第92話:服ろわぬ者(一)
広間から、一本道と言っていい廊下を進んだ。乙姫らは、どこで寝起きしていたのだろう。
松尾は不思議に思ったが、ささくれたように凹凸の激しい廊下でもあった。ゆえに分かれ道を見落としでもした、と深くは考えない。
「おらぁ、なにすればいい」
耳もとで、かすれて囁く声。自身で歩くつもりはあるらしく、貸す肩の負担はさほど。時にもつれる足を、支えてやるだけだ。
「なにって」
当然のことをと発しかけ、松尾は次の言葉を見失った。
なにを。
あらためて己に問う。ゆっくり十数歩を行く間、答えを急かされることなく。
「……私はきっと、酒呑童子と茨木童子を殺すだろう。それを見届けてほしい」
「手ぇ、出すなってんだな」
「うん。返り討ちという時には、泣きつくかもしれないけど」
冗談にしようとしても、うまく笑声を作れなかった。「へっ」と笑って噎せたのは金太郎。
「だから、黙って帰したのか」
「うん?」
「殺しても死なないってんだ、今度はなにをしでかすか」
金太郎が松尾なら、どうしたろうか。別れるまでに、松尾はどうするのが正解だったか。
ぐるぐると渦巻くような思考を、
「たぶん、なにもしでかさない」
「ああん?」
「文殊丸を、私は知らないけど。意味のない嘘は吐かないと思う」
「おとなしくするとは聞かなかったがな」
二度と、あの男と
「武士として帝を支える。そのために、なんだってする。なんていう人間が、死なないとなっても続けられると思えない」
「そりゃあ──そうか」
「生きる意味を失くした文殊丸に、それ以上の嫌がらせなんて思いつかないよ」
自分の声に頷いていると、金太郎も痛みに呻きながら頷く。さらに押して、鼻で笑いもした。
「服ろわぬ者か。散々言って、てめえがなってりゃ世話ない」
「だな」
松尾には笑えない。しかし憐れむ心持ちも、これっぽっちないと言えた。
もう、文殊丸のことは考えまい。そう決めた。
それからいつの間に、踏む足の下が木板でなくなった。襖も柱も梁も消え失せ、辺りは岩肌の洞窟と化す。
なにを見覚えたところもないが、懐かしく思う。さらにしばらく、少し広まった空間に見えた小屋も。
太い枝で骨組みを作り、葉の付いた細い枝で葺いたもの。
あそこで甘い餅が食えるなら、これからずっと暮らしたい。叶わぬ願いをこそ、松尾は鼻で笑った。
「少しは思い出したか、外道丸」
金太郎を支えたまま、ためらわず踏み込む。大人が十何人も寝転べる広さに灼熱色の鬼と、白く砕けた海色の鬼が寝そべる。
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