第84話:莫逆の友(六)
「金太郎。金太郎、起きてくれ」
触れる手に、速い胸の鼓動が伝わる。反対に息は浅く、すぐに起こしたほうが良いと松尾は感じた。しかし頬を叩いても肩を揺すっても、金太郎の眼は開かない。
「頼む、非道を言っていると思う。でも今なんだ、今お前が居ないと駄目なんだ。このままじゃ、また外道丸を殺される」
袖を捲り、素肌の腕を叩く。赤く手形のつくほど、二度、三度と。
だがそれでも、金太郎の声も聞けなかった。
「──うん、無理を言って悪かった。やっぱり休んでてくれ」
渡辺源次が、頼光と神便鬼毒酒の力を加えてようやく。そんな酒呑童子と、どうやって対するか。
手始めに松尾は、腰の竹筒を取った。
あちらも段々と、痺れを切らしてきたらしい。灼熱色の腕が大振りに、振りまく風が強くなった。
突き出された爪を頼光が受け流し、反対の脛を渡辺源次が斬りつける。傷こそ付かぬものの、打合せもなく延々と続くことに松尾も舌を巻く。
「いい加減にしやがれ!」
「ふん、応じられんな。ひと息に叩き潰すと言うなら、遠慮なくやるがいい」
怒鳴る酒呑童子に頼光は淡々と答える。息の一つも乱さずに。
「よし分かった」
遂に、十尺超えの巨体が動いた。中背の頼光と比べても二倍の丈。腕だけでも、渡辺源次を二人繋げたほど。
握った拳は火鉢と見紛う。それが高い天から振り下ろされた。
どっ、と感じたのが音だったか振動だったかも定かでない。転ばぬため、松尾は自ら膝を突いた。
「まず生き爪を剥いでやる。次は指の一本ずつを引き抜く。それから足の皮を剥いで、その足を千切る。足の次は腕、次は胴の皮を剥ぐ」
怒声が松尾の頬までも震わせた。飛び退いた頼光らも、声が攻め手のように太刀で受ける。
「頭は最後だ。そのあと、どこを踏み潰されたいか訊いてやる」
死罪の宣告が終わった。酒呑童子は長い腕を頼光へ伸ばす。
けれども握ったのは刃のみ。「ふん」と鼻を噴き、巨大な手の放った太刀は遠い柱へ深々と刺さった。
「
「服ろわぬ者の世辞など要らぬ」
得物を失った頼光に、渡辺源次がすり寄っていく。「そうか」と童子の返答に、油断なく頷きつつ。
睨み合いは三つ数えるくらいだったろう。渡辺源次が脇差を放り投げ、頼光が宙で受け取る。
酒呑童子もまた頼光に腕を伸ばした。畳の捲れるほどに足を利かせ、狙いどおりに掴む。
──ただ、童子の血色をした眼にも脇差が刺さった。気合いの雄叫びの口にも、渡辺源次の太刀が。
「謀ったな」
無事な眼で睨み、酒呑童子はもごもごと唸る。
頼光の答えは声でなかった。血反吐を吹き、なおも骨の折れる不愉快な音が続く。
「御免」
渡辺源次は、主の窮地に視線を向けない。初めて聞く重々しい音色で謳い、血走った眼で太刀を突き込む。
三つ巴の殺し合いは、それで動きを止めた。刃の折れた渡辺源次が、尻もちをつく。
「外道丸……」
頼光を握ったまま、酒呑童子はまばたきを繰り返した。何度目かの後、眼を瞑って穏やかに息を吸う。
「ふ」
ひと声にも満たぬ短い音。これが断末魔と、松尾は首を垂れた。
だが
「ふっ。ふふっ。あははは。わははははは」
哄笑の酒呑童子が立ち上がる。へたったままの渡辺源次に、頼光を放り返し。
すぐに折れた刃も降る。瞼を開けば、脇差も抜け落ちた。眼も口も、血の一滴さえ流れてはいない。
「やはり
笑っても、表情は怒気に塗れていた。まま「褒美だ」と差し鍋を拾うのも、鬼の酒を口に含むのも。
「かあっ!」
火球が飛び、燃え上がる。包まれた頼光と渡辺源次が見えぬまでに。
「もう飽きた。お前もこれで死なせてやる」
再び、酒呑童子は酒を含んだ。顔の向くのは松尾に。
避けられるか。考えたが、その線は捨てる。意識のない金太郎を置いては行けない。
火球を斬って、いかばかりだろう。想像もつかないが、ほかにできることがなかった。松尾は膝を突いたまま、前屈みに太刀を構える。
「待って! 待ってください!」
死を前に、幻聴かと疑った。突然に乙姫の声となれば、誰でもそう考えたはず。
けれど、幻でない。証拠に、裾の広がるのも構わず駆ける女が松尾の前に立てば、酒呑童子が見えなくなった。
「酒呑童子さま。もうおやめください、わたくしたちには優しかったのに。どうしてここまで」
「どうして? お前の眼は節穴か」
酒を飲み込み、酒呑童子は苛と答える。
「こいつらは武士だ、殺さん理由がない。その上にイバラを痛めつけた」
「それは、でも……」
両の腕をいっぱいに広げ、乙姫は松尾を庇う。それは童子の言うとおり、理屈でなく立っているらしい。
「お前は客だ、俺の招いた奴を傷つけるつもりはない。しかしこれ以上の邪魔をするなら、もろともに焼く」
怒気は残れど、抑えた声。「そこをどけ」と酒呑童子の勧めに乙姫は
「ここを
「乙姫殿」
構えを解いた松尾も、押し退けようとした。それでも乙姫は頑なに動かない。
「そうか」
熱なく酒呑童子は呟き、あらためて差し鍋を咥える。
こうなれば、いよいよという瞬間に乙姫を突き飛ばす。備える松尾は、燃え盛る口腔を見た。
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