【殺す木④】古宮家の一族

 インターホンのマイクに声を掛ける寸前「ええ、そこでお待ちを」としゃがれた老婆の音声で待機を命じられた。よくよく門の上部を見ると屋根の裏側には監視カメラが設置されていて、僕の姿は屋敷内のモニターに映っているんだろう、事前に今日のことを聞いていたと思われる人がスタスタと内側から門を開けにくる音が聞こえた。


 ガコンという鈍い音がしてギィィと厚い木の門が開くと黒い割烹着を着た灰色髪の老婆が姿を現した。骨と皮が目立つシワシワのお婆さんで、杖を突いていてもおかしくない容姿なのに黒目は冴えていて、目が合うとすぐに僕は視線を逸らしたくなった。自己紹介をされなくてもこの老婆が噂に聞く古宮家に仕える乳母だと分かる。


「初めまして、バイトで来ました葉山です」

「ええ聞いとる聞いとる。ほら、上がり上がり」

「お邪魔します」


 テンポの速い手招きで招き入れ、すんなりとした対応をする老婆。僕が門を跨ぐと「20代とは聞いたけど、えらい若いなー」と僕のつま先から顔を往復して見る。座った目で見られるものだから色々と観察されてそうで怖い。


「20、何歳よ」

「一応ちょうど20歳はたちなります」

「ならお嬢様とは5歳差という訳や。はーん……」


 お嬢様とは膵華のことだろう。最後の「はーん」のところで4回くらい頷いて一旦僕から目を逸らす老婆。その年齢差には一体何があるのか、初対面で聞く勇気は無かったし、聞いたところで誤魔化されそうな気がしたから追及しなかった。


 僕は屋敷へと続く砂利敷きを老婆と並列になって、庭園に連なる灯籠に沿って歩いて行く。


「そうだわ、自己紹介が遅れたねえ。わしは羽賀と申しますわ。この古宮家に仕えてるもんです」


 僕は「よろしくお願いします」と返して、沈黙が訪れたものだから「こうやって間近で見ると、やっぱり立派な屋敷ですよね」と無難なことを付け足す。


「そりゃあ古宮家やからなぁ」


 何を当たり前のことを言っているんだ——と言われた気がして僕は黙った。


 小刻に歩く羽賀さんにスピードを合わせなが砂利敷を進み、屋敷の前まで到着すると玄関は車が入りそうなくらいに大きくて、羽賀さんが戸を開くと雅な香りがふわっと鼻に入ってきた。昭和の学校のような広くて木をふんだんに使った廊下が目一杯に現れて、障子の枚数の多さ驚く。障子の奥にはどれだけ広い空間があって、幾つ部屋があるのだろうか。案内も無しに歩いたら目が回りそうだ。屋敷の内部に冒険心が疼く。


 しかし、そんな浮かれた心をただすように廊下の奥の方からスタスタと歩く着物の女性が空気を張り詰めらせる。羽賀さんがピンっと止まって、一礼をするものだから僕も倣って同じく一礼。何より目に留まったのは赤と黒と白の柄の着物。特に赤色の主張が強く、様々な日本文様が入り混ざったもはや“奇抜”に片足を突っ込んでる柄。何よりその奇抜さをもさまにしている女性の美しさ。黒髪を結いで目頭の尖った人相。時代劇みたく大胆な紅の口紅をして、しかもそれが似合う“和装の麗人”。


 羽賀さんが「古宮理胆様です」と小声で僕に伝える。彼女こそ村中の話題を掻っ攫っているお人。村長選の立候補者であり呪殺事件の首謀者と疑われている。理胆さんの厳しそうな顔は失礼ながら『呪いを操る』と言われても納得ができる。


 歩く理胆さんとの距離が縮まったところで羽賀さんが「理胆様、例の新しい使用人です」と告げる。僕は一瞬まごついた後に「葉山と申します」とかしこまって挨拶をした。理胆さんは会釈にも満たない些細な礼をして、僕のことを見ることもなく素通りしていく。が、通り過ぎる寸前で彼女は横目にギロっと僕を見た。思わずゾっとする。その真意は分からず、理胆さんはスラっとした後ろ姿を見せながら廊下の先へ流れていった。


