【肉体が亡い②】御殿様の御業

 僕と麻衣花さんは神社裏、殿舎と森の間にある縁側に腰を掛けてベビーカステラをシェアしながら食べていた。僕がベビーカステラの紙袋を抱えて麻衣花さんが摘んでいく。肩と肩の距離が近くて、それはもう麻衣花さんの体温が感じ取れてしまうくらいだ。相手は既婚者なのに青春の真骨頂みたいな感情が湧いてきて、いけないことだと慌てて、心の中で首を横に振る。


 僕がそんな感情を抱いたなんて麻衣花さんは知りもせず、バイトの話、僕の大学生活の話、色々話した。でも麻衣花さんはあまり自分のことを話したがらない。


 スローペースで食べていったベビーカステラもついに無くなった頃、麻衣花さんはらしくない真面目なトーンで話を切り出した。


「葉山君ってさ、“御殿様ごてんさま”って聞いたことある?」


 記憶のどんな引き出しを開けてみてもそんな単語は一個も見つからない。“様”が付いてるあたり何か偉い人なのは何となく分かるけど……


「……いや、初耳ですね。誰ですかそれ?」

「人……ではないかな。ほら、私たちが住んでる古宮団地のさ、4号棟の手前にある鳥居——あれもちょっと関係してていて」


 赤い鳥居とその先に聳え立つ4号棟が眼底に再現される。僕がモヤモヤしてたやつだ。


「そもそも4号棟ってさ、と同じなんだよ」


 トントンと人差し指で縁側の板を叩く麻衣花さん。頭をぎるのは4号棟に参拝をしていた老婆。……僕の中で導き出された答えがエキセントリックすぎて、口に出して良いのかまごつく。


「え、あ、神社ってことですか?」


 麻衣花さんは縁側に突っ立てていた人差し指を僕の胸元に指して「正解」と囁いた。


「みんな表立って話さないけどさ、ここの村の人たちは4号棟にね『御殿様』っていう神様がいると信じてるの。だからね、あそこは実は祠として祀られてるんだよ」

「結構田舎だとは思ってましたけど、まさかそんな」

「うん。……ここ、団地を信仰してるちょっと変わった村なんだよ」


 静寂が訪れて、近くを通っている祭礼行列のお囃子が僕の周りで膨張した。


「でも……あそこって人住んでますよね」

「神主に相当する人が少しだけね」


 不意に餓死動画を思い出した。そういえばあれも4号棟だった。——この村は何か悍ましい秘密を抱えているんじゃないか。

 

 いつもは朗らかな麻衣花さんが神妙な顔つきで、さらに言葉に重みを含んで話す——


「それでね、数年に一度くらい、古宮団地では『御殿様ごてんさま御業みわざ』っていう不思議なことが起きるの。あそこに住んでる葉山くんに言うのは凄く悪いんだけど——」


 麻衣花さんは一旦視線を逸らして、僕は唾を飲む。何か怖い事を言われる、そんな予感がした。


「古宮団地の家賃って凄い安いでしょ? 最初に聞いた時は『0』の数がひとつ違うんじゃないかと思ったくらいだもん。なんであんなに安いかっていうと……御殿様の御業が降りかかる場所だからだよ。強いて言うなら“事故物件”の事前バージョンみたいな」


 僕は眩暈に陥って、部屋の内覧の時とか入居の手続きの時に何も教えてくれなかった人らの顔が走馬灯のように駆け巡る。


「ごめんいろいろ驚かせちゃって」

「い、いや全然全然。むしろ麻衣花さんから教えてもらったお陰で覚悟が出来ましたよ。ははは」


 僕は冷静を装ったつもりだったけれど後頭部を掻いたり言葉が吃ったり、綿花から滲み出る水みたいに動揺が溢れていた。

 それは御殿様の御業という得体の知れないモノをさぞ現実だと突きつけてくる麻衣花さんや、団地を信仰している村に気味の悪さを感じてしまったからだ。


「私ね、この話を友達から聞いた時、最初は信じてなかったんだけど、お父さんが死んだ後に周りでおかしなことが色々起きてさ」


 麻衣花さんは母親を早くに亡くし、父親も4、5年前に亡くなったと聞いている。親がいないという点では僕と共通点があって、麻衣花さんと僕は傷まみれの小動物が体を寄せ合っているような関係でもあった。でも、今の話は初耳だ。


「だからね、あの団地には何かが宿ってる。今日葉山君を探したのは、あるお願いをしたくてさ。電話で呼ぶのはちょっと恥ずかしくて、なんか偶然を装った風になっちゃった。キモイねー私。はは」


 わざとらしく頭を掻いて乾いた笑いをする麻衣花さん。


「それで、噂で聞いたんだ——葉山君が鞠緒さんと仲良いってこと」


 一瞬、何を言われているのか分からなかった。人違いじゃないのか。鞠緒繭とまともに話したことなんて餓死動画を観た朝くらいしか——まさかあの日の朝のことを言っているのか?


「果たしてあれが仲良いと言えるのかどうか……」

「でもこの村で鞠緒さんと接点があるなんて葉山君くらいだよ」


 そもそも何故今、唐突に鞠緒繭の話題が上がっているのか、それすらも分からない。


「というか“鞠緒繭”がどうかしたんですか?」

「うーん、まだ確証は無いんだけど——昔、鞠緒是之助って人がいたのは聞いたことある?」


 団地の集会で聞いた、眼球の館の元家主のことだ。


「なんか聞いたことありますよ。眼球の館の、変わり者とか奇人とか色々言われてますよね」

「そうそう。それで昔は御殿様の御業があると村の人は鞠緒爺さんに相談しに行ってたんだって。まあ、それも大阪万博EXPO1970の時くらいの話らしいけど。もし……その孫のも御殿様の御業に詳しかったら——相談したいことがあってね。でも私だけじゃ心細いなぁって……」


 麻衣花さんは儚くて、ずるいくらいに綺麗な顔で僕に擦り寄った。女をふんだんに使われてる気がして、むしろ反骨精神で一回くらい振り払ってやろうなんて思ったけれど、彼女が目に涙を浮かべていることに気がついて、僕は彼女を受け入れてしまった。


 麻衣花さんは震えた声で言う。


「葉山君……あの“眼球の館”に一緒に行って欲しい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る