第81話:莫逆の友(三)

 硬く凍りついていく肉体。遠ざかる命の脈動。生きた者を殺めたなら、刃越しの死が読み取れる。

 それが鬼を相手には読めない。ゆえに、これで二度と動くことはないとも、おそらくと加えねばならなかった。

 そのことを初めて、松尾は良かったと思う。


「ささも、おやすみ」


 首を落とせば確実ではある。だがもう僅かも傷つけたくない。豆腐を扱うよりも優しく太刀を抜く。


「松尾丸。ちょっと休んでていいぞ」

「そんなわけには。まだ外道丸が居るんだ」

「最後の最後は取っておいてやる」


 傷ついた肩を触れながら、金太郎は冗談めかして言った。普段なら絶対に言わないだろうにと、松尾は返答に考える時間を作った。


「──その怪我は手加減のせいだ、と小母上に言っていいのか?」

「馬鹿言うな。叱られるじゃ済まないだろうが」

「じゃあ、とどめを待ってくれる保証がないな」


 軽口は返せても、笑って見せるまではできない。だが胸に走ったひびを、間違いなく継ぎ留めてくれた。

 どんな言葉を、どんな行為を返せば良いやら。とんでもない難題を、松尾は否応なく後回しにする。


「仕方ない。手こずってるようだし、二人でうまいところを掻っ攫いに行くか」

「そうしよう」


 頼光と渡辺源次は、遠い二方向に分かれて戦うことに徹していた。そのおかげだけでもなかろうが、酒呑童子の爪は空振りを繰り返す。


「というか、荒二郎殿は」

「ん? 見えないな、逃げたか。乙姫を無事に連れ出してりゃ御の字だけどな」


 見回しても、立って動く者は残り少ない。逃げたのでなければ、黒焦げの武士達の中に。眺めても遠目に判別は難しく、逃げたならそのほうが良かった。

 上がった息も十二分に整い、「たしかに」と松尾は答えようとした。


「イバラぁっ!」


 酒呑童子の怒声が広間じゅうを震わせる。

 鬼と化しても、兄が妹へ向けた声だ。松尾は思わず、目を逸らした。本当は、酒呑童子を睨み返すべきだった。


 ご、と風の音。あまりに強く、詰まった音色。

 しかし松尾に届いたのは耳へだけで、煽られるようなことはない。

 一瞬遅れ、なにか大きな塊が眼に入った。それは凄まじい速度で飛び去り、広間の反対の襖を突き破る。


「金太郎っ!」


 大の字に転がり、ぴくりとも動かない。けれど松尾には、そんな金太郎を助け起こすより先に行うべきがあった。


 一拍前、あの巨漢の居たほうへ向きを変える。金太郎を突き飛ばしたなにかが、そこへあるはず。

 太刀も振るった。振り返るのと斬撃とを、松尾の生涯において最速最短で行う。


「ささぁっ!」


 正体を見極める猶予はなかったが、必要もない。今から斬りつける場所には、茨木童子しか居ないのだ。

 動いていく視界に、両腕を突き出した恰好が映った。やはりと思うより先、後悔が湧き上がる。


 違わず、首を落とす。丸太でも斬るような手応えを、やったと意気込む気持ちは松尾になかった。

 左腕と頭とが畳に落ち、今度は間違いようがない。


「くぅっ……!」


 声にならず、噛み締めた口の端から血がこぼれ伝う。茨木童子をさておき、松尾は金太郎のもとへ足を向けた。ほんの二、三歩のことだ。


「イバラっ!」


 また怒声が轟く。

 まさか。考えるより、振り向くほうが早かった。


「きぃぃぃ!」


 首も腕も、元通りに繋がった茨木童子が松尾を襲う。

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