第82話:莫逆の友(四)

 両手の爪を太刀一本で止める。加えて迫る牙に対して、松尾の腕は数が足らなかった。かっと開いたあぎとが喉元を狙う。無傷は諦め、掌ほどをずらした肩を差し出す。


 深く、熱い塊が肉に潜る。

 痛い。顔を顰める松尾だが、それほどでもないと思う。


「ささ、いい加減に──!」


 怒声と嗚咽を混ぜこぜに、茨木童子の腹を蹴る。が、こたえた様子はなかった。

 ならば。鋭い爪と押し合いの太刀を離し、瞬間に脇差を抜く。喉を突き上げると、さすがに顎が緩んだ。

 今度は蹴飛ばし、距離を取った。肉と血が糸を引いたが、まだ深手でないと己に言い聞かせ。


 もう一度とどめを。踏み込もうとしたが、先に茨木童子が倒れた。前のめりに、糸の切れたように。

 しかし、また立ち上がるに違いない。

 動かなくなった、ただの躯でしかない童子を見下ろす。細切れにでもすれば動かないのか、などと縁起でもない想像を過らせながら。


「イバラっ!」


 数拍置いて、酒呑童子の声。

 すぐさま茨木童子は動き始める。起こした上体に、飛び散った肉片が集まっていく。

 喉の傷が塞がると、血色の眼に火が灯ったと感じた。「きぃ」と叫ぼうとする口腔へ、松尾は脇差を突っ込む。


「イバラ!」


 酒呑童子が呼ぶたび、茨木童子は蘇った。ただ段々と、恐るべき鬼ではなくなっていく。起きては倒し、起きては倒し、そういう戯れのごとく。

 茨木童子は。ささは、外道丸によって鬼であり続けさせられている。

 松尾は、そう考えた。


「外道丸!」


 酒呑童子の声を遮り、怒鳴った。やはり呼ばれなかった茨木童子は動かぬまま。


「なんだお前は。さっきから外道丸と、俺を誰と間違えてる」

「もう、ささを。茨木童子を操るのはやめてくれ。頼む、お願いだから」


 頼光と渡辺源次を相手にしながら、酒呑童子は答えた。それまでいちいちあしらっていた二本の太刀が、一つは腕へ、一つは胴へ、それぞれの狙うままに食い込む。

 けれども無造作に、酒呑童子は払い除けた。刃の触れた箇所へ、傷らしきものもなく。


「はぁん、面白いこと言うじゃねえか」


 髭のない顎を撫で、酒呑童子は思案げに見つめた。松尾も見つめ返し、あらためて「頼む」とも言った。頼光と渡辺源次が、合わせて六度も斬りつける間に。


「──おいイバラ」


 呼んだ。直ちに見た茨木童子は、その巨躯を縮めていく。丸太と見紛う腕は氷柱つららのように、荒ぶ吹雪に似た髪は穏やかなせせらぎのごとく。


「はい、シュテン」

「その男、やっぱりお前に気があるらしいや。もうお前と争いたくないんだと」

「まあ。あたしを?」


 先刻と寸分違わず、小さな鈴の音で銀髪の鬼が笑った。大人びた仄かな笑みを、松尾は痛々しいとしか見られない。

 すぐにも瞑りたい眼を、どうにか細めて堪える。


「あとは俺がやっとくから、お前は奥で寝てな」

「はい、シュテン」


 す、す、と。言われたまま、茨木童子は屋敷の奥へ向かう。

 どう見ても、ささの成長した姿。しかし違う、と松尾はかぶりを振る。


「茨木童子を退場させるとは、さすがと言うべきかな」


 砕け散った襖の向こうに、まだ茨木童子が見える。その間に頼光は太刀を拭い、笑わぬ笑みを松尾へ向けた。


「こちらの人数が増えたと喜んでいるなら、間違いだ。茨木童子を操る手間がなくなった分、酒呑童子が増したと考えていい」


 ただでさえ、二人がかりの太刀を受け付けぬ鬼。その力が増したと聞いて、頼光は「ああ、なるほど」と大した重みもなく頷く。


「あちらが増えるなら、こちらも増えるまで。奥の手というやつだ」

「増える?」


 なにを言い出したか、松尾は察せなかった。しかし頼光の手が、自身の腰に触れる。そこには神便鬼毒酒を分けた竹筒があった。

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