【殺す木③】発端
●●村では村長選挙が間近に迫っていた。候補者として名乗り出たのは3人。前村長の園田昌雄氏(68)、新鋭の真鍋明氏(35)、そして古宮家現当主の姉に当たる
かつて腎吉翁の時代までは村長はお飾りで、実態は古宮家こそ村の支配者であった。しかし腎吉翁の死去と共に古宮家は衰退。村長としての役職が本格的に機能し始めたのは昭和が終わった頃だった。
今回の村長選挙で古宮家から立候補者が出たことは村人たちの度肝を抜いた。
古宮家は『村長程度の器には留まらない』というある種のプライド、意地を張っていて、今回古宮家が村長選に立候補したのは村人にとっては青天の霹靂。古宮家が切羽詰まっているという表れでもある。古宮家の立候補は衰退を自ら晒したようなものだった。
選挙は公平の元、順調に準備が進められていたが、夏の終わり、世間の学校では始業式が始まった頃に事件は起きた。
村長候補、真鍋明氏が呪殺されたのだ。
『呪殺』とは村人が勝手に言っているだけで公には“不審死”ということになっている。
真鍋氏はその日、村の南部にある自宅の2階で執務をしていた。真鍋夫人はその時役場にいて、長男は幼稚園にいる頃だった。この時点で家族のアリバイは成立している訳だが、何よりこの事件を“呪殺事件”だと言わせている所以が真鍋邸が密室であったことだ。玄関の鍵は勿論、窓もしっかり閉じていて鍵も掛かっていた。真鍋氏はその密室で圧死していたのだ。天井が崩れたとか家具が倒れたとかではない。書斎の中で椅子から転げ落ち、医学上では圧死と見なされる死に方をしていた。
警察によると上半身が果実を潰したみたいに呆気なく潰れていたらしい。原型を辛うじて留めていたから被害者が真鍋氏だとは早い段階で断定できたという。
第一発見者は
事件は迷宮入りコースへと突入して、村の中では『村長選を勝ち抜く為に古宮家が呪詛を用いた』という噂で持ちきりだった。お陰で候補者の一人であった園田候補は呪詛を恐れて村長選を辞退。そのゴタゴタで村長選自体が無期限の保留となった。
何故古宮家が『呪詛を用いた』なんて証拠の無いことを言われているのか—— それは古宮家が御殿様を見守る社家の筆頭であり、『“御殿様の御業”を自在に操ることが出来る』だなんて伝説が残っているからだ。無論、警察の調査では古宮家一族のアリバイは成立していて容疑者候補のリストから外れているらしいけれど、村人の疑心は村中に広がっている。
古宮膵華が暴漢に襲われていたのも反古宮思想の過激な村人によるものだった。古宮家は村人の暴挙に備えて膵華に防弾チョッキを着させていた。
—— それはそれとして僕は『真鍋夫人が失禁した』とか『容疑者リストから外れてる』とか、そんな専門筋しか知り得ない情報が僕の耳に入るほど、あっという間に広がっている村の閉塞感に恐れ慄いていた。
*
『必要なのはカジュアルすぎない服くらい。あと、早朝勤務がある時は21時以降から前泊しても大丈夫だから、その時は服と下着が必要。いるのはそのくらいかな』
初出勤の日。僕は古宮膵華に言われた通り地味なワイシャツとスラックスを履いて、ほぼ手ぶらで古宮邸へとやって来た。村の中心地から少し外れて林を抜けると屋敷は池畔に佇んでいる。大きな平屋で観光名所になってもおかしくないくらいの武家屋敷。かつて村を治めていた支配者の風格を漂わせていた。
「ここでバイトか……」
履歴書を送ることも面接をすることも無かった。古宮膵華のひと声で僕は使用人として採用された。彼女はまだあどけなさが残る中学生だったけれど、鶴の一声の持ち主らしく、そこそこの権力を感じさせる。膵華は自分の口では身の上をそんなに明かさなかったけれど、年齢的にも恐らく現当主の娘—— 古宮家の令嬢。そりゃあ権力もある。
そんなことを思いながら僕は立派な瓦屋根の門前へ。携帯の時計を見れば出勤時間の15分前。今行くか、あと5分待つか。そんな些細なことを天秤に掛けて門の前をうろちょろする。
——やばい、怪しい不審者だと思われて呪殺されたらどうしよう。
そんな冗談混じりの自虐が頭を過って、僕は古宮家が今まさに疑念渦巻く話題の一家だということを思い出した。
呪殺疑惑の家に使用人として働きに行くなんて常軌を逸してると自分でも自覚はあるけれど、僕はお金が欲しくて、好奇心に逆らえなくて、何より……鞠緒と話したくて働く意を決した。
鞠緒と体験した蓮見家の一件は確かに地獄だったけれど、鞠緒繭という人間に対して僕はどうしても興味を抱いてしまった。しかし彼女に対して日常の話や好きな映画、テレビの話なんてのは
だからこそ僕は古宮家でのバイトが決まった時、良い手土産ができたと思い、それをきっかけに先日眼球の館に赴いた。
僕が古宮家の使用人としてバイトを始めることを告げると鞠緒繭は驚喜に近い表情をして「葉山さん、私を楽しませてくれるのですね」と透き通った声で言った。呪殺疑惑の真っ只中にいる古宮家に僕が潜入して、要は現地リポーターになるからだ。お陰で一方的な非通知の電話を受け取る関係から互いの連絡先を知っている関係になった。
それに鞠緒は「それこそ餓死動画も古宮家が絡んでると思います」と見解を述べた。なんせ古宮家は御殿様の社家であり、4号棟の管理にも携わっている。それもあって僕は古宮家への諜報活動を決意した。
そして今、古宮邸のインターホンを押そうとした時、図ったように携帯が鳴った。【鞠緒繭】の表示だ。通話ボタンを押すと「もしもし」と上品な声がする。
「今から入るとこだよ」
「そうだと思いました。前に蓮見麻衣子から『葉山くんはギリギリを嫌って、必ず10分前にはバイト先に来る』と聞いてましたから」
わざわざ麻衣花さんの名前を出すあたり、鞠緒の底知れぬ邪悪さを感じる。
「古宮家に入る前に一つ、忠告しておきたいことがありまして連絡しました」
「なるほどね」
「葉山さんが使用人として雇われた理由……単に人手不足だからではないと思うのですね。あそこには随分と凄腕な乳母がいて、まぁよく働くと聞いたことがあります。更なる使用人を雇うほどの財力も今の古宮家には無い気がしまして——それでもなお20代の男性を欲する理由とは……ま、知りませんが。ふふ、なので、くれぐれも古宮家の陰謀にはお気をつけて」
「随分と人ごとだな」と言うと鞠緒は「ええ」と明るいトーンで肯定した。
電話が切れ、気を取り直して僕は勇気を振り絞ってインターホンを押した。
——これから先、僕は恐るべき古宮家の一族と対面し、彼らが抱えた忌々しい秘密を見ることになる。
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