【肉体が亡い④】眼球の館

 火匣祭の夜、家に帰った僕は真っ先に寝室の窓を雨戸で塞いで、布団を抱き抱えたら寝室から居間に寝床を移した。その間僅か1分足らず。ひとりぼっち塔の下で見た得体の知れない何か——その影に僕は震えていた。いくら麻衣花さんの子どもだとしても、もしずっとにいたのならば背筋が凍る。


 “御殿様の御業”

 その存在を認めざるを得ないのか。暗い居間、布団の中で僕はこの村に蔓延る怪しい気配に犯されていた。

 瞼の裏の暗闇で餓死動画、鳥居、4号棟、麻衣花さん、そして——鞠緒繭の幻影が漂う。


 僕はその日、細切れの眠りが断続的にに続いて、寝た気がしなかった。

 居間にいたお陰か『ほーう……ほーう』は聞こえなかった。









 隣町のバイト先まではいつも自転車で通っている。それは麻衣花さんも同じだ。山を一つ越える必要があるけれど、使える公共交通機関が古びだバスしかないから、バスを使うくらいなら……ってことで自転車通いをしている。

 村に比べると隣町は栄えていて、背の高い建物も生えてるし特急に乗れば40分で県の主要都市まで行ける。働き口の多さも村とは雲泥の差だ。


 僕と麻衣花さんは日差しの白色が増していく正午、住宅街の一角で雑木林を背に建つ和洋折衷の館へと到着した。跨いだ自転車を門前で停めて、仰ぐ。数奇屋造りの家屋に西洋館を乗せたような、ドーム屋根と尖塔が特徴的な和モダンな建造物。黒色なのは元々なのか廃れた色味なのかは分からない。


 棘の生えたゴシックな門の前、好き勝手に生えた草や蔓が踊る庭園の中を僕は門の隙間から覗き込んで、そこは金木犀の甘い香りが漂っていた。


 ——“その屋敷には幽霊が出る”


 団地集会の年配者たちは口を揃えてそう言った。


 『眼球の館』という奇妙な名前を持つ館、僕ら表札の代わりに掲げられた『眼球の館』と書かれた古びたプレートを見つけて、この館の異名たる所以を知った。


「自分から“眼球の館”と謳っていたんですね」

「なんか人を怖がらせる気満々だよね」


 僕と麻衣花さんはインターホンを押そうとして、お互いの人差し指がボタンに到達する前に顔を見合わせる。麻衣花さんは『どうぞ』と言いたげに目を広げる。


 結局僕が押した。反応は無い。と思ったけれど、時間差でインターホンの向こうから「はい」という聞き覚えのある声がノイズ混じりに聞こえた。

 麻衣花さんは僕を見て素早い瞬き。本当に居たことに動揺している様子。

 心臓に針が刺さったみたいな緊張感が走る。


 僕はいつの間にか麻衣花さんの保護者的な立場で、前に出てインターホンに口を寄せた。


「あのーお久しぶりです。この前4号棟の前で会った者なんですけど。ほら、朝に」


 返事が無い。警戒されている? 


「知人が御殿様の御業に遭ってしまって——」


 すると、呼応するようにたちまち門が開いた。

 軋むような音を立てて、不気味に僕らを誘う。


「「開いた」」


 僕と麻衣花さんはただ事象を述べてシンクロ。


 門が完全に開き切り、僕らは庭園に足を踏み入れる。庭には錆びた犬のゲージ、無造作に捨てられた茶色に変色したホース、とてもじゃないけれど人が住んでいるとは思えない。その先に待ち構える木枠扉。手の甲で2回ノックしてみると反応無し。ドアノブに手を掛けて捻ると鍵は開いていて、開くと軋む音とともに暗黒が現れた。


「麻衣花さん、これホラー映画なら僕ら死ぬやつですよね」

「……ねぇ葉山君、手、繋いでよ」


 麻衣花さんのサラサラな手が僕の左手に触れる。僕は色んな感情と思考が絡まって結局拒否した。脊髄反射ではなかったのは本能では繋がることを望んでいたかもしれない。けれど理性がそうはさせなかった。


「麻衣花さん結婚してるじゃないですか」

「そうだよね。ごめんごめん、はは」


 僕の手を握ろうとした麻衣花さんの手はサッと彼女の裏に隠れた。取ってつけたような麻衣花さんの笑みには苦味が滲んでいて、僕の胸を痛くさせる。


 気まずい空気の中で暗闇へと入ったその時、横にいた麻衣花さんが「きゃあ!」と悲鳴を上げた。お化け屋敷のカップルみたいに僕の腕に一瞬しがみつく麻衣花さん。彼女のリアクションに僕も驚く。


