【肉体が亡い⑥】蓮見聖司
僕は蓮見麻衣花という人間をこの時初めて知った気がした。ショーの裏側を見てしまったかのような、そんな生々しさに心臓を抉られる。
話し終えた麻衣花さんは目に涙を浮かべながら微笑んで、『好きに軽蔑して』——そんな風に言っている気がした。
鞠緒繭は冷気を纏いながら、白くてしなやかな指でジュエリーボックスの
「私が行う怪異の祓除は一味違います。大体の霊媒師が行う祓除の儀式とは古来より伝わる技法や祭具に依存した生齧りなものばかりで、あれでは怪異の存在を感知する、怪異を遠ざける程度のことしか出来ません。それでは何も解決しない。私は容赦しません……怪異を完全に、完膚無きまでに祓います」
麻衣花さんが「祓うって……」と訊くと鞠緒繭は「この世から消すということです」と端的に言った。麻衣花さんは納得していない。
「その何かこう……コタイジを助けることは出来ないでしょうか? 消すっていうのは、なんか——」
「受肉させるとかそういう話ですか? ふふ、そんな都合の良い現象はこの世にはありません。祓うか祓わないか——つまり殺すか殺さないか。それだけです。それに……」
麻衣花さんの希望をへし折り、鞠緒繭は更に唱えた。麻衣花さんを壊す呪文を——
「一度
麻衣花さんから表情がスっと消えた。あまりにも残酷な一言が彼女を絡め取り絶望へと引きずり込んでいく。麻衣花さんは暫く何も言わず、「考えさせてください」と冷め切った声でこの場を終わらせる。
鞠緒繭は微笑みを浮かべてジュエリーケースを閉じ、
「私も個人的に虚躰児の事例には興味がありますので、よろしければ今後のお付き合いの為にもお二人のご連絡先を教えて頂きたいです。その“時”が来たら非通知でお掛けしますから。ふふ」
僕と麻衣花さんは鞠緒繭に連絡先を伝えて、やるせない気持ちを抱いたまま眼球の館を後にした。
庭園の先、門の奥に知らない男の人が立っていた。地面を足裏で叩いて苛々を堪えながら煙草を吸っている20代後半くらいの金髪男。黒髪が混じったプリンの頭とピアスの姿からあまり良い印象の大人ではない。麻衣花さんを見つけて怪訝な表情を浮かべているあたり、この人が誰なのかは察しがついた。
距離が縮まるや否や男は煙草をひょっと投げ捨て靴の裏で火を消す。油まみれのつなぎは仕事終わりかそれとも仕事を抜け出してきたのか。
「こんなボロ屋敷に随分と長く居たな。どうだったん」
麻衣花さんに訊いて、僕の方と麻衣花さんを交互に見る。麻衣花さんは僕には普段見せない素の表情になって、味気ないトーンで「仕事は?」と問う。
「真鍋にやらせとるでええわ。抜けてやった。で、玲央は」
「殺すしかないって」
「……」
男はしわくちゃな顔で頭を掻いて葛藤していた。彼とて、そう易々と結論が出せる問題じゃないんだろう。
「そいで、お前はなんなん? 麻衣花とヤったんか?」
もはや僕へは八つ当たりだ。
下等生物でも見下ろすような目で僕に問いかけるこの男は“チャラ副”。本名を蓮見聖司と云う。麻衣花さんの夫であり虚躰児事件において当事者の一人。会うのは初めてだ。
「いや……そんな訳無いじゃないですか」
僕は初めて蓮見聖司と会話を交わす。
「ふ、あっそ」
鼻で笑った蓮見聖司に麻衣花さんは「どうせ慰謝料欲しいだけでしょ」と浴びせる。彼は何も言わない。このやり取りだけで僕はこの二人の間にある殺伐とした関係を悟った。
「ねえ聖司、玲央どうする? このままじゃ火事が……」
「なんとか玲央説得するしかねぇだろ」
あの怪異を説得……僕からしたら問題を先延ばしにしているようにしか思えなかった。けれど二人にとっては一度中絶は決意したものの、子は子。祓いたくないのも重々分かる……
「あの、どうやって玲央君と言葉を交わすのですか……?」
割って入った僕に蓮見聖司は苛つきを隠さずに舌打ちをする。
「んなもん、まずは気持ちをぶつけるしかねぇだろ」
「……どんな見込みがあって」
「は?」
「気持ちをぶつけて解決すると本気で思ってるんですか? もっとその……」
憂わしげな顔で静観する麻衣花さんの傍ら、蓮見聖司は僕との距離を詰めて胸ぐら掴んできた。僕は抵抗する気持ちは無く、ただ揺すぶられる。
「夫婦の問題に首突っ込みすぎだなお前」
「行く当ても無く、怪奇現象が怖くて麻衣花さんと結婚した人が何言ってるんですか」
ぶん殴られる——その覚悟で言ってやったが蓮見聖司が思い立つ前に麻衣花さんが彼と僕の隙間に体をねじ込ませて引き離した。
「聖司! たしかに葉山君の言う通り。でも葉山君……少しだけ時間が欲しいの。私たち夫婦と玲央にとって、一番良い方法を考えたい」
これ以上蓮見聖司に問い詰めれば麻衣花さんを追い詰めることになる。僕から蓮見聖司へ浴びせる言葉は麻衣花さんにも刺さっていく。それが夫婦という共同体なのだと僕は反省して、これ以上何かを言うのをやめた。
この時の麻衣花さんが蓮見聖司に向けた目は少女のように柔らかくて、蓮見聖司もまた麻衣花さんに対して青年のような煌びやか目をしていた。相思相愛の表情だ。
二人は夫婦として冷め切っているのかと思っていたけれど、愛は確かにあって、冷めた二人の様子がカモフラージュになっているだけだと感じた。
そして、それでもなお僕にくっ付いたり、手を握りろうとしてきた麻衣花さんが僕は怖くなってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます