第77話:鬼退治(十三)

「──ごまかしもしないのか」

「はて。儂はしくじりこそすれど、誤ったことがない。ゆえに過去を取り繕えとは、必要が分からん」


 語気を強むるでなく、揺れるでなく。鋼の壁にでも行き当たったか、と松尾は思う。


「誤ったことが? 私は、盃浦の松尾は、七年前のあの日から、忘れたことなど瞬間もない」

「うむ。あの服ろわぬ者の巣窟から、たった一人取り逃がした子供。あれもしくじりに相違ない」


 あっさり、頼光は頷く。

 今朝食ったのも湯漬けだったか、とでも。自分のほうこそ気を迷わせ、訊ねたのでは。そう顧みるほどに。


「知っていたのか。逃げた子供が私だと、知った上で私を呼んだのか」

「知るものか、落僧と同じよ。腕の立つ噂を聞き、源次が連れ帰った」


 ならば、この対面は偶然ということ。

 信じるのか? 己の問いかけに、松尾はかぶりを振る。


「それならどうして、私を浦辺と」

「息吐ける住処、朝から晩まで世話をする女。そんなもので、人の口は解ける。儂や源次には永遠に語らぬだろうが」

「小母上に……」


 なぜ。

 怨みを持つ自分を抱えて、頼光になんの得がある。現にこうして、今にも叩き斬るのを堪える有り様だ。


「では外道丸が酒呑童子と知って」

「それも知らん。どうも自身を買いかぶっているようだが、外道丸とやらはお前を覚えていなかったではないか」


 たしかに名指した酒呑童子と、目の前で酌をした茨木童子が、松尾になにを言うこともなかった。

 それはそうだ。鬼と化して、生前の誰かを頼った例を聞いたことがない。


「ではなぜ私を」

「再三、言っただろうに。お前は儂の太刀よ、源次には並ばずとも名刀と呼ぶにやぶさかでない」


 なぜ。

 なおも問い重ねようとする自分が、心得違いをしている。でなければ頼光は、どこか別の土地の言葉で話している。

 松尾はそんな風にしか、この噛み合わぬ対話を呑み込めなかった。


「お前がなにを言っているか、私には分からない。父を、村の仲間を殺した男。それを許すとでも? もう忘れたとでも思うのか」


 これで伝わらぬなら、斬る。

 松尾は太刀を握り直した。すかさず間合いを詰める渡辺源次には、さすがと言わねばならない。


「くどい。が、松尾太郎の言い分がようやく分かった」


 能面から、笑声がこぼれる。


「人と鬼の旧交。野垂れ死んだはずのわらしが温めておるやも知れぬ怨み。そういう有りや無しやの代物でものを考えるは、愚か者の所業」


 有りや無しやと言ったか。心得違いに留まらず、自分は耳まで悪くしたか。

 己の怒りを、松尾は松尾に問い続ける。


「これも言った。儂は帝の御代の御為おんため、お守りするに必要な力を欲している。時にその力が儂へ向くと言うなら、斬り捨てるだけのこと」


 無造作に。それでいて親王に「御免」と断り、頼光は太刀を抜く。

 油断ならなかった。互いの間合いを守り合う、渡辺源次と並んで。


「付きあう」

「金太郎。小母上が」

「言ったろ、行きに気にするようじゃ叱られる」


 鉞を担ぐ巨漢が、いつもの何倍に見える。しかし素直に頷くわけにもいかなかった。怨みは晴らすが金太郎の母を傷つけるな、とは虫が良すぎる。


「儂に構えてどうする」


 呆れた風に、頼光の鼻が噴く。


「坂田公時、松尾太郎ともあろう者が気づいておらんのか」


 今度はなにを言い出した。訝しむ松尾を尻目に、さっと翻って背中を見せもする。

 だがそれは妄言でない。はっと窺う松尾の耳へ荒々しい足音が聞こえた。


「俺に、俺になにをしたぁ」


 地の底から煮え立つような、酒呑童子の声も。

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