【殺す木⑥】長男:肺明
絵の具のような夕闇が窓から見える頃、机に置いてあった携帯が震えた。鞠緒からの着信だ。
「もしもし」
「もしもし葉山さん。ご自宅に戻られました?」
「うん。丁度さっき」
「いかがです? 古宮家の日々は」
古宮家譚に腹を空かせた鞠緒からの電話で
、僕は屋敷での4日間を洗いざらいに話した。何よりも怪奇な古宮腸座にウェイトを置いて話したけれど、鞠緒が興味を示したのは意外な部分だった。
「でも不思議ですよね。当主の姉であり威厳もある古宮理胆を差し置いて古宮膵華が“次期当主”というのは」
独特な着眼点だ。僕は大して問題だとは思っていなかった。
「当主の実子じゃないとダメとか縛りがあるんじゃ——」
「あら葉山さん、『古宮腎吉伝』を読んでおりませんね?」
猫撫で声で言う鞠緒。
「何それ、マニアックすぎない?」
「腎吉翁自筆の自伝ですよ。殆どがポエムで完読するには忍耐力と信仰心が試されますが」
「致命的だなあ……」
「それによるとですね、腎吉翁の前の当主は彼の兄なのです。腎吉翁は20代の頃に兄が急逝して、それに伴って当主の座を引き継いだようですが、当時兄には子が——つまり腎吉翁の甥がいたと書かれています」
「じゃあ理胆さんが当主になることも出来る……」
鞠緒は「うーむ」と推理ごっこでも愉しんでるみたいな唸りをして、
「古宮理胆は『古宮法典』というものを腸座の記憶から必死にサルベージしていて、それが出来次第、古宮膵華が当主になる——古宮理胆は率先して古宮家の存続の為に動いているのに姪が当主になることに納得しているのでしょうか」
鋭いところ突く鞠緒。
「そうだよね。そこまで頑張るモチベーションって何だろうって考えた時に真っ先に思い浮かぶのは——自分が当主になる為……」
「しかし古宮膵華が当主になることに異論は無いどころか、当主の座に見向きもしないで村長選に立候補しています。古宮のプライドを捨ててまで」
「だとすれば……単純に膵華が若いから彼女を傀儡にして自分は影から操る黒幕的な?」
鞠緒は少し笑いを含めながら、
「昔の古宮家と村長みたいな関係ですね」
皮肉っぽく言う。
「確かにそれであれば、膵華さんは若くて綺麗。華なありますからね。看板娘にもなります」
「とはいえ理胆さんも中々の美人なんだけどね」
「あら葉山さん、熟女がお好きで?」
興味津々な口調で訊いてくる鞠緒。
「い、いやあそんなことはないけど、あくまで客観的な話ね。うん」
「ふふ、そうですか。でも葉山さんが仰る通り、若さが強く関係しているのはポイントかもしれません」
そんな話をしている途中、僕はある人物を思い出した。それは次期当主の話題において欠かせない一人。
「そういえばさ、古宮家には長男に『肺明』って人がいて、まだ一度も会っていないんだけど、彼はどうなんだろう」
腎吉翁の子は長男:肺明、長女:理胆、次男:腸座の3人だ。遊び女の方まで家系図を広げると麻衣花さんのお父さんも一応腎吉翁の子には入るけど、それは今は置いておくとして、長男の肺明の形跡が今の古宮家には一切無い。
「その“古宮肺明”という人物、存在するのでしょうか?」
「え」
「村では現当主の古宮腸座が腎吉翁の長男と認識されてます。それは腎吉翁の自伝でも同じです。葉山さんは“古宮肺明”の存在をどうやって知ったのですか?」
「どうやってって……羽賀さんの話の中にすんなり居たような」
「あら、不思議なこともありますね。なら仮に“古宮肺明”が実在したとして、長男である彼が当主に選ばれなかったのは何故でしょうかねぇ……まあ実在していたらの話ですが」
悪戯に笑いながら不穏なことを言う鞠緒。
羽賀さんから聞いたから問題無いとは思うけれど……
僕は肺明について次のバイトの時に膵華に訊いてみることにした。
——まさかそれがあんなことになるとは思いも寄らなかったけれど……
*
ここで羽賀さんから聞いた古宮家の話を踏まえて、現状を整理する。
1970年代、当時の当主古宮腎吉は妻との間に長男:肺明、長女:理胆、次男:腸座を授かり、15年後、腎吉は後継者として長男長女を差し置いて腸座を選んだ。腸座は古宮家の礎となる『古宮法典』を口頭で腎吉翁から引き継いだが、約20年後、腸座は古宮法典を次期当主に引き継ぐ前に狂病を患った。古宮家としては一刻も早く当主の座を腸座の娘である膵華としたいところであるが古宮法典のサルベージが完遂しない限り新しい当主を迎えることが出来ない。尚、サルベージに関しては腸座の姉である理胆さんが率先して動いていている。
長男:肺明の影は今の古宮家には一切無い。
ここで浮かび上がる疑問は
