【肉体が亡い⑨】エンドロール

 空が青さに澄み切る明け方だった。雄大に聳える古宮団地の1号棟、その屋上で人影が棒のように直立して次第にゾンビのような足取りでゆっくりと端へ向かっていた。屋上に繋がる扉は鎖と南京錠で塞がれてる筈なのに、彼はチェーンカッターでも使ったのだろうか、そこまでして屋上に立つ意味を僕は知っていた。


 1号棟を見渡せる山の開発地帯にいる僕。隣には鞠緒がいた。そもそも僕がここにいる理由は彼女から「おもしろいものが見れる」と誘われたからだ。もし、これから始まる悲劇が彼女の言う“おもしろいもの”だとしたら、それこそ鞠緒繭という人物の人間性を疑う。


 しかし僕の嫌な予感は的中した。


 人影は等身大の柵をよじ登って、柵の外側に虫みたいにくっ付くと、ひょいと身を投げた。頭から落ちていく様を僕は最後まで見届けれず、刹那的に目を瞑った。

 7階立ての建物だ。屋上から飛び立てば生存率なんて概念は無い。確かなる死。


 僕は心臓を潰されたみたいにショックを受けて体が震えたが、鞠緒はその傍らで「ふふふ」と淑女のように笑い恍惚な表情を浮かべている。

 彼女にとってはあれが喜劇だというのか。


「葉山さん。この残酷劇グランニギョルは蓮見聖司がことから始まりました。例え胎内のらんとてそれは魂に違いありません。蔑ろにすれば非人道的な行為に値します。その報いとして彼は全てを喪い、自らの命さえも……しかし、この一連の事件において蓮見聖司もまた—— 被害者だと私は思ってます」


 鞠緒はこれらの事件を一概に蓮見聖司の自業自得とはしなかった。僕は震えながらも好奇心が湧いて、耳に神経が集中する。


「蓮見麻衣花の眼球を摘出する時でした。手術の直前に私は契約書を取り交わすのですが、書面には旧姓を書く項目も設けておりました。彼女はそこに何と書いたと思います?」


 僕が悩む前に彼女は間髪入れずに言う。


「……“古宮麻衣花”と記入したのです」


 息を呑んだ。“古宮”という姓はこの村において特別だ。目の前の古宮団地然り、かつての豪族、古宮家然り。


「私はそれを見て、まさかとは思いましたが——蓮見聖司の両親が息子と絶縁したことと照らし合わせると、あるものが視えてくるのです。……それは古宮家と蓮見家の因縁。」


 鞠緒は怪談を語るような口調で話し始める。


「蓮見家とは代々霊媒師の家系でもあります。私の祖父、是之助と蓮見聖司の祖父はライバルみたいな関係だったと聞いてます。蓮見聖司の父、蓮見耕梅はすみこうばいもまた霊媒師でしたが彼はその才が乏しく、霊媒のすべ叩き込まれなかった。それで彼は幼少期、早くから古宮家の一使用人として過ごしていた様です。その内に“古宮家”というものを狂信的に信仰するようになったのでしょう、先代、古宮腎吉が遊び女を孕ませて、しかも遊び女とそのに『古宮』の姓を与えた時はさぞショックを受けたと思います。あれはこの村に於いても相当の大事件だったと祖父の手記にも残っていますからね。由緒正しき古宮の姓を見ず知らずの遊び女ごときに与える。これは古宮家が衰退の一途を辿るきっかけにもなるのですが—— まぁその話は置いておいて、謂わば遊び女の子孫がつまるところの——麻衣花です」

「マジか……」


 麻衣花さんが豪族、古宮家先代の血筋……しかもそれは古宮家や村の人にとって正統な血統と認めたくない曰く付きの血筋。

 僕は改めて麻衣花さんの氷山の一角だけを見ていたのだと痛感した。


「腎吉の死後、遊び女とそのは古宮邸から追い出され忌み子として扱われてきたと云います。その忌み子こそ麻衣花の父でもある訳ですが、ただ麻衣花の代には忌みの思想も時代と共に消え去りました——古宮家に仕えた蓮見耕梅を除いて。蓮見耕梅は息子がその忌みの血筋と目合まぐわってると知った時は気が気じゃ無かったでしょうね。それで彼は麻衣花に呪詛を掛けた」


