【殺す木⑨】地下洞

 手紙を読み終わった時、眼球が蠢いた。僕は玉手箱を開けたみたく禁断に触れた気がして、古宮家の一族が抱える未知の闇に恐れ慄いた。書いてある内容は側から見たら怪文書の類で、常識の枠組みではとても捉えられない。そして僕自身もまた常識の枠組みから外れようとしていた。徐に携帯の時計を見ると【1:44】を差していて、この時『“麒麟の欄間の部屋”を探す時間はまだある』——と思考回路が常識外れになっている。


 手紙が指す地下洞に行けば古宮家を解く手掛かりがあるかもしれない——金田一でも憑依したみたいな探究心が僕を突き動かす。けれど本質に潜むのは脳裏に映る鞠緒の幻影。彼女の存在は僕にとってもはや呪いだ。


 僕は腸座の手紙を握りしめ、客間から恐る恐る廊下へと出た。


 和を強調する焦茶色の通路は普段か歩いているのに今では禁域に侵入したような緊張感が漂う。誰かに出会したら何て言い訳しようか、『お手洗いに』なんて言ってもトイレは客間にあるし、僕の行動を正当化させる言い分が無い。


 そんな状態にも関わらず、僕は襖が並木のように並んでいる奥行きのある廊下に到着した。この辺りは屋敷の中心部で、大広間や中規模の和室が並ぶ場所。欄間があるとすればこの辺りだ。因みに古宮家の人らの自室は屋敷の端にあるからここら辺は無人のはず。


 やるしかないな……


 僕は手当たり次第に襖を開けては中を確認した。

 開いては見渡して携帯のライトで欄間を確認。これを各部屋繰り返してついに麒麟が彫られた欄間を見つけた。

 そこは手毬や琴、祭具や装飾品、そして一際目立つ鎧兜が佇む広間。暗闇で照らされた鎧兜は僕をじっと睨んで何かを守っている様だった。

 その鎧兜の傍らに桜が描かれた襖の押入れがあって、僕は円の窪みに手を掛ける。これを開けたら鎧兜が動き出すんじゃないか——そんなホラーな妄想が泡のように湧いて『まさかな……』と自分を宥めた。


 そして襖を開けると異様な光景が目に映った。


 床に正方形の穴が空いていて、それを塞いでいたであろう蓋がハッチみたく開いている。


 まさに地下洞への通路が晒されていた。


 腸座の手紙には仕掛けの存在が示されていたけれど、これはあまりにもお粗末な隠し通路。その不審さに正方形の穴が僕を喰らう口に見えてくる。


 恐る恐る穴を覗き込んでみるとヒュウっと冷気が顔を撫でた。携帯のライトで照らしてみると急勾配の細い階段がまさに地下へと続いている。


 僕は背後の襖を閉じて穴へ身を沈めていく。服の隙間から冷気が入り込んで背筋が凍っていくが、それは恐怖心も作用していた。

 階段は肩が壁を擦るほど狭くてピラミッドの中でも探索してるみたいだった。一歩一歩に「タン、タン」と響音が伴う。階段を下り切ると僕の背丈より少しだけ高い洞窟の通路があって、100メートル程先に微かに揺らめく火の光があった。


 緊迫と興奮が渦巻きながら、幽霊みたいな形の氷柱石に頭をぶつけないように気を付けて光を目指す。

 


 腸座の手紙通り屋敷の地下にはこんな洞窟があったとは……

 もしこの空間が本当に古宮家以外に知られていないのだとしたら、古宮家はここでどんな悪事をしたって公になるのとは無い。まさに法を逃れた無法地帯ブラックサイト

 そんなことを思いながら光に近づいた時——僕は急いで石柱の陰に隠れざるを得ない事態になった。


 理胆さんの後ろ姿があったからだ。


 光の正体は理胆さんが手に持った提灯で、灯火に照らされた理胆さんは浴衣姿で祭壇に続く段の途中に佇んでいた。


 入る時、仕掛けを解かずに穴が剥き出しになっていのは先客がいたからだ。そもそもここは当主以外は立ち寄れない場所のはず。何故理胆さんが。しかも何の為に……

 その訳は理胆さんがなんだとすぐ分かった。彼女の向こう側に人影があって、それは痩せ細っていて、茶色い肌をした人間。声を発することも動くこともない。


 もはや生きてもいない屍——


 木乃伊ミイラ!?


 僕は肺が潰れたみたいに呼吸が止まって、目が飛び出すくらいの衝撃を受けた。


 木乃伊は目と鼻が腐り果てたのっぺらぼうで三つの凹みが“これは顔だ”と辛うじて示している。身体は鰹本枯のように生物と物体の中間になっていて、木の枝みたいな四肢が石柱に括り付けられていた。


 沈黙の死骸に対して理胆さんは言葉を紡いでいる。木乃伊と対面する麗人——あまりにも不気味な光景で、語りかけるその姿は夫の墓前に立つ未亡人の様だ。


「確か……私が8つか9つの頃でしょうか、納屋に篭って泣いている腸座を私たちで引っ張り出しましたね。あまりにも泣くものだから眼玉をくり抜いてしまおうとスプーンを持ってきたら腸座がスっと泣き止んで、それでも恥を晒した腸座を罰してやろうと腸座の喉にスプーンを押し込んだらお兄様は私の頬を叩いて止めました。今でも私は胸を掻きむしりたいほど後悔してますよ、幼い頃、どこかで腸座を殺しておけばお兄様が当主だったのに——と。さすればこんな冷たい石の牢で眠ることもありませんでしたのに」


 弦楽器のような声でそう言う理胆さん。


 まさか、この木乃伊が古宮肺明……

 

「お兄様が当主で子を残していれば……と、夢想が私を苦しめる毎日です。今、古宮分家も次期当主を立てろと五月蝿うるさくなってきました。このまま宗家の我らに男子が産まれなければ分家の細民共が宗家逆転を企てるのは時間の問題。いや、既に企てているやも……後は膵華次第です。あれは顔が良い——男をたぎらせる顔です。悦ば方も教えておりますので、子をたくさん孕めばいいのですが。他にも古宮法典の回収が難航してまして、自白剤では中々腸座は吐きません。馬鹿は薬の効きが悪いようで。それに村長選も滞ってしまって、才の無い副村長と村議会が政をする始末です。このままでは市町村合併派に呑まれてしまって村の存続が危ぶまれてます。はぁ……このように試練が山の如きに連なっているのです。それに——


 思わず僕は石柱から出していた顔を引っ込めた。理胆さんは背中を向けたままで僕に気付いてるはずがない——けれど、今の言葉はまるで僕に気が付いているような……


 段を下る足音がして僕は口を手で塞ぐ。

 足音は次第に大きくなったけれど、途中で一定になり、最終的には遠のいていく。理胆さんは出口に向かった。


「危な……」


 押さえていた口を解放して呼吸を整える。


 理胆さんが階段を上ったのを確認して、僕は石柱の陰から飛び出した。


 闇に佇む木乃伊の元へ。祭壇の下から覗き込んで朽ち果てた死骸を照らす。乾き切った身体は生物としての気配を失って、不思議とショッキングな気持ちや残酷さを感じる事はなかった。それこそ前に鞠緒と話した“即身仏”を見ているような、神聖な物を見ている様にすら思える。


「古宮肺明……?」


 古宮団地の4号棟に出入りしていた男が木乃伊となって地下洞に眠っているというのはどうしても【餓死動画.mp4】を彷彿とさせる。

 疑惑を巡らせながら木乃伊を暗闇で照らし続けていると流石に恐怖心が湧いてきた。冷静になって辺りを見渡せば広大な暗闇で、その中にポツンといるのが恐ろしくなって、闇に押し出されるように僕はこの場から離れて出口に向かった。

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