・腎吉翁は何故次男の腸座を後継者としたのか。
・何故理胆さんを差し置いて中学生の膵華が次期当主なのか。
・そもそも長男の肺明は存在するのか。
という点だ。
*
前泊の日、古宮家に前乗りするとまず台所に案内されて、羽賀さんが作ってくれた親御丼と味噌汁を客間に運び込んだ。要は僕のまかなきで、6畳くらいの客間で美味しく頂く。
障子を開ければ夜も映える中庭が現れて、まかないにしては贅沢な料理と格別な景色を堪能する。
まかないを食べた後は客間を自由に使って良いとのことなので畳に寝転がって目を瞑ってみたり、なんとなく携帯を開いてみたりとしたみたけれど、その時に画面のアンテナが一個も立っていないことに気がついた。
「圏外……」
そういえばここでのバイト中、一回も携帯を使わなかった。門前では使えたけれど、屋敷内は電波がダメみたいだ。
途端に僕は夜に包まれたこの客間が恐ろしい空間に思えてきて寒気がする。
それにやることもなくて、だからと言って屋敷内を勝手にウロウロする訳にもいかないから、僕は心細い気持ちで客間に留まるしかなかない。時間の流れがこんなにも遅く感じるのは小学校の授業以来だ。
時の牢獄に苦しんでいると廊下の方からタン、ギシィという音が響く。足音と木の軋みだ。それが段々と大きくなっていく。
思わず構えるが、戸の向こうから「開けるよ」と言う声がした。
それは膵華の声で安心して僕は「どうぞ」と言うと、初めて会った時と同じパーカーに短パン姿の膵華が入ってきた。
「やっほー」
抑揚の無いトーンで挨拶する膵華。
「お邪魔してます」
一応は
「別に普通でいいのに」
そう言いながら畳に胡座をかく膵華。
「一応屋敷ん中だし」
「えー、偉く見える?」
細い腕を広げて幼さの残る体を披露する膵華。理胆さんに比べれば無論彼女はまだ子供。
「うーん……」
「ほらねー、てか家で偉い立場とか普通に嫌」
伸びて猫みたいに畳に寝転がりだす膵華。
「へー、荷が重いみたいな?」
「というよりはこんなとこにずっといるんだよ〜? ぶっちゃけた話、東京の女子高生にでもなりたーいって感じ」
ごく普通の女子中学生らしいことを言う膵華。
僕は思い切って訊いてみる。
「理胆さんに当主の座を明け渡しちゃったり出来ないの?」
仰向けに転がっていた膵華はうつ伏せになってピタっと止まる。
「ここからは修学旅行の夜的なトークだけど——私と理胆叔母さんならどっちとやりたい?」
一瞬聞き間違えたか、何か方言の一種なのかと思ったけれど、膵華は分かりやすいように言い直して、
「えーと、言い方変えると私と理胆叔母さんならどっちが元気な子を産むと思う?」
ストリートな物言いに僕はたじろいでしまう。
「まぁ……年齢で言えば若い膵華のがって気もするけど……」
「でしょ。そういうことだよ」
「え」
「『次期当主』ってのは私のお腹の中のこと」
言語による衝撃は
「え、妊娠してるの?」
「ははは、まさか。これからの話だよ」
畳を掌で叩いて目を線にして笑う膵華。
だとしてもそれは悍ましいことに違いない。膵華が古宮家において当主を産む為だけの道具に思えてしまう。
しかし膵華はそれを決定付けるように——
「最近はこのこと忘れられてるけど、古宮の一族は昔から男しか当主になれないんだよ。だから私は『次期当主』なんて呼ばれてるけど実際は子宮の中のことを言ってる」
生々しいワードに吐き気すら覚える。それは古宮の一族に対する嫌悪もあった。
「お父さんがあんなになってるから、当主産め産めって変なプレッシャー掛けられてんの。はぁ、東京行きたー」
溜息混じりに吐露する膵華。
彼女が東京に行きたがっているのは憧れから来るものだけじゃなくて、むしろ逃走の意味もあるかもしれない。
15の中学生に子を急かすくらいなら——と僕はあのことを訊く。
「君の叔父にあたるさ、肺明さんはどうな——」
「でしゃばるなよ」
食い気味に飛んできた罵声が僕の言葉を殺す。彼女は目で威圧して僕を封じると徐に立ち上がり、冷徹な女帝のような殺気を放つ。
「立場を履き違えんな。あんたが及んでいいのは私らが思案を重ねて裁許したところまでだ。その名は一切語らせるか」
猫が豹へと変わり、牙のような声が僕に巻き付く。膵華は言い放った後舌打ちをして視線を斜めに下ろした。
「羽賀のばばあだな。あいつ余計な名を教えやがって。こらしめんとな」
膵華は翻して畳を踏みつけながら客間を出た。
襖が思い切り閉まって、乾いた音が耳を痛く突いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます