【肉体が亡い⑤】虚躰児
『
鞠緒繭は何処からか持ってきた鍵付きのジュエリーボックスを机に置いて、何も知らなかった僕らにその話をした。ジュエリーボックスが開くとまさに彼女が言った通りの眼煌膠が6つ、それぞれの瞳を煌めかせながら玉のように揺れる。眼球と目が合った僕は思わず「うわ」と声を上げた。
鞠緒繭は「これがその眼煌膠」と得意気に披露する。
——彼女は御殿様の御業を解決する代わりに麻衣花さんの片眼を眼煌膠にすることを提案してきた。つまりは麻衣花さんに眼球を要求した。
「私の本業はあくまで眼煌膠職人ですので」
つまりこの“眼球の館”とは眼球売買を通貨とした霊媒事務所であり眼煌膠工房でもある。洒落た喫茶店の雰囲気で紛れてはいるけれど、ここはアンダーグラウンドの深海の底。違法だ。
常軌を逸した闇商売の気配に僕は恐れ慄き、今すぐ椅子から立ち上がりたい気分だったが麻衣花さんは身を乗り出して「助けてもらえるなら片眼くらい」と盲目になって、何かに取り憑かれたみたいに鞠緒繭に懇願した。
「麻衣花さんよく考えた方がいい。ヤバいことに片足突っ込みますよこれ」
鞠緒繭が目の前にいたからマイルドな表現になったけれど本当は『犯罪だから断った方がいい』と言いたかった。しかし麻衣花さんの真っ直ぐな目は何を言っても無駄だと悟らせる。
「貴方の身にどんな怪異が降りかかっているのか教えてください」
鞠緒繭の形式的な言葉に誘導されて麻衣花さんはこの前僕に教えてくれた玲央君の話をした。鞠緒繭は相槌を打つこともなくただ佇み、麻衣花さんの話が終わった後に上品に口を隠して「ふふふ」と嘲笑にも取れる笑いを発した。
「肝心なところは切り取って、都合の良いところだけを繋げた継ぎ接ぎのお話ですね。少々傲慢な解釈も含まれていて、へんてこです」
麻衣花さんは図星を突かれた。
僕も麻衣花さんの話を聞いた時は正直違和感を抱いていて、鞠緒繭が『へんてこ』と表現するのも悔しながら理解できる。
肉体が無い子を妊娠・出産して産婦人科は何をどう対応したのか——とか。映画の観すぎかもしれないけれど政府の研究者がこぞって押し掛けてもおかしくないような事例だ。
鞠緒繭は穴を突くように「その話だと貴方、一度も病院に罹っていないと思うのですが、それは何故?」と麻衣花さんに訊いた。麻衣花さんは目を泳がせて、暫く沈黙した後に泥を吐く。
「その……私、できちゃったんですよ。それを親には言えず、内緒でトイレで産んだんです」
鞠緒繭は全てを納得したように「それはそうなりますよね」と愉快な様子だった。
僕は頭の中が揺れた。麻衣花さんができちゃった結婚だったという事実にショックを受けたからだ。それでも今は鞠緒繭がこれから話す核心を待つしかない。
「かつてより日本には貴方に似た虚空を孕む事例がありました。虚空の
“
麻衣花さんは小虫みたいな声で「はい」と言った。それは鞠緒繭が怪異の専門家であることを確固たるものとした。
「近代化と共に虚躰児という怪異は消えつつありましたが、生憎あの村は“御殿様の御業”という力が働くとされる場所。酸素が濃ければ生物が巨大化するように、あの村には怪異が育ちやつい大気でもあるのでしょうか。とはいえそれは環境に過ぎず、発端が貴方であるのは不動ですが」
鞠緒の言葉に麻衣花さんは頷いて、それから僕の方を向いた彼女は全てを曝け出すように、懺悔するように事の発端を説明し始めた。
*
これは僕がセブン《バイト先》に来る5年前の話だ——
麻衣花さんの旦那は今は車の整備士をやっているけども、当時は麻衣花さんと同じセブンに勤めていて彼は副店長だった。皆から『チャラ副』という渾名で呼ばれていて、この『チャラ副』という名称は今でも夜勤の佐々木さんとかが時たま『チャラ副がいた頃はさ〜』と昔話に浸る時に出る単語だ。これは“ファミコン“とかと同じ要領で“チャラい副店長”がグっと縮まって“チャラ副”になった。彼はその名の通り髪はホストみたいでピアスを唇にも付けていて、店長には噛みつくは客とも喧嘩するわで、副店長という肩書とは程遠い人物だった。けれど麻衣花さんはそのアウトローさに心を惹かれてしまった。
最初はチャラ副の素行の悪さに引いていた麻衣花さんだったけれど、不意に見せる彼の気遣いやジョークに思い乱れ、ヤンキーが優しい一面を見せると急激に魅力的に思える現象に陥ったのだろう、チャラ副の『お前の地元の祭に行ってみてえ』という誘いに照れながらも『まぁ……良いですけど」と乗った。
当時高校3年生だった麻衣花さんはバイト代をはたいて水色の浴衣を買って、チャラ副と初めてのデート—— 火匣祭を共にした。その日、二人は朝まで家に帰らなかった。
二人の関係はそれからも続いた。麻衣花さんは進学を諦めてバイトに勤しんだ。それは麻衣花さんが進路を諦めてまで金を稼ぎたかった訳ではない。バイト先にいるチャラ副に夢中だったのだ。
それから夜を重ねて重ねて、その果てに麻衣花さんに生理が訪れなくなった。チャラ副が避妊をしたがらないことは麻衣花さんも気には止めていたけれど、抵抗すれば捨てられる恐怖が麻衣花さんを狂わせていた。
怯えながら薬局で買った妊娠検査キッドは無慈悲にも陽性反応が出て、古宮団地の1号棟に住んでいた麻衣花さんは山を降りてチャラ副の住むアパート近辺の公園に彼を呼び出した。妊娠を告げた時のチャラ副のリアクションは驚きや焦りではなく、重い
麻衣花さんは絶望の淵に立って、目の前が真っ暗になりながらもおぼつかない足で産婦人科に辿り着いた。そこで医師から言われた診断結果は麻衣花さんを更に追い詰めることになる。
「体内は妊娠の状態なのに胎児の影が一切無い」
それは想像妊娠とか流産の類ではなく医師曰く“まるで透明の胎児を孕んでいる様”だと云う。
大学病院に紹介状を書くと言い出した医師に麻衣花さんはこれ以上事が大きくなるのを恐れて飛び出すように病院から逃げた。
それからは吐き気もして
父親は男手一つで麻衣花さんを育てて、口癖のように「いつか麻衣花が良い人と結婚して、それで幸せになったならお父さんは何でも良い」と言っていた。麻衣花さんはチャラ副がお父さんの言う“良い人”ではない事を自覚していて、父親の言葉は相談のハードルを極限まで上げる呪詛となっていた。
塞ぎ込んだ麻衣花さんは自室のベッドに蹲り「助けてください」と祈り続けた結果、父親は仕事中に機械に挟まれて死んだ。医師や警察は詳しい死因を麻衣花さんには伝えなかった。それは18歳の彼女にはとても受け入れられる死に様ではなかったからだ。
麻衣花さんは父親の葬式を終えて、その帰り道にある最低なことを思った。
——“悩みの種は
結局、とうとう陣痛が訪れて、麻衣花さんは古宮団地近くの公園のトイレで虚空を産んだ。
チャラ副は妊娠発覚以降、麻衣花さんの連絡を無視して風来坊のようにセブンからいなくなって次の職場で働いていた。しかし夜な夜な家で子供の足音を聞いたり、台所で一人でに動く包丁を見たりと怪奇現象に遭うようになって、霊媒にそこそこ精通している父に子供の魂に
行く当ても無いチャラ副は突如として麻衣花の前に現れ、結婚を申し込んだ。
「子どもを一緒に育てたい」——チャラ副の想いは罪悪感か恐怖心か。
こうして虚躰児と育む蓮見家という構図が誕生した。
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