眼球を嗜む少女の怪異村巡礼

山猫計

【序章】餓死動画.mp4

 餓死する人間が最後どんな表情でなんて声を上げるのか——想像もしたことなかったけれど、その答えが今、暗がりで浮かぶPCモニターに映し出されていた。


 それはオカルト系のネット掲示板に投稿されたリンクの向こう。紫の背景に赤い文字の目に痛いサイトにアップロードされていた

【※閲覧注意:『餓死動画』】と名付けられた動画たち。


 【餓死動画①.mp4】【餓死動画②.mp4】〜と続いて全部で11つ。ひとつひとつ人物は違えど内容は同じ。映像は陽当たりの悪い無機質な部屋、六畳間くらいの質素な空間で人が椅子に縛り付けられているところから始まる。


 足元の畳には体液の染み。骨を覆うだけの茶色い表皮は乾いていて、もはや木乃伊ミイラ。それでもなお、焦点の合ってない眼が微かに震え、鬼のような形相で時たま「イタァァァァァァ!」と甲高い声を発する。


 この叫びはどの動画にも共通していて、僕は餓死に痛みが伴うことを初めて知った。 


 動画は——瀕死の拘束状態→餓死→腐乱までの過程が録画されている50時間の常軌を逸した残虐動画スナップフィルム。ネットでは『流出した実験映像』『ホラー映画の宣伝』など色々な憶測が飛び交っていたけれど、きっとこの【餓死動画.mp4】に誰よりも近いところにいるのが僕だ。

 動画から這い寄る親近感に僕は戦々恐々していた。——それは、この動画が撮影されたのは僕が住んでいる『古宮団地』なのではないかという疑惑だ。


 映像に映る部屋は僕の住む部屋と似ていた。窓に映る山影も4号棟の背後にある山と同じ形に見える。


 ただ、この団地に越してきて半年が経ったけれど、11人の餓死遺体が出てきたなんて報道は無いし、噂すら無い。だからこそ自分が最前線に立っている先駆者になる気がして眠るのも忘れて夢中になってしまった。


 すっかり夜を通り越して窓から入る青い光を浴びる。椅子に座った状態でグァ〜と手を伸ばして天井を仰ぐと窓の向こうから『ホー、ホー』と鳩の鳴き声がしてきた。


「今日は珍しくお寝坊だなぁ。というか、ちゃんと朝に鳴けるなら夜中は勘弁してくれ……」


  この目でちゃんと確認はしていないけれど恐らく窓の上に巣があって、この鳩は普段夜中に鳴いている。お陰様で寝不足の種になっていて大学の講義では僕は伏せ寝の常習犯になりつつあった。


 言ってもしょうがない文句を鳩にぶつけて、ひと段落ついたところで僕は動画に映っていた山と4号棟の背後にある山が本当に同じかどうか確かめるべく部屋着のまま玄関から飛び出した。外に出ると山特有の霧のような冷たさが肌に刺さる。古宮団地は村を見下ろすような『猛戸山』の中腹に位置する全部で4棟ある団地。周囲が緑の山々だからこそ人工物がある異質さ、そして要塞のように佇む威圧感がある。


 僕は自分が住んでいる1号棟の6階から赤色扉のエレベーターで1階へ。エレベーターはいつも独特の甘い匂いがして、それは古い雑居ビルとかで嗅ぐような昭和の匂い。扉が開く時もいちいちガチャン、ガチャンと音を立てて全体的に古臭い。


 それから僕は4号棟の敷地へ。

 4号棟の手前には前々から気になっているが佇んでいる。


 ——それは鳥居だ。


 この辺に祠でもあるのかと思っていたけれど、いざ4号棟の敷地内を歩いてみたら別にそれらしきものは見当たらない。無論、鳥居は神域と俗世を区画するものであり、オブジェのように気軽に置けるものではない。孤独の鳥居は何を意味するのか、僕はモヤモヤを拭いきれないまま赤い門を潜った。


 3号棟と4号等の間にある庭園に差し掛かった時だった。煉瓦レンガの花壇や水で踊ることをやめた噴水が寂しく在る昭和遺産の空間で、団地の青い影に潜みながら4号棟を見上げる少女が一人。

 襟まできっちりした黒基調の上品なドレスに高級人形みたいな長い黒髪。全体的に清楚で高貴な装いだ。


 鞠緒繭まりおまゆ——この地域では少々有名人。


 僕の気配が彼女を撫でたのか僕の方へ振り返る鞠緒繭。彫刻の手本になるような端麗な顔立ちで白い肌の目元に浮かぶ黒子ほくろに僕の心臓が音を立てた。


「お、おはようございます」


 僕は初めて声をかけて、それこそ目が合うのも初めてだ。僕のぎこちない挨拶に鞠緒繭は洗練された会釈で返す。なんだか気まずい。餓死動画の調査は今度にして今は引き返そうと思った時、鞠緒繭の鈴の音のような透き通った声が僕を貫いた。