 思いもよらない登場人物に意表を突かれて僕は言葉を失った。


「私はあのが不思議でしょうがなかったです。あれは虚躰児の特徴ではない。あれは……鬼火の類です。外部から恨みや呪いを掛けられた証拠。今回の怪異は両親の呪詛と祖父の呪詛が合わさったハイブリッドのようなものです。彼は業火に炙られながら両親の仲を脅かす者を一心に殺害して、最後は両親の懇願によって祓われた」


 両親、そして祖父からも呪われて……僕は彼のあまりにも悲惨な運命に思わず声が漏れた。


「そんな……あまりにも不憫だ」


 僕の嘆きはパトカーのサイレンで掻き消された。住民が蓮見聖司の落下遺体を見つけて通報したのだろう。山の麓からサイレンが鳴り響き、次第に大きくなっていく。まさにサスペンス映画のラスト、エンドロールへと繋がる映像みたいだ。


 鞠緒は満足したのか翻って家路を行こうとする。気紛れな猫の様。僕は最後、鞠緒の背中に訊いた——


「鞠緒、玲央くんをどう解釈すれば報われると思う? 母親と逝けたこと、あの世で両親と再会すること、それか……呪詛を掛けた両親と祖父を亡き者にして復讐を果たしたこと……」


 僕の質問に呼応して鞠緒は「あ」と放ち、くるりと素早く振り返った。


「それに関してですが、蓮見耕梅とその一家の焼死事件、あれだけはみたいですよ。警察筋の情報でほぼ確定です」


 僕は拳を喉に突っ込まれたみたいに開口して、鞠緒の言葉に時間が停止した。鞠緒は冷たい笑みを浮かべて、悪戯に言う——


「動機は……う〜ん色々想像できますよね!……ふふふ、説が盛りだくさんです。まぁ古宮家の血筋を引いてるんですもの、そりゃあ血気盛んですよ〜」


 映画の考察を楽しむように鞠緒は生き生きとしていた。表情が豊かになって身振り手振りが大きくなる。年相応の女子高生——そんな印象を持った。その変貌ぶりはもはや禍々しい。

 

「いや……麻衣花さんが人殺しだなんて」


 気さくに話しかけてくる麻衣花さんの映像が脳裏に流れて、とてもじゃないがアパートに灯油を撒いて火を点ける人とは思えない。


「証拠はたくさん出てきてるみたいですよ。それに彼女だって中絶の為に病院に行った実績がありますし、人殺しのハードルは低いのでは」


 それ中絶これ殺人とは別だろ——と言いたいところだったけれど、僕はその理論が鞠緒には通用しないこと、そして何より蓮見聖司を倣うことになると思い、何も言い返せなかった。


「ただ……私の中で一番有力なのはアレですね」


 鞠緒は空を仰ぎ、独特の間を作る。テンションを戻して、いつもの冷たい気迫を放つ。


「彼女は父親は事故で亡くしておりますが、その死を彼女は目撃していない」


 麻衣花さんの父親は古宮家先代当主、古宮腎吉の遊び女の。古宮家を崇拝していた蓮見耕梅——蓮見聖司の父親にとっては麻衣花さんの父親は忌むべき相手……


「父の復讐……蓮見耕梅が麻衣花さんのお父さんを殺したのか」

「いや、それは行き過ぎた考えですよ葉山さん。恐らく麻衣花の父親が死んだのは——偶々です」

「じゃあ……」

「麻衣花の逆恨みですね」


 麻衣花さんの勘違いだとしたら蓮見聖司の母と妹の死が余りにも居た堪れなくなる。


「——ただ、息子玲央くんへの呪いに加担した相手を殺せたというのはある意味では復讐の完遂ですよね。あ、でも、自分だって子に呪いを掛けているのですから、なんというか……」


 いつもは飄々として流暢に話す鞠緒が目を回して結論に詰まっている。


「……この一連の事件、もはや何が何だか分かりませんね。ふふ、混沌カオスそのものです」


 鞠緒は最後、頬の緩んだ本当の笑顔を僕に見せた。

 遊びに満足したように「それでは」と道化のように翻って今度こそ家路を進みだす。

 僕はその華奢で黒を纏った背中を見送った。——いや、見送ったというよりは魂を抜かれなみたいに呆然と立ち尽くしかなかった。


 


 それからというもの僕は煙草が吸えなくなって、何個と余った箱を全部ゴミ箱に捨てて、日常に帰った。

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