第75話:鬼退治(十一)

「む。公時、お前が傷つくほどの手練があったか」

「ふん。大したこたぁない」


 広間へ入ってすぐ、金太郎の傷に頼光は触れる。問題ないと、ぐるぐる回される腕を松尾は見ていられなかった。


「私が足を引っ張りました」


 謝るより先に俯いたまま、松尾は顔を上げられない。頼光も直ちにの言葉はなく、「ふむ」と首を捻る。


 それから乙姫らの泣く声だけの時間は、さほど長くなかった。渡辺源次らの出ていった襖がそろそろと動き、金太郎がひと息に開くことで終わる。


「あれま。備前守もお戻りだにい」


 顔を出した荒二郎に続いて、ぞろぞろと大勢が広間へ入った。数は二十人を超え、二十歳回りから五、六歳の子まで。


「これは、親王殿下も。行方知れずの方々が、こうもご存命とは。いや無礼千万と承知ながら、鬼に拐われてのことゆえに」


 頼光には知った顔が多いらしく、言葉のとおり目を丸くした。

 だが誰も慄き、あるいは泣くばかり。いやどうにか、親王と呼ばれた年頃の男子が引き攣った声を発する。


「こ、ここの鬼達は問題あるまいか」

「問題とは、なにを指しておいででしょう。ここいらの鬼は、我らの策略にて酔い潰れておりまする」


 鍋を囲んだ鬼達は、寝こけたまま。いびきも聞こえ、寝返りを打つ者も。ちょっとした声や動きに、親王は「ひっ!」と身を固くする。


「畏れながら。お答えの続きはわたくしが」


 化粧けない顔を青褪めさせた乙姫が進み出た。下げた頭に親王も頷き、頼光の正面を譲る。


「わたくし達は皆、己の立ち位置を見失った者です」


 大袈裟なほど息を吸い、目を見開いて。乙姫の声は強く震えたが、聞き取れぬまででなかった。

 なにを言い出したか、さっぱり分からない。頼光の顔は、そう訴えていたが。


「立ち位置を?」

「たとえば婚姻の決まっておりながら、身分違いの懸想をした者」


 頼光の気遣う笑みが、すっと引き締まった。なにをか言おうともして、それは呑み込む。


「たとえば順序を逆立てて、家を継ぐよう持ちかけられたお方。たとえば飢えた親に殺されかけた子」


 不器用に細めた声が、泣き出しそうに聞こえる。さすがの頼光も「もう、もうよろしい。それで」と先を促した。


「やって来た時には驚きました。帰りたいとも言いました。ですがここに、しがらみはないのです。むやみに飾り立てる必要もなく、集まった皆様とゆったりとした時を過ごせるのです」

「ゆったりと、ですか」


 頼光の視線が大鍋に注ぐ。どう解釈したか、こくこくと乙姫も首肯を繰り返す。


「心残りはあっても、安らかに過ごしました。不自由なくと言って良いでしょう。ここの鬼達は見聞きしてきた鬼と違い、とても優しくしてくれました」


 話すうち、ぎこちなくも乙姫は笑む。その硬さが、作り物でないと信じさせた。「けれど」と、すぐに消え去ったが。


「つい先ほどのことです。その瞬間まで仲良く話していた鬼が、牙を剥きました。顔まで別人のようになって、悪い夢を見ているようです」

「顔が変わった──というと鬼の区別をするほどに」

「ええ、ほとんどの名前も知っています。もう誰が誰やらですけれど」


 近くに眠る鬼を、乙姫はそっと覗き込む。しかし眉の形を複雑に歪め、首を横に振った。


「顔が……」


 乙姫の言葉を、松尾は己の声に出す。

 にわかに信じ難い。そのはずなのに、酷く胸騒ぎがして。


 どうなんだ。

 心に問いかけても、答えのないのは自明。むしろ、あったのかもと思う。お頭の顔が、目の前にちらついてしようがない。


「金太郎」

「おう」


 頼むとも言わなかった。手近な鬼の顔を見て、隣の鬼をひっくり返す。

 金太郎はそのまた隣をこちらに向けてくれた。


 また次の車座に向かい、同じように顔をたしかめる。その中に、最初に出会った門番と同じ着物が見えた。


「盃浦の子だ」

「こっちは」

「ささと仲のいい。ああ、櫛をくれた女の子だ」


 殺せ。感情を殺せ。今ここで泣き喚いてどうする。

 松尾は自身の魂を、氷の刃で串刺しにした。それは何本も、何十本も。

 だが、それにも限界は訪れた。


「父ちゃん……うわあっ!」


 両の足で立ったまま、松尾はずぶ濡れの声を飛び散らかす。

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