「シンクロニシティ……それとも、貴方もを?」


 彼女が4号棟を見上げていた光景が脳裏に蘇る。


「それって『餓死動画』のこと?」

「ええ」


 清涼感のある笑みを浮かべて、鞠緒繭は僕に興味を示したのか革靴でタン、タンと固い音を鳴らしながら寄ってきた。華奢な体に黒衣を纏い、垣間見える純白の素肌から夜に咲く百合を連想させる。


「あの動画、貴方ならどう思います? そもそも遺体、まだここにいるのでしょうか」


 彼女はそう言って4号棟へ視線をやる。


「いやー……いたとしたら相当臭いんじゃないかな。夏場で昼は暑いし」


 僕は俗っぽいことを言う。


「においは——しないですよね。……私、あの動画は即身仏を作っていると考えてみたのですが、どうでしょう?」


 鞠緒繭は冷気を帯びた気迫があるが、口調は穏やかで風流な声をしている。それは何故か心地良いと思わせる、魔法のような若しくは催眠術のような声だった。


「即身仏って……昔のお坊さんが断食しながら穴に籠って木乃伊ミイラになるやつだよね? あの動画が即身仏作りだとしたら——随分とお粗末なやり方だとは思うけどね。ほったらかしてるだけで、しかも溶けてたし」

「さすがにあのとろとろのご遺体を即身仏と言うのは少々無理がありましたか」


 腐乱死体を“とろとろ”と表現するのは些か嫌悪感を抱く。普通は食べ物に使う擬態語だ。


「それにあんなグロい死体になると分かれば、即身仏志望のお坊さんだってやりたくはないんじゃないかな」

「確かに、人は死んだ後のカタチまでこだわるおかしな生き物ですからね。——貴方、たのしい人ですね」


 多少は友好的になっても良いと判断したのか、彼女は不気味な微笑を含ませながら話し始める。

 

「問題です。あの動画たちにはとあるがあります。分かります?」


 彼女から挑戦を叩きつけられた。アングラの知恵比べともいうべきか。鞠緒繭の底知れない妖しさと蠱惑的な振舞いは魔女を想像させて、アングラ分野で到底勝てる気がしない。それに僕は別段アングラ好きという訳でも無く、たまたまネットサーフィンで見つけたら興味本位で観てしまう程度。それに観たら観たでしっかり後悔してトラウマに残る一般人だ。


「仕組みって言われても……」


 僕の目の奥を見つめて回答を待ちわびる鞠緒繭。時間が経てば経つほど回答へのハードルが上がる。それに……彼女の眼の表面が七宝模様に変化した。

 ——なんだこれ。錯覚か? 

 それともイメージが創り出した幻覚? 

 圧倒された僕は、


「……わからない」


 降伏した。


 鞠緒繭はクスっと嘲笑とも取れる笑いをして上品に口元を隠した。


「あの動画、途中でメロディが聴こえるところがあるじゃないですか」


 早送りやコマ送りで観ていたから分からない——なんて言えば彼女を落胆させてしまう気がして僕は「あ、ああ」と誤魔化す。


「あれって、夕刻に村中に放送されるメロディですよね。あれが流れるタイミングが全部の動画で同じなのです。全部15時間47分のところ。それに23時間11分のところでこれは動画にもよりますがカラスの鳴き声が聞こてきます」


 メロディが一致するということはやっぱりあの動画は古宮団地で確定ということか。


 そして彼女、あの動画を映画観賞みたいにフルで観たってことか? 

 僕は目の前にいる鞠緒繭という人物がまるで人間には思えなくなってきた。畏怖に近い感覚だ。


 ただ、彼女が言いたいことはおおよそ理解はできた。つまるところ——


「同じ日に撮影された……ってことは11部屋丸々使った?」

「その通りです」


 鳥肌が全身を走った。僕は改めて4号棟を見渡したが粘り気をもって纏わりつくプレッシャーに思わず4号棟から後退りしてしまう。


「……こんなところで餓死だなんて。それに『痛い』って嘆くほどに苦しい死を」


 僕の吐露に鞠緒繭は急に表情をなくして、死体みたいに青白い顔になった。僕を見ているようで実は僕の後ろを見ているかのような虚な


「あれって本当に『痛い』って言ってたのでしょうか」


 時が止まった。

 吹き抜ける風の音だけが僕の世界を支配する。


「昔、ある資料を読んだことがありまして、それは絶食を決断した人が餓死に至るまでを記した手記なのですけど、たしかに餓死は苦しくて痛みを伴うって書いてありました。貴方があれを『痛い』と言っていると解釈するのはベターです。





でも、あの動画を観ていて私、気が付いたのです。






みんな、『イタァ』って言う時は必ずカメラ目線なんですよ。






あれって実は……カメラの向こうにいる——動画を観ている私たちに語りかけているのではないでしょうか。












“そこに”     って」


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