「お忙しい方ですからねぇ。特に今は村中からの批判の処理に追われているもんで、気苦労されてるのですわ」


 理胆さんの冷遇をフォローするように言う羽賀さん。それから「では」と手刀の形で廊下の果てを差す。

 僕は一体何処へ連れて行かれるのか。その疑問が次第に畏怖になるのはすぐこの後のこと。


 羽賀さんが中庭に掛かった屋根付きの橋へ出ると橋の先には茶屋のような離れがあって、竹林を背にして佇む姿はなんとも風情がある。


「この先に古宮当主、古宮腸座様がおりますわ」


 緊張が走る。けれど何より違和感がある。当主が何故かこんな離れにいるのか。それに羽賀さんは木割烹着の懐からジャラジャラと輪に付いた鍵たちを取り出して、鍵を選んでいる。まさか外から鍵を開けて入るのか?


 それだとまるで当主を閉じ込めてるみたいじゃないか……


 しかも離れに近づくにつれて子供の喚き声みたいなのが聴こえて、しかし耳を凝らしてよく聞くと、それは断末魔のようは恐ろしい声だった。


 羽賀さんは離れの声に反応もせず輪から鍵を引きちぎって、それを「ほい」と僕に渡す。意図が分からず「はい?」と訊くと羽賀さんはにっこりと笑顔を浮かべて「あんたの役目は当主様のお世話やわ」とシワシワの手で僕にしっかりと鍵を握らせた。羽賀さんの硬くて冷たい手の感触がする。


 思わず「え、え、え、」と狼狽する僕。羽賀さんは鍵を開けるジェスチャーをして僕に戸を開けるように指示する。……もう従うしかない。


 狂気の声が漏れてくる戸。恐る恐る鍵穴に鍵を挿して捻る。開ける寸前に羽賀さんの顔を見てみると『開けろ』という目で促してきた。


 意を決して扉を開けると——








 古宮家は代々、次期当主が15の歳の頃に『十五式』という儀式を行い、それは現当主が次期当主に対して古宮家の礎を託すというものであった。ここで云う礎とは『古宮法典』と呼ばれる古宮家の“秘密”であり、それはで現当主から次期当主へと引き継がれる。


 腸座は27年前に十五式を終え、腎吉翁より古宮法典を引き継いだ。それは長男の『肺明』を差し置いて。

 腎吉翁の死後は腸座が当主となり、古宮家を支えていたが今から9年前に事件は起きた。


 羽賀さんの話によるとそれは火匣祭の翌日、満月の夜の日に当時6歳だった膵華の悲鳴が屋敷中に轟いて、それは唯ならぬ叫びだったという。膵華は深夜に心細くなって父親の腸座の寝室を訪れ戸を開けた時にを見てしまったのだ。

 膵華の悲鳴に真っ先に駆けつけた羽賀さんが見たのは——布地の椅子にぐったりと腰を掛けて、下半身を露出した状態で局部から大量の血を流している腸座の姿だった。彼は朦朧とし、右手には鉄鋏てつばさみが握られていて、畳の血溜まりの中には腸座の……一物いちもつであろう肉片が落ちていた。


 次第に肺明、理胆さんも駆け付けて、理胆さんは壮絶な弟の姿を見るとズカズカと寝室に押し入り、「しっかりしろぉぉぉ!!」と憤怒しながら腸座の頬を思い切り叩いたという。腸座は意識を取り戻したがニヤリと古宮家の一族たちを妖怪のような笑みで眺め、その日よりを話さなくなった。支離滅裂な単語を並べて、奇声を上げ、狂病くるいやまいを患った。理胆さんが訪問医を呼びつけたが治る目処は立たず、今も離れに封じ込まれている。


 何より問題なのが次期当主に『古宮法典』が引き継がれなかったことだ。十五式の前に腸座が狂病に発症したことによって古宮家の礎が腸座に留まり、理胆さんは様々な方法で今も弟の記憶のサルベージを試みているが、一向に古宮法典回収の兆しは立っていないらしい。


 

 そして今、離れにて僕が見た古宮腸座の姿とは——

 


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