーン! と硬いものと硬いものがぶつかり合う音。


 恐る恐る目を開けると刃先は僕の顔に到達していなくて耳元のすぐ側で接地していた。


 それから全身に感じる柔らかな重み。


「……え?」


 あろうことか理胆さんは僕に覆い被さって洗練された手つきで僕の下半身を撫で始めた。


「ハァ……」


 理胆さんの甘い吐息が僕の首を撫でて、温かくて湿っていて柔らかい何が僕の首を這う。僕の反応を伺うように目を覗き込みながら理胆さんは僕の肌を舐めていた。それは口元へと到達して理胆さんの妖艶な接吻が僕を攻める。

 それから理胆さんは自分の襟元を緩めて曲線美でふくよかな胸元を顕にし、赤面しながら色気が極まる女の顔をした。


「な、何のつもりですか理胆さん……!?」

「膵華が駄目なら私を孕まさて」

「そんな、ちょっと!」

「悪い様にはしないから。ほら、脱ぎなさない」


 理胆さんが僕のベルトに手を掛けた瞬間——着信音が鳴った。


 知らないメロディ、理胆さんの携帯だ。理胆さんは愛撫は一時停止して上半身を起こした。布の面積の方が少なくなった胸を左腕で隠しながら帯に挟んだ携帯を取る。


「何でしょう、今取り込み中なのですが——ええ、手短であれば——え?——……——そうですか……——分かりました。——ええ——呪い……ですか——ええ……宜しくお願いします……」


 目を白黒させて驚愕の表情に染まる理胆さん。携帯を持つ彼女の手が微かに震えていて、僕は思わず「どうしたんですか?」と訊く。普通なら氷のような理胆さんが僕に返事をする訳がないのだが動揺し切っている理胆さんは僕にすがるように答えた。


「どうしましょう……前の村長、園田が死んだわ。潰れたように死んだって……」


 鳥肌が駆け巡った。


「呪殺、ですか……?」


 理胆さんは歯をガタガタと震わせて、


「次は私かもね……」


 理胆さんは薬物中毒者のような狂気な笑顔を浮かべて絶望していた。







 前村長、園田昌雄氏とその妻は暮れに買い物へ行く為に路地を歩いていると突発的に園田昌雄氏は発熱を訴えたという。『熱い!熱い!』と尋常じゃない様子で挙げ句の果てには地面に寝転がってまるで焼かれているかのように悶え苦しんだという。最終的には目をひん剥いて、身体中の穴という穴から血を吹き出して、怪物のような断末魔と共に全身が凹んで中身をぶち撒けた。


 夫の壮絶な死を目の当たりににした妻は糸の絡まったマリオネットのように錯乱して現在は入院中とのこと。


 この事件において真っ先に怒りに打ち震えたのは村人達で、最後の村長候補、理胆さんへの糾弾は烈火の如く燃え広がった。突き動かされた村人達は古宮家を取り囲んで、とうとうデモとか学生運動みたいな光景を作り出した。


 けれど、僕はこの呪殺事件が理胆さんの仕業で無いことを知っている。

 村長の急逝を知らされた時の理胆さんの反応は犯人とは思えないし、今は胡散臭い霊媒師を呼び寄せて屋敷に篭もり、呪詛から身を守っている始末。あの恐れ様は演技とも思えない。


 反古宮の村人達に屋敷を取り囲まれている以上、僕は古宮家から抜け出すことが出来ずにいて、夜になれば一旦はデモ隊は引いたけれど入れ替わるように黒塗りのセダンが数台、古宮邸の駐車場に乗り込んできた。車からは一見カタギとは思えない黒服や和装の人たちがゾロゾロと屋敷に入ってきて、膵華曰く彼らは古宮家の危機に駆け付けた『古宮分家』の人らだという。


 古宮家は当主の嫡流を『古宮宗家』と呼び、それ以外の血族を『古宮分家』と呼ぶ。今回突然降って湧いたように現れたのは腎吉翁の弟一族だと云い、膵華は彼らのことを


「宗家の一大事に乗じて当主の座を狙いに来た狐ども」


 と言っていた。


 そして冴え切った月が浮かぶ真夜中、置き提灯が照らす大広間にて古宮家の大一族による会合が秘密結社の如く開かれた。上座の背面には掛け軸の代わりに古宮家の家系図が巨大な長方形に描かれて掛けられていた。腎吉翁よりも3世代前の家系、そして分家も含まれて述べ300人以上はある圧巻の家系図。


 そんな大家系図を背に上座の中央には膵華が座り、上座の斜め下には理胆さんが右腕のように佇む。そして上座に対して黒服や和装の人らが横7列、縦4列で並び、羽賀さんと僕は少し離れた後ろの方にいた。時代劇のような“お殿様とその家臣達”みたいな圧巻の光景で、これを見ると膵華がこの古宮家において重大な存在なのだと改めて実感する。


 提灯の火が揺らめく大広間にて古宮家の今後に対する会議が始まった。内容は主に“村人達をどう鎮めるか”——だったけれど、次第に宗家への追及が始まり、分家の人らは膵華に容赦なく


「呪詛は本当に掛けてないのですか?」

「何か後ろめたいことを抱えてはいないのですか?」


 と問い始める。

 しかし膵華を守るバリアーのように理胆さんが力強い口調で空気を震わす。


「後ろめたいことがあれば貴方らをここには入れん。それに、そこまでして呪詛を掛けたと疑うのであればどうぞ屋敷中をひっくり返して、私らを身包み剥がせば良い。潔白を証明する為なら娼婦の如く裸体を晒すことだって厭わん!」


 言い放ち、分家の人らはどよめいて怯んでいた。


 結局、今後どう対処していくかの議論は上手く進んでいなくて泥沼に足を掬われた様な状態と化していた。

 正直、大学生の僕が見てももどかしい討論会だ。


 あまりにももどかしいから僕も古宮家が今後どうすれば呪殺事件のバッシングから打破出来るのか考えることにした。


 何か考えればこの正座による足の痺れも忘れられるかもしれない……


 ——そんな動機だったけれど、僕はある画期的なアイデアを思いついてしまって頭の中がスパークした。


 それは古宮家の為というかは僕の為というかむしろの為。


 揉みくちゃになっている会合に一石を投じが如く僕は控えめに手を挙げた。


「あの……」


 羽賀さんの目玉が驚愕で飛び出す。

 僕の声は届いていない。

 次は腹いっぱいに空気を吸い込んで


「あのー!!」



 世界が一瞬にして氷河期を迎えた。

 古宮家の大一族たちの視線が一斉に僕に集中砲火。頭が真っ白になって、せっかく組み立てた言葉の羅列が分解される——が、息を呑んで手繰り寄せた。


「お話中すみません……僕に一つ案がありまして」


 氷河期は終わらない。

 咎める様な厳しい目つきたちがレーザーのように突き刺さる。


 さすがに空気が読めなさすぎたか?


 しかし助け舟を出したのは膵華だった。


「申してみなさい」


 台詞を今思い出したみたいに膵華が慌てて言った。無論、打ち合わせなんてしてない。


 次期当主の母の一声で視線の集中砲火に綻びが生まれる。僕はその刹那を逃さない。


「もし、この呪殺事件……本当に古宮家が潔白だとしたら、その潔白を専門家から村人たちへ説明してもらえばいいんですよ。それなりに知名度がある専門家に」


 気味の悪い沈黙の後、古宮分家の知らない男の人が馬鹿にするような口調で言う。


「なんだ、テレビに出てる霊媒師でも呼ぼうってか? それこそ、心霊スポットに行くしか脳が無いような奴らを呼んで村人がどう納得するってんだ」

「違います。実はこの村にはそこそこの知名度を持っていて、それなりに村人からも信頼がある霊媒師——の末裔がいるんですよ」


 僕の回答に反応したのは意外な人物で、それは羽賀さんだった。ハッとなった羽賀さんはその単語を言う——


「……鞠緒是之助の孫娘か!」


 僕はすぐ横にいる羽賀さんに「はい、そうです」と自信満々に返す。


 しかし僕の言葉を嘲笑で塗りたくるのは理胆さんだった。古宮家の大一族達の視線が理胆さんへ集まる。


「ははははははは! あの眼球の館の霊媒師かい。あ奴らは猫よりも気紛れと聞く。ただ館に赴いて、『助けてください』と嘆いたところで動く様な玉じゃないわ! ははははは」


 理胆さんの高笑いを僕は声で貫く


「動きますよ。あの館に棲む鞠緒繭は動きます、僕の声で」


 提灯の火の様に大広間がどよめいた。


「何をふざけたことを言う、使用人。この厳粛な場で遊ぶのも大概にしなさい」

「理胆さん、僕はふざけてないですよ。彼女ならすぐ呼べます。……おそらく」



 再び浴びせられる視線の集中砲火の中、僕は携帯を取り出して連絡先の【鞠緒繭】を押した。


 携帯を耳に当ててもどかしいほど長いコール音と大広間の静寂に耐え凌ぎながらついに彼女の透き通った声が具現した。








「——こういうことなんだけど、来れる?」



「ふふ、言うまでもないですよ。格別のお戯れじゃないですか。……すぐ参りますよ」







 古宮家が鞠緒によって侵される、始まり。

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