【肉体が亡い① 】火匣祭
高校2年生の頃までは今に比べたら随分と裕福な生活をしていたと思う。欲しいゲームは親に頼めば買ってもらえたし、大学に入れたら祝いで車を買ってもらう約束をしていた。
全てが覆ったのは文化祭の前日、自分の家に青い制服や黒いスーツを着た人たちが雪崩れ込んできて家中をハリケーンの如くひっくり返した。彼らは警視庁の警察で僕は家が滅茶苦茶にされていく様子をただ呆然と眺めるしかなかった。そして父親が無慈悲に連行されて、その訳を知ったのは数日後。
容疑は保険金詐欺。父親は両親と結託して——要は僕の祖父と祖母と3人の詐欺グループを結成して元社長のお爺さんから金を騙し取っていたらしい。僕は親のすねを齧っているのかと思ったら知らないお爺さんのすねを齧っていた。
ニュースは大々的に報道されて父親は一躍有名人となった。連鎖的に僕も学校で有名人になって、皆が皆、僕に対して他人行儀になった。犯罪者の家族は後ろめたさを課せられる。それは高校生という多感な時期においては致死量の毒となり、青春を殺してしまうには充分だった。
家も車も家具も家電も友達も家族も全て失って、母は仕事を変え、僕らは互いにアルバイトをしながら食い扶持を繋いでいた。
郊外のボロアパートで暮らし、気力を失った母はとうとう家事をしなくなって、いつのまにかバイトも辞めていた。バイト先を転々としていたらしいけれど、その訳はどこに行っても犯罪者の妻だという匂いを嗅ぎつかれるらしい。母は口数も減って最終的にはテレビに齧り付く屍みたいになっていた。母の存在価値が危ぶまれた時、僕は何故か母が今までよりも愛おしく思えた。
けれど半年後、母は台所で血を吐いて、しわくちゃになった布のように倒れていた。病院に搬送されたけれど結局目を開けることは無く死んだ。台所には卵や挽肉が散乱していて、母は何を思ったのか僕の大好物であるハンバーグを作ろうとしていたらしい。
半年間台所に立つことなんて無かったのに。
母の死後、学校では『詐欺に遭ったお爺さんに呪い殺されたんじゃね?』という心無い噂が蔓延って、僕はとうとう塞ぎ込んだ。
行く当ても無く、住処を確保する一心で自分の本籍を置いている亡き祖母(母方)の地元——この●●村に行き着いた。村営団地に住んで、破格の低家賃を払いながら今は一人暮らしをしていている。大学もこっちの方で受けた。空いてる時は隣町のコンビニでバイトをして生活費を稼ぐ日々だけれど、団地の良心的な家賃のお陰で人並みな生活は辛うじて出来ていた。
古宮団地に拾われたような身だからこそ村八分にならない為にも気紛れで開催される団地の地域集会なんかには顔を出すようにしていた。若いってだけでチヤホヤはされるけど、老人会も同然な会合に時間を潰されるのは正直辛い。
ちょうど僕が越して2ヶ月くらいが経った時、集会がある噂話で持ちきりになった。
『眼球の館のお孫さんが帰ってきた』
僕のバイト先がある町、そこの一角に佇む“眼球の館”という廃墟同然の家屋に人が出入りしているというのだ。しかもそれはかつての家主、
記憶が残っている老人たちは口を揃えて『繭ちゃん』『繭ちゃん』と騒いでいて、眼球の館の新家主として鞠緒繭という若い女が鎮座したことは村中に広まった。
そして僕は今、古宮団地の庭園で噂の鞠緒繭と初めて対峙した。たまに見かけることはあったけれど、まさかこうして話すことになるとは夢にも思わなかった。しかし彼女が話したの自己紹介の挨拶でも他愛の無い世間話でも無く、【餓死動画.mp4】について身の凍るような見解だった。
それを聞いて、あまりの不気味に僕は立ち尽くすしか無い。
画面の向こうから餓死寸前の人が語り掛けてくる……何か呪詛を孕んでそうな、恐ろしい動画じゃないか。あんな動画を観てしまって、後悔が渦巻く。
鞠緒繭に対して返す言葉が見つからず、茫然とする僕。そんな中で沈黙を破いたのは知らない老婆の声だった。
「ありゃあ、繭ちゃんじゃないの!」
シルバーカーを押して朝の散歩に来ていた腰の曲がった老婆が鞠緒繭に声を掛けた。掛けられた本人は口角だけを上げた即席の笑みで一礼。
鞠緒繭が18歳〜20歳くらいだとすると彼女が以前この地域に住んでいたのは4〜5歳くらいの時だろう。会う人会う人が一方通行な知り合いっていうのも気苦労がある様で、鞠緒繭は僕に対して「それでは」と放って風に漂うように帰っていった。それは老婆との不毛な交流を避ける為だ。僕は【餓死動画.mp4】について訊きたかったけれど叶わず、もどかしい思いだけが残る。
老婆はおぼつかない足元を辛うじて支えるシルバーカーを押して、カタカタカタと車輪を転がしながら僕の方へ近付いてきた。梅干しみたいな怪訝な顔で僕に話しかける。
「随分と図が高いねえ。4号棟をジロジロ見るんじゃないよ」
地元のヤンキーの方がまだマシな言い掛かりをするぞ。見ず知らずの老婆は唾を飛ばしながら罵声をやめない。
「
腎吉翁っていうのはかつてこの村を治めていた豪族“古宮家”の当主、『古宮腎吉』のことだ。集会所に肖像画が飾ってあって、それを見るに仙人みたいな爺さんだった。古宮団地の名前の由来にもなった偉い人らしいけど、僕は教科書に載ってないようなローカルな偉人には興味が湧かない。
因みに古宮家は今も村に現存しているけれど昔に比べると権力は無く、今は力のある金持ち程度に収まっている。それでも村の東部、胴洗池の
「あーこの先が心配じゃわ」
老婆の嫌味に僕は愛想笑いをして体を半回転。その場から立ち離れようとした時、背後から「パンパン」と乾いた音が鳴った。反射的に振り向くと、老婆は手と手と合わせて拝んでいた。まるで参拝だ。老婆は拝んで目を瞑ったまま「あんたバチ当たりや」と、恐らく僕に放って、手を解いたら再びシルバーカーを押して行く。
「ちょっとすみません」
何に参拝していたのか訊きたかったけれど、耳が悪いのか、それとも悪いフリか、僕の声は老婆に届かない。アスファルトを転がる車輪のカタカタカカタカタカタカタカタという音だけが寂しく響いて、老婆は遠ざかっていった。
「なんだよ一体……」
*
暗闇で歌が聴こえる。
昔言葉の羅列で童歌のような旋律。
たくさんの声が聞こえる。
曲に合わせて鈴や太鼓が鳴ってお囃子が奏でられていた。
山の方で灯が浮かんで、それは次第に数を増やして夏の夜を漂う蛍が如く。
だんだん集まり、川のような線となっていく。
僕は村の神社の境内に立ち並んだ屋台の隅で、夏に行われる奇祭、
猛戸山の山頂、猛戸神社から始まる祭礼行列は古宮団地の近くを通って村へと下る。松明を持つ者と木で出来た
祭の由来は恐ろしいもので、元を辿れば700年くらい前、源平の時代にまで遡る。壇ノ浦の戦いの後、この村に落ち延びて来た平家の生き残りを最初は匿っていたものの、源氏の追及を恐れた村長らが納屋で眠る平家らを闇討ちし、その遺体をバラして匣に入れ、夜な夜な窯まで運んで燃やしてしまったのが始まり。
そんな村を代表するお祭りを一目見ようと僕は縁日で賑わっている場所まで降りてきた。村には友達もいないから一人で来たけれど、行き交う人々を眺めながら、お祭りの雰囲気に浸るのは味があって悪くない。
赤い吸い殻入れを囲った即席の喫煙所みたいなスペースで僕はソフトパックの端を叩いた。頭を出した煙草を咥えて先端に火を灯す。紫煙が夜風に溶けていき祭礼行列の光景を掠めていった。
20歳になって今さら煙草を吸い始めた僕は煙草の旨味はあまりよく分かっていない。どちらかと言うと煙草を吸ってるという行為に価値を見出して煙草を嗜んでいた。
そんな浅はかな若気の至りを堪能していると、人混みの中から逸れて僕の方へ向かう人影が。
「葉山君!」
大人びた声だけれど、どこか幼さも混じった可愛らしい声。僕の名を呼ぶ。
「麻衣花さんじゃないですか」
ロングスカートにタイトな服、メイクをしっかりしていて、いつもよりも女性らしい姿に少し緊張する。彼女はバイト仲間の
「予想的中! 絶対ここにいると思ったー!」
ナチュラルな茶髪を揺らして喫煙スペースまで踏み込む麻衣花さん。
「あれ、旦那さんは?」
「あー旦那は家でお留守番、かな」
歯切れの悪い回答に違和感が肌を撫でた。けれどもう忘れた。麻衣花さんと話すと落ち着いてられないというか、なんというか。
「吸います?」
ソフトパックを叩いて生えた煙草を麻衣花さんに差し出した。そもそも僕が煙草を吸い始めたのは麻衣花さんの影響で、吸ってる煙草は麻衣花さんと同じ
「実は煙草やめたんだ」
手のひらを向けて断る麻衣花さん。
衝撃の事態に僕は思わず煙で
「え、何かありました?」
「ははは、そんなビックリしないでよー。健康のためだよ。うんうん」
僕の左肩を麻衣花さんは右手で叩いて、虚を突かれた僕の顔を笑う。
「葉山君、私が煙草やめたことがっかりするかなーと思ってさ。ほら、じゃーん! ベビーカステラ買ってきた! どっかで食べよ?」
バイト終わりに店裏に行って、葉山さんと並んで吸う煙草が何よりも好きだった。
お情けと言わんばかりに焼き立てほやほやのベビーカステラを笑顔で差し出す麻衣花さん。
麻衣花さんの禁煙にショックを受けて不貞腐れたい気分だったけれど、
「最高です。ベビーカステラ大好きなんです」
僕はチョロい奴だ。
——この時はまだ、この先地獄が待ち受けているとは知る余地も無かった。
鞠緒繭な後に一連の事件を
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