【殺す木⑧】腸座の手紙

 何者でもない私から何者でもない君へ記す——



 今日は何というか檸檬味の炭酸が飲みたくなるような暑い日だ。

 縁側で草臥れていると中庭で踊る蝶が見れた。

 パステルみたく色とりどりの花の舞台、黄色い衣装をはためかせて蝶が舞っていて、あれを見た時に父、腎吉が中庭に花の種を植えたことを思い出した。これは父が見たかった光景を私が見ているという事象なのだ。そう思うと考え深い気持ちになる。


 父が逝去して6年が経った。つまるところ膵華が生まれて6年が経ったと同意義であるというのは古宮の数奇な運命を物語っている。

 もう少し出産が早まれば父は膵華を腕で抱くことができたであろう。しかしそれは父にとって喜ばしいことなのか、それとも怨めしいことなのか、私の未熟な前頭葉では想像も出来ない。


 薔薇のような理胆姉さんは膵華に対して棘を向ける。肺明兄さんも膵華を憎たらしい目で見ている。

 古宮の鑑みたいな二人だ、無理もない


 肺明兄さんはこの頃4号棟への出入りを頻繁にしていて、御殿様管理会の奴等も「いくら社家だからって別荘みたいに使うのは困る」と私に苦情入れてきた。兄に問いただせば「気分転換だよ」と鸚哥インコのように繰り返すばかりだから、『弟』である私は弱る。昔から肺明兄さんは私を誤魔化す。肺明兄さんは昔、蝉の抜け殻を陸の海老の脱皮だと偽って私に教えた。何故そんな嘘を付いたのか、青年になった私が問うたところ肺明兄さんは「あの時は兎に角頭を使いたくなくて、“羽化”をお前に教えるのが面倒だった」と告白した。生まれた日が9日しか変わらないのに随分となめられたものだと思う。


 膵華が這い這いをし始めた頃だろうか、肺明兄さんは一時期、夜な夜な屋敷の地下洞にも出入りしていることがあった。あそこは当主以外は立ち入れない禁域なのに持ち前の勘の良さで隠し扉の開け方を解いた肺明兄さんはなんとも鬼才である。


 兄の尊厳の為に私は皆々にこのことを伝えてはいなかったが、この手紙をもって発露させよう、肺明兄さんは地下洞で性交に没入していた。


 螺旋のように紡がれた古宮の文化的遺伝子は既に三頭の蛇の如く分裂し、ケイオスと化している。

 お父様の理想郷は完成しつつある。





 そしてこの手紙を受け取った者へ。


 じきに私は狂う。 


 理胆姉さんには気を付けろ。


 そして何より、膵華の子だけは作るな。


 




 ■隠し扉


 麒麟の欄間がある部屋の押入れ。

 左の襖を右→左→右→に開閉して右の襖を右→左に開閉すると隠し穴が開く。

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