第93話:服ろわぬ者(二)

「なんだ、お前は。なんだって言いやがる」


 重々しくも吐息混じりに、酒呑童子は半身を起こす。

 茨木童子も倣って起き上がろうとしたが、そっと撫でて寝かし直された。途端、また筒袖の女姿に変わる。


 松尾は、岩の床へ金太郎を座らせた。答えないのは、恐ろしかったからだ。

 十歩ほどの近くに居る鬼がではなく。むしろその二人から、押し潰されそうな圧の消え失せたことが。


 いよいよとなったら、怖気づくのか。

 己を嘲ってみたが、うまくいかなかった。最後には斬る、と決めた一心が動いていないのも自身には明らか。


「問わせてもらう」


 ここへ来て、酒呑童子と茨木童子を見て、生じた疑問。それらに白黒つけぬで斬るのは後悔が残る。

 腰を引かすくらいなら、つべこべ言わずに斬れば良かろう。と考える松尾も居たが、そこを思い切れるなら怖気づきはしない。


「その、茨木童子は。私がお前を殺したら、イバラ殿はどうなる。手を下さずとも、と推察するが」

「さあな。できるもんなら、やってみりゃいい」


 下手くそに酒呑童子は笑う。睨める視線さえ落ち着かず。


「否定はしないんだな」


 斃れた頼光と渡辺源次さえ、即座に操られるさまを見た。それを踏まえれば、酒呑童子と茨木童子には余りにもな差異がある。


「もう一つ。お前は鬼に間違いないか」

「ほかにどう見える」

「世に暴れる鬼どもは、人を喰らう。しかしお前は乙姫殿を客としていた。人を喰らわぬとなると、さて殺すものか考えねばならない」


 喰らわぬと答えられたら、どうしよう。迷いながら問うたものの、応じようがやはり浮かばない。


「喰らう。俺に刃を向けた人間は」


 得るべき返答を得て「そうか」とは、驚くくらいにあっさり言えた。松尾が生まれて、これほど静かな心持ちはなかった。

 備えるとは、こういうことか。父に向けた感謝も一瞬で過ぎ去る。


「金太郎、後始末は頼む」


 振り返り、友に笑う。返事の前に向き直ったが、金太郎はきっちり答えた。


「考えとく」

「それは困った」


 言いつつ、鬼の二人をだけ見据えて足を動かす。納めた太刀に触れ、神事に臨むがごとく。

 そろり、そろり。一歩を踏むごと、酒呑童子の顔が歪む。眼に映らぬ誰かから、既に斬られているようにさえ見えた。


「なぜ私に備えない。まさか身体を痛めたふりでもないだろう」

「うるせえ」


 もはや、抜けば届く。完全な間合いの中にあって、ようやく酒呑童子の腰が上がる。立つまでに、何回が斬れたか。

 問答無用という言葉を、松尾は太刀と同時に手放す。


「お前の首を摘んで引き抜くのは簡単だ」

「そうすればいい。そのほうが私も太刀を抜きやすい」

「でも、できねえ。なんなんだお前は」


 どっ、と巨体の両膝が着く。言うとおりに首を捻ろうと腕が伸びた、のも途中で垂れ落ちる。


「しっかりしろ。私はお前を見捨てた裏切り者だ」


 ふるふると拳が揺れる。松尾の、だ。


「文殊丸の馬鹿野郎が、服ろわぬとは私のことじゃないか。私はお前に、外道丸に。ささに、みんなに、服ろわなければいけなかった」


 持ち上げた右の拳を、見合う酒呑童子にぶつける。が、赤い頬はびくともしない。


「すまない」


 声が揺れ、鼻から噴く息が熱くなった。頬を、鼻すじを、幾らでも流れる水も冷ますには熱すぎる。

 酒呑童子の硬い肌は、岩を殴るのと変わらない。松尾の拳はすぐに感覚を失い、血を流す。


「ごめん」


 それでもやめない。何度も、何度も、何度も、松尾は拳を打ちつける。

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