第83話:莫逆の友(五)

「備前守。まずはそれがしが」


 頼光の腕を、渡辺源次が押さえた。反対の手で自分の腰を探り、同じくの竹筒を取る。それぞれが飲むための神便鬼毒酒は、松尾も金太郎も荒二郎も提げていた。


「お前が一人では足りるまい。儂と二人がかりでなら」

「神の力を宿すとは、口伝えにございましょう。飲んでどうなるか、それがしの有り様を見てからでよろしい」


 いつもの平坦な口調で、渡辺源次は竹筒を呷る。三口ほどで空にし、「味はまあまあ」と。

 だが止められたにも拘らず、頼光も飲んだ。


「これが人にも毒となれば、なんとされる。生涯に一度きりというのに、また必要となれば」


 渡辺源次に驚いた様子はなかった。けれども語気を強め、主君に物申す。


「儂はな、儂のこの手で帝をお支え申し上げるのだ。我が身に余ることを忠臣の犠牲で行い、成し遂げたなどと宣う痴れ者ではない」


 わざわざ太刀を持ち替え、頼光は右手を示した。鬼を前に悠長なことだが、その酒呑童子も退屈そうに二人を眺める。


「なにやら飲んだくらいで俺に勝とうってのか。面白いが、くだらん」


 いかにも待ちくたびれたと、酒呑童子は座り込んだ。胡座に肘を突き、人さし指の一本で招く。


「殊勝なことよ。今度こそ刀の錆にしてくれよう」


 頼光が駆けるのに合わせ、渡辺源次も動いた。一方が肩口を、もう一方が膝を、同時に斬りつける。

 弾かれ、太腿と顎を。その次は首と腰を──なんのことはない、鬼毒酒を飲む前と同じ。左右に分かれ、別々の箇所を攻めれば対処しにくいという戦法を同じように行った。

 機敏さが増したとか、一撃が重くなったとか、これという相違を松尾には発見できない。


「備前守」

「うむ。これは良い」


 当人らは、なにやら手応えを感じたらしい。話しながら、休むことなく攻め続ける。


「なにが良いのか、教えちゃくれねえか。俺の手に傷一つ付けられねえ、お前らの刀がよ」


 はっと鼻で笑う酒呑童子。言うとおり、その手に武器はない。太刀を受けるのも爪や牙でなく、掌でのこと。

 もはや何合を費やしたか想像もつかないが、薄皮一枚とて裂いてはいない。


「直に分かる」


 律儀に渡辺源次が答えた。振るわれる赤い腕を潜り、腋に一撃を入れながら。

 腕はからきしと言った頼光も、既に嘘と知れている。松尾が太刀を折ろうとした時、完璧なまでに受け流された。

 それでも上手は渡辺源次に違いなく、攻め手を担う。頼光は攻めよりも受け、酒呑童子の隙を作ろうと立ち回った。


「それ」

「それ」

「それそれ」

「まだまだ」


 餅でも突くように、と言っては語弊がある。二人は交互に、あるいは同時に、常に拍を変えながら太刀を振るい続けた。


「分からん。分からんな」


 酒呑童子が喉から嘲笑を転がしても、馬鹿の一つ覚えとしか言いようのない策に拘った。

 ただ、松尾は手を出せない。

 頼光への感情を抜きに、純粋に加勢を考えたとしても。どこへどう加われば手助けになるのか、まるで判断がつかなかった。

 それほどまで、頼光と渡辺源次の息は合っていた。


「さあ、俺の気の変わらんうちに退治してみせろ。お前らの精も根も尽き果てた時、ひと息に叩き潰してやるからな」


 ただの脅し文句とは聞こえない。このままであれば、そのとおりに訪れる未来だと松尾には思える。

 頼光が力尽きるのはいい。そうなった時、自分になにができるかが重要だった。

 だから、と。金太郎のもとへ走る己を酷い人間だとも考えた。


「──このまま?」


 ふと、違和感を覚える。

 頼光も渡辺源次も、息を継いだか。どんな達人でも、どんな我慢を重ねても、十合やそこらで深い呼吸を必要とする。

 それが今、二人ともが百余合に及んでいまいか。


 疲れを知らぬこと。もしかすると、神便鬼毒酒の力とはそういうもの。

 まさかこのまま、酒呑童子を斃してしまうやも。松尾は妙に汗ばむ手で、横たわるままの金太郎を揺すった。

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