第86話:莫逆の友(八)

「ありゃあ、源次殿だが?」


 近寄った鬼を斬り、荒二郎は歩む。頼光らから遠ざかるほうへ。

 姿形をなら、松尾も応と答えられた。けれどゆらゆらと、隙だらけで立ち尽くす姿は決して違う。


「荒二郎殿、あの二人は私が」

「だら、やっぱしそうなんが?」


 こと、この場にあって。戯れなどすまい。

 九分九厘。いや、十割の意思を以て、松尾は頷く。


「鬼の真似ごとではないでしょう。荒二郎殿は、どうにか乙姫殿を」


 鉄扉の外へ連れ出してくれればいいが、無理と承知で言った。頼光と渡辺源次以外の鬼を、全て任せるとは言えなかった。


「んなこと言われてもよ」

「頼みます」


 当然の不満に返す言葉は、ほかにない。のったり腕を伸ばしてくる鬼の、胸ぐらを掴んで投げ捨てながら。


「お、おう」


 今のは──

 湧き上がろうとする記憶を振り払い、前へ。荒二郎の太刀が振るわれた音は、聞こえなかったことにして。

 全身を砕かれた頼光が、しなる柳のごとく振り向く。羽の滑る軽やかさで、渡辺源次が脇差を拾う。


「丁度いい、仇を」


 言いかけたのを「いや」と、松尾は呑み込んだ。


「借りを返させてもらう」


 太刀を低く構え、足の運びはなを見極めんとした。二人のどちらが先に出るかで、松尾の動きもまったく異なる。

 生前なら、まずは渡辺源次だったろうが。


「くっ、なぜ出てくる」


 二対一に集中させてくれと、鬼達が察してくれることはない。横合いから突き出された腕を受け、峰で払い除けた。

 と、頼光が動く。あえて小さく刻む足の運び、寸前まで左右のどちらへ変化するやら知れぬ上段の構え。素手でありながら、鋭い太刀筋を無限に見せられる。


 間合いのぎりぎり、水平気味に斬り上げた。無闇に突っ込むなら、首をかすめる頃合いに。

 だが、頼光は足運びをずらした。半歩を遠ざかる方向へ、そこから左手へ回る気配を見せる。

 しかしもう、追う猶予はない。最短を詰めた渡辺源次が、既に間合いの中。


 刃を返すにも足らず、柄尻を使う。が、肩垂れを打たされた。体格に劣る渡辺源次は一つ踏みだし、なおも松尾の脇腹へ突きを放つ。

 さらには頼光の気配も左手に迫った。同時には捌ききれない。ゆえに左の蹴りを渡辺源次へ向ける。

 当てる期待はなく、距離を取らせるため。


「うぐっ!」


 距離どころか、避けられた。その上で突きを敢行した渡辺源次だったが、外す。松尾の背を頼光が打ったためにだ。

 痛みを無視し、前回りに逃げる。


「はあ、はあ、鬼か……」


 腕の鈍った期待を捨てる。むしろ鬼でないほうが、知った仲の手心があったかもしれない。

 背中の痛みは放って良かった。けれどもこれで済んだのは、松尾の選択がうまく転んだだけのこと。次も同じようにとは楽観が過ぎる。


 鬼を、悉く滅すると言った男が。

 憐れとは思わなかった。ではなにかと、それは松尾にどうでもいい。

 鬼となり、噛みつかんとしても押し払うしかできぬのが仲間だ。頼光は違う、それがたしかであれば他はない。


「鬼──?」


 たしかだと思った途端に、違和感が膨れた。見境もなく人を殺めんと、たち悪くも脇差を使いこなす。

 遠い間合いから右手を狙った一撃を流し、組みつこうとする頼光を、近づいた鬼に放り投げる。


 どこか、なにか、見過ごしてはいまいか。

 痒みの種が喉の奥へある時のように、落ち着かぬ心持ちで感覚が鈍る。

 脇差が脚へ向くと気づいていた。だのにそれを受け流すか、足払いを仕掛けるかと迷った。


 間に合わない。ちぐはぐなしょを諦め、頼光の動きも読みきれず、振り抜かれる脇差を握った。

 左の指は捨てるつもりで切っ先を逸らし、渡辺源次の顔に膝を喰らわす。直後、背中に飛びつかれた。頼光だ。


 首に回された腕が締めつける。さすが的確に血流を押さえられ、ふっと意識が遠ざかりかけた。

 即座に手を差し込み、大きく息を吸う。だがそれ以上には解けない。


 正面から渡辺源次が迫った。左右のどちらへ避けても追いつかれる。転がっても突き下ろされる未来が待つ。

 残るは、肩越しに頼光を投げつけるのみ。博打に近いが、なにもせぬよりはまし。

 待ち構え、間を計る。小柄な渡辺源次を、疾風と見紛いながら。


 さあ今。という時、疾風はあらぬほうへ眼を向けた。

 あり得ぬこと、よりにもよって渡辺源次ともあろう者が。しかし次の瞬間、見失った。と思ったさらに次、よそ見をした方向に影が走る。

 打つ手がない。少しでも遠ざかろうと悪足掻きをするくらいが、松尾のせいぜい。


 最後に見る景色から、眼を背けない。地を這う姿勢から伸び上がる渡辺源次を、じっと睨む。

 ──角が、ない。

 この期に及んで、感じた違和の正体に行き当たった。

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