第79話:莫逆の友(一)

 身の丈、十尺を超えるとはそのとおり。先ほど見た白面の青年と同じだと、見た目に信じ難い。

 ──でも声が。

 あの青年の、いかにも澄ましたようなより。灼熱色のこの鬼のほうが、記憶の外道丸に近い。


「荒二郎、公時、皆様をお守りしつつ鬼どもを斬れ!」


 頼光の指示が飛ぶ。すると酒呑童子には、渡辺源次と二人で挑むらしい。

 自分は勘定に入っていまいと松尾は考える。どう戦おうと言うのかも、知らぬが良かろうと。知れば意地悪く、策略を妨げそうな気がした。


「しかし」


 呟くと同時、松尾は畳を蹴る。間合いを保つ頼光を尻目に、四間以上の距離をまばたきの速さで駆けた。

 狙うは脚。いかな巨躯も、その場から動けぬとなれば為すすべがない。


「外道丸!」


 二歩の距離で叫び、あわよくば動揺を誘う。

 だがその目論見は思わぬ方向で外れた。


「きぃやぁあぁぁっ!」


 突き立つような叫喚が降る。天井を割り、白銀の髪を踊らせ。


「さ、ささ!」


 姿のないことを警戒せねばならなかった。居ないと決めつけるどころか、まったく意識せぬまま。

 仰いだ顔へ爪が向いた。咄嗟に太刀を振るって弾く、と反対の手が松尾の喉を掴む。


「さ──くぐぅ──」

「けっ、けけっ。ぶぅしぃぃ? おぉまえはぶしだぁぁ」


 名を呼んでも、答える素振りはない。誰のことだと、とぼける風もない。

 心の底まで鬼と化したか。喉の苦しさに涙が頬を伝った。


「う……」

「けけけけけけけけ」


 愉しげに笑う。ほんの少しも、松尾に息をさせぬで。

 ささが、こんなことを。などと考えるのも束の間、視界がぼんやり歪む。すると、なにを思い浮かべることもできない。

 死ぬ、と諦めるのも。


「松尾太郎!」


 誰かに呼ばれた。気づくと松尾は噎せた咳を吐き出し、茨木童子は三歩先へ横たわる。

 すぐさま、青鬼は跳ねて起きる。


「まだ見えておらんな」


 そう聞こえたのは、背中の側から。

 振り向く余裕はない。しかし視界の端へ、酒呑童子へ躍りかかる渡辺源次の姿。

 なにを、と毒吐く暇もない。茨木童子は松尾に目もくれず、渡辺源次を追おうとした。


「けえっ、けっ。あはは、ぶぅしぃ。こぉろぉすぅよぅ」

「ささ!」


 呼びかけるより先、無防備な背に太刀を突く。が、消えた。松尾の目に追いきれず。

 ただ、かすれた残像が右へ残ったように思う。そちらから距離を取るほうへ畳を蹴った。


「きぃやぁぁ!」


 一瞬にも足らぬ差で、茨木童子の爪が打つ。まさに松尾の踏んでいた畳を抉り取り、編み草を己の頭上へ撒く。


「けっ、けっ。ぶぅしぃはぁ、きらい。きたないからきらい」

「ああ」


 そのとおりだ。余裕もないくせにと自嘲しつつ、松尾は頷く。


「私はみんなを見捨て、今また殺そうとしている」


 神経質に、絡まった草を取る茨木童子。正気と遠い笑声が絶え間なく、ささと信じたくはない。

 いや。

 愚かにもかぶりを振って、松尾は否定した。これは間違いなく、ささだと。


「私のせいだ」


 言いながら、酒呑童子を諜う。頼光と渡辺源次は左右反対に分かれ、丸太と呼んでも生易しい豪腕を巧みにいなす。


「この小賢しさが、自分で腹立たしいよ」


 言いつつ。せめて酌をしてくれた、あの姿に戻ってくれないかと。あれなら鬼でも、共に在って不都合ないはず。

 叶わぬことばかり。願ってばかりだ。

 いい加減、自嘲にも笑えない。手にした太刀で己を突く衝動を、松尾は堪えた。


「敵わなくても」


 ひと呼吸。松尾は横薙ぎに斬りつける。返す刀を斬り上げ、次は逆袈裟。拍をずらして鳩尾みぞおちを突き、引くと見せかけてまた突く。


「ささ! ささ! ささ!」


 一手ごと、呼び続けた。松尾丸と返ることを願った。

 だが叶わない。茨木童子の手は蝿を払うがごとく、渡辺源次のしたようには斬れなかった。


「くそ、くそ。ごめんよ、ささ」


 右へ、左へ。茨木童子の指が届くかどうかの距離を動き、伸ばされた腕を掻い潜る。

 それでも皮一枚を切ることあたわず、なにをか松尾は許しを乞う。


「ぶし、きらい。とまれ」


 茨木童子の笑声が途切れた。二本の足で立っていたものが深く腰を屈め、眼に収めた松尾は極寒の心地を得る。


 なにか、まずい。

 そう明確に考えたでもなく、身体が勝手に動いたと言って良かった。腰の鞘を引き寄せ、太刀と交叉して十字に構えた。


「うぎぃぃぃ!」


 声か歯軋りか。ともかく不快な音を発し、茨木童子は跳ぶ。

 松尾の眼に映っていても、避けることはできなかった。正面からと思ったものが、直前で消え失せた。次の瞬間には同じ勢いで左手の側から。

 太刀と鞘で受けられたのを、奇跡と称されても松尾に文句はなかった。


「くぅっ」


 受け止めても、無傷とはいかない。どこ、と一箇所でなく、左半身のあちこちが軋む。

 一人では無理だ。

 助けを求め、金太郎を探す。鉄扉に近い隅を守り、荒二郎と並んでいた。


 乙姫や親王らを庇うのに手一杯のようで、倒れた鬼が少ない。

 万事休すか。

 諦めてはいない。今の松尾にとって諦めるとは、茨木童子と刺し違えること。それ以外を探し、しかし見つからない。


「くそ」

「ころす、ころす、ころすぅ!」


 両手で突き出される爪が、次々に松尾をかすめた。全ていなしているのに、力負けをして。

 諦めるという言葉が、強く脳裏に浮かび上がった。


「いやだ!」


 左の肩口に熱い感触が刺さった。あえて受け入れたと言ってもいい。

 茨木童子は喜色を示し「けえっ」と笑う。その隙に松尾の太刀は、右の腋をたしかに貫いた。


「ぎえっ!」


 茨木童子の悲鳴は短い。さもありなん、傷は深いがおそらく筋肉の層を突いた。人には激痛でも、血も流さぬ鬼なら構うまい。

 だがその時、ほぼ同時に音を立てて鉄扉が開く。

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