【殺す木①】そこに在る木

 乳白色の霧が漂う深淵の森。大木の根が這う険しい道をつゆに濡れながら少女は進み、濃い緑の木々が幽玄に聳える奥底で“木”は赤い気配を放ちながら不気味に少女を睨んだ。決して眼があるわけではない。それでも少女は木に“睨まれている”と感じた。


 一見普通の木。しかしそれはの話。よく目を凝らして見てみると、手を広げるように伸びている枝の先には一個だけピンク色の実が実っていた。胡桃よりは大きいけれど林檎よりは小さい皺皺しわしわの実。少女は近づいて、それの正体に気がついた時「きゃ」と声を上げた。


 脳。明らかに枝の先に脳が実っているのだ。


 怯えて動けなくなった少女。

 木は彼女をずっと睨み続けた。 






 



 ——かつて壇ノ浦の戦いを生き延びた平家の残党は山々を越え、この●●村に辿り着いた。最初こそ歓迎されていたが源氏の追求を恐れた村長らは平家の残党を殺害し、その遺体を匣、匣、匣に詰めて窯で焼いてしまった。こうして村は存続し、北条泰時が幕府の頂に立ってからは古宮家という豪族が現れてこの村を治めた。


 それから古宮家の一族は700年以上も君臨し、村に在り続けた。


 しかし今は“君臨”とは程遠い、衰退の一途を辿っている。その引き金となったのが1970年代、古宮家19代当主、腎吉翁じんきちおうの遊び女である初子が子を孕み、腎吉翁が彼女に古宮姓を与えたことだ。これは村にとっては大事件だった。腎吉翁には既に正妻も嫡男もいたこともあって、格式のある古宮家の当主が遊び女程度の女子を妻にするなど前代未聞。


 そもそも古宮家とは代々奇習があり、花嫁候補は遠方より越させた選りすぐりの貴女だと云われていた。それを腎吉翁は『わしの妻は遊郭一の美女じゃ』とこれ見よがしに村中に言いふらし、初子と出歩いていたのだ。

 腎吉翁は元々村人からの支持も厚かったが、それからの素行はあまりにも豪傑が過ぎていた。

 

 何百年の歴史を覆し、初めて公表された古宮家の妻。


 それはある種、村人たちが心の奥底で抱いていた疑念の芽を咲かすきっかけにもなった。


 ——“これまで初子以外の古宮家の妻を見たことが無い。一切、誰も”


 姿も無い。記録も無い。噂も無い。


 それ以降、村人たちの間ではこんな陰口が面白おかしく広まった。


『古宮はめす要らず。きのこの一族』

——と。

 

 

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