「ちょっとなにこれ!」


 珍しくムッとする麻衣花さん。彼女の視線の先にあったのは暗闇に浮かぶ白装束に長い黒髪、頭に三角巾を巻いたザ・お化け。典型的な幽霊の作り物だ。人工物丸出しの子供騙しな質感は僕らを嘲笑うかのよう。


 目が暗闇に慣れてくると幽霊の隣に人ひとり入れるくらいの木箱があって、それが番台のような受付だと僕らは気付いた。無論、役目はとうの昔に終えてるみたいだが。


 “入場料百えん”と記された木製の三角錐が番台に立っていて、それを見るからにここは——


「お化け屋敷だった?」


 僕は呟いて、麻衣花さんが「結構昔、昭和だよねこの感じ」と冴えてきた目で辺りを見渡して言う。


「“眼球の館”って名前の奇抜さも、お化け屋敷って分かれば案外腑に落ちますね」

「なるほどねぇ、それで『幽霊が出る』ね」

「その部分だけが一人歩きした感じですかね。幽霊屋敷ってのはあながち間違いじゃない」


 幽霊屋敷の正体はお化け屋敷の廃墟だった。


 種が明かされて恐怖心は吹き飛ぶと思ったけれど、こんなところに人が住んでるという事態は不気味さを拭えない。


 陳腐なお化け達を横目に僕らは屋敷の中を進んだ。突き当たりに差し掛かると何枚もの木板が交差して塞がれた出口があって、「あれあれ」と立ち往生する僕らを見兼ねたように廊下の側面からギィと隠し扉が開いた。よく見るとドアノブの頭上にパスコード端末が付いている機械的な扉だった。勝手に開いたのも2階で家主が遠隔操作したんだろう。


 扉の先には丸みのある階段が現れて、螺旋を描いている構造なのは一目で分かった。螺旋の頂上からは雲の切れ間から差す薄明光線みたいな光が注がれて、バベルの塔の内部を連想させる。

 くびれのある支柱に支えられた手すりを伝って、木製階段を踏み締めながら2階へ。上がるに連れてクラシック曲が聴こえてくる。


 1階のお化け屋敷とは違って2階は老舗の純喫茶みたいに色気のある“暗”と、程よく差す陽でヴィンテージ味のある空間。なにより珈琲の香りが部屋を満たしていて本当に喫茶店のようだ。


 視界の外から黒い布を纏い少女、この前と同じ格好の鞠緒繭が丸盆を持って現れた。黒の盆には注がれたばかりのコーヒーカップが二つ、湯気を立てている。


「お掛けください」


 窓際の席に着席するよう目線で僕らを促す。彼女の冷気を帯びた気迫に押されて僕と麻衣花さんは言われた通りに向かい合わせに座った。きめ細やかな手つきで僕らの前にコースターとコーヒーカップ、ミルク入れが置かれる。鞠緒繭は翻してまさしく店員みたく何処かへ消えていった。


「え」

「え」


 僕と麻衣花さんは目を丸くして向かい合わせに首を傾げた。


「とりあえず頂いた方がいいんですかね」


 僕はそう言って、珈琲が注がれたカップに目をやった。


「うーんどうなんだろう……」


 飲むのを躊躇う。

 テーブルの隅には陶器の平たい砂糖入れが置いてあって、時間潰しがてら蓋を開けると雪と結晶みたいな砂糖が現れた。お洒落な喫茶店だとしか思えない用意に戸惑う僕ら。


 落ち着かない。館の内部を見回して視線をとりあえず巡らせた。全体的にダークなトーンの部屋だけれど日の光量を計算して造られている研ぎ澄まされた空間美。西洋と和が上手く融合して、花瓶や置物が主張しない程度に空間を彩り、1階とは打って変わって2階は綺麗さが隅々まで行き届いていた。

 “鞠緒繭”という人物像に合致する邸内だ。


 浮ついた心が体に収まらない間に鞠緒繭は椅子を持って僕らの席へと帰ってきた。「失礼」と言って椅子を置いてスっと着く。僕と麻衣花さんが両方見える位置だ。彼女の隙のない所作と表情の固さにより緊張が増していく。


 張り詰めた空気を切り裂いて第一声を放ったのは鞠緒繭だった。 


 それはあまりにも不可解な言葉で、僕は鞠緒繭から説明を受けるまで理解に苦しんだ。


「それではお見積りを取ります。貴方の怪異譚と、そのが解決の対価として釣り合っているかどうか鑑定させて頂きます」

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