【殺す木⑩】貞操
冒険の夜は終わり、朝焼けが滲むように東の空に広がって、瞼を何度も擦りながら午前勤を済ませた。
古宮腸座は晩とは違っていつも通りの様子だった。虚空に叫び、僕のことなんて視界にも入ってない。『ぬいた』と僕に放った腸座は一体何だったのか。暗闇の声の主は本当に腸座だったのか? そんな疑念が払拭できず、モヤモヤしながら働いた。
使用人室に用具の片付けに行った時には羽賀さんに出会して、彼女は熟練技で相変わらずテキパキと動いていたけれど、手洗い場で羽賀さんが雑巾を絞っている時に僕は見離せないものを見てしまった。袖から見えた腕に包帯が巻かれていたのだ。それが垣間見えた時、僕は動悸が止まらなくなった。羽賀さんにその経緯を訊くことなんて、とてもじゃないけれど出来ない。羽賀さんは膵華に一体何をされたのか。
一夜にして僕は古宮家の見方が変わった。
ここは魔の巣窟だ。
早く家に帰りたくなって、僕はいつもより帰りの支度を高速で済ませた。古宮団地に戻って玄関の扉を開ければコンクリートに覆われた窮屈な部屋が現れるけれど古宮の屋敷に比べたら天国に思える。
真っ先にやったのは布団への飛び込み。仰向けになって天井を眺めながら僕は携帯をポケットから引っ張り出す。電話帳から見つけるのは【鞠緒繭】の名。
「もしもし」
「もしもし、葉山だけど」
「あら、やっと葉山さんから掛けてくれましたね。宝石よりも貴重なのですよ? 私の番号。それなのに私にばかり掛けさせて」
悪戯な口調で話す鞠緒に僕はまごつく。
「そりゃあ掛けるのはなんか緊張するし……」
「葉山さん、さては童貞ですね?」
「な」
携帯から針でも飛び出したみたいに僕の心にグサリと刺さる。
「鞠緒からそんなワードが飛んでくるなんて思わなかったよ」
さらりと話題をズラそうとしたけれど、鞠緒は逃さない。
「その人が性交してるか性交してないか、気になりません?」
いつもの透き通った声で淡々と話す鞠緒。
「いやぁ……気にしてどうするの」
「へぇ〜したことあるんだ〜って思うだけです。まぁ葉山さんは未経験だと思いますが」
「なんでそんな断定できるんだよ」
「だってそれは——女慣れした男子達は私を必ず口説きますもの。私の容姿、放ってはおけないでしょう。でも葉山さんは私を一切口説かないので童貞です」
暴れ散らかした方程式なのに解だけは合ってるから反論に困る。
「まぁ……経験無いのは、その通りだけど」
「あら、当たりました」
「何その当てずっぽう感。というか、そんなに口説かれるの?」
心の隅に不安が湧いて神妙に訊いてしまう。
「街に出るとまぁ凄いです。
「え、やるの!?」
胸に釘を打たれたみたいに大きな声が出た。
鞠緒は「いやいや」と訂正を入れて、
「ホテルに着いたら行為の前に前払いで眼玉2つを請求するのです。お陰様で今のところ収穫はゼロ、私は純潔を維持してますが」
「え、じゃあ眼玉2つを差し出したら——」
「勿論、その覚悟に敬意を払ってこの身を捧げますよ。まぁ眼が無ければ私の美貌も台無しですが。ふふ」
蟲惑な態度で笑う鞠緒。
「何だよマジで……」
改めて、この子は狂気を孕んでると痛感した。
これ以上話しても僕には手が負えないと思い、本題である昨晩のことを一気に鞠緒に話した。終始鞠緒は愉快に聞いて、相槌は生き生きとしていた。
「古宮家の一族というのは珍味ですね。噛めば噛むほど不思議な味がする。しかし葉山さんが体験した一晩を解くにはまだまだ材料が足りません」
「まだ潜る必要がある……」
「ええ」
容赦無い返事。脳裏に豹変した膵華、闇の中の腸座、理胆さんと木乃伊が蘇って溜息が出る。
「現状、頂いた材料で推測できるのは、古宮膵華は当主となる男子の出産を急かされてること、古宮理胆と古宮肺明が同じ志しをもっていたこと、そして腎吉翁が当主を腸座に選んだ理由が——古宮肺明を敢えて避けたということです。恐らく腎吉翁と肺明・理胆の二人組には何らかの思想の相違があったのではないでしょうか。むしろ……」
鞠緒は電話の裏でクスクスと笑い出して吹き出すのを堪えていた。
「どうした?」
「いや、葉山さん——古宮家の一族にはまだまだ仕組みがあるようで、数式を完成させる為のエックスがお陰で埋まりました。こう考えれば、ある対立構造が浮き彫りになります」
「対立構造……」
「ええ。古宮一族の豪傑、腎吉翁こそ古宮の思想に反旗を翻した反逆者であり、反対に、鎖のように紡がれた古宮の思想を純に受け継いだのが古宮理胆ですよ。そして腸座は手紙から察するに腎吉翁派だった」
頭に電撃が走った。
「たしかに、そう考えれば昔、腎吉翁が遊び女との子供を作ったりと破天荒してたのも納得がいく。でも……腎吉翁は何で古宮家に背いたんだろうか」
「その動機こそ、古宮家の一族を紐解く一番の鍵なのですが——今の段階ではお手上げです。ただ……」
風が窓を叩いた。
ビクついた僕は携帯を耳に当てながら限界まで上目をして窓を見てみる。案の定何も無い。
鞠緒は淡々と続ける。
「腸座の手紙から読み解けることがあります。地下洞で行われた肺明の性交、お相手は理胆だったのでは」
鞠緒の言葉に耳を疑う。
「いや、それじゃあ兄妹同士、近親相姦じゃ」
「ええ。麗人である理胆が独身を貫いている理由、それこそ彼女が近親相姦でしか快楽を得られないからなのではないでしょうか。そして彼女が男子を膵華に賭ける理由も同じく、自分は他所の男とはまぐわえないから。そもそもですが、古宮家の一族には代々妻を秘匿とする風習がありますよね。なんとも奇妙だなーと思っていたのですが——まさにこの奇習こそ近親相姦が関わっているのでは」
点と点が繋がって何とも知れない悍ましさを感じる。
「古宮家の一族は近親同士でその……やりあってて、じゃあさ、腎吉翁はその連鎖を形は分からないけれど、何とかしようとしてたんじゃない?」
「素晴らしい閃きです葉山さん。そのようであればあれの意味がスっと解剖できますね。——古宮腸座の狂気の序章」
「自分の局部をハサミで切り落とした事件……」
「彼は腎吉翁派ですからね。断ち切ろうとしたのではないでしょうか?」
ピースが埋まって頭がキーンとする。
「こんなにも古宮家の一族は
「でも葉山さん、まだ解き明かした気になるのは早いですよ。私はまだまだ古宮家譚に満たされていないです。ふふ」
この期に及んで彼女の悪いところが出ている。
「村長選の呪殺、あれの手口が気になります。葉山さんが仰る話、いっぺんたりとも呪いの香りがしないのです」
「まあ、古宮家に入ったとはいえ、今のところ呪殺事件に関わってる気配が無いからね。理胆さんが呪術師みたいな迫力があるのは確かたけど。あの人なら念じただけで人を殺せそう」
「安心して下さい。呪術を用いるにはそれ相応の準備と年輪がいりますから、それは無いです」
「年輪?」
「ええ。ワインと形容した方が分かりやすいですしょうか。呪いは熟せば熟すほど効果が出ます。さすれば香るようになるのです、呪いの香りが。でも古宮家にはそれが無い——なので葉山さん、あそこであと一泊くらいしてもらいたいです」
「まだ僕を遣わす気かよ」
「探究する葉山さんが私は好きですよ」
「人使いが荒いよ」
「まぁ古宮邸に私が踏み込む好機があれば良いのですが……」
「理胆さんが侵入を許すとは思えないね」
「ですよね。では葉山さんが頑張るしかありません。ふふ、ファイトです」
鞠緒の言葉に踊らされて僕は嫌々承諾した。けれど抵抗は無くて、僕は鞠緒繭という沼に既に引き摺り込まれていた。
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