第73話:鬼退治(九)

「私は……」


 言えばどうなる。外道丸を殺さねばならぬのに、ここで止められるだろうか。

 殺したあとなら、捕らえられて構わない。盃浦の仲間と同じところへ行けるなら、それでいいのに。


 迷う松尾の目の前に、太い腕が突き出る。その指が、荒二郎の刃をきつく握った。「なにを公時」と狼狽える声にもびくとしない。


「話ぃ聞かせてもらおうって態度じゃないな」


 割り込む金太郎が、向こうとこちらを隔てる山に見えた。盃浦を囲んだ、あの丘のごとく。


「いい。金太郎、いいんだ。なにも知らず、なにも知らせずでは怪しまれるのも無理はない。すべて話そう」


 巨漢の腕に触れる。鋼の硬さが、徐々に緩まった。完全に解けると、荒二郎の太刀も引っ込む。


「聞かしてもらうべ」

「私は、酒呑童子の友だ。幼いころは外道丸と呼んだ」


 茨木童子は、ささであると。盃浦は文殊丸の連れた見廻仕に滅ぼされたと。掻い摘んでではあるが、松尾は残らずを伝えた。


「──ふうん。で、その最後の場所のどぶろく様っちゅうのが、入口にあった石の柱ってか」

「そうだ。外道丸が、なぜここまで運んだかは分からないが」


 大した時間は使っていない。けれどそのうちに荒二郎は、太刀を鞘へ納めた。訝しむような眼は変わらずとも、斬ることはやめたらしい。


「備前守──」


 知って、松尾をどうするか。決める立場の人間を、渡辺源次は呼ぶ。

 当人。頼光は頭襟を外し、その場へ捨てて答えた。


「酒呑童子を討つべし。儂が気にするのはその一事のみ。昔に逃げた子供だろうと、今ここで使えるか否か」


 笑みの欠片もない。言う間に辺りを窺うが、あせった風もない。さらに身体は別の生き物のように、着々と鎧を取り出しては身に着けた。


「松尾太郎。お前は未だ、儂の太刀か」

「はい。是が非にも、酒呑童子を討つまでは」


 迷わなかった。頼光をどう思うかとは関係なく、酒呑童子を討ったあとの自分は使い物にならぬということまで。


「ならば良し。源次、荒二郎を連れて左の襖を行け。貴族どもに売れる恩があれば拾っておけ」

「承りました」


 答えて、渡辺源次の頭が下がる。直前にほんの一瞬、松尾へ眼を向けて。それからすぐさま、渡辺源次と荒二郎も鎧を着て出ていった。


「そろそろ後詰めも着こう」


 この部屋に眠る鬼達はそれらに任せよと、頼光は右の襖へ歩いた。

 松尾は小さく息を吐く。鬼を討つことに躊躇はないが、無抵抗の相手ではまた違う。ましてこの村の鬼は流暢に話し、飯を食う。

 その上で眠っているとなると、どうにも刃を向けるには困る。


「ん、どうした? 腹を悪くしたか」


 松尾が足を動かしても、着いてこない。なにやらしゃがみこんだ金太郎を振り返り、問う。

 いや、悪くしないほうがおかしいのか。問うてあらためて、そう考えた。


「うーん……」


 荒二郎のぶち撒けた鍋の中身を、金太郎は見下ろす。太い骨の一つを手に取り、神妙に唸って。いきんでいるのとは違うらしい。


「急げ、鬼毒酒がいつまで効くか定かでないぞ!」

「ちっ」


 抑えながら、鋭い頼光の声。金太郎の舌打ちは大きかった。


「あとで弔おう」

「いやまあ」


 曖昧に頷きつつだったが、金太郎の足が動く。

 追いつくころ、頼光は長い廊下を何十歩か進む。たとえ十尺を超える鬼がとび跳ねても、不自由しない。見合った壁を、柱を、人の職人が拵えたのだろうか。


 延々とまっすぐの先は、この世の終わりへ通じるかと松尾は思う。よくもこれだけのものを。

 ぶるっと寒気を覚えて、ふと気づいた。


「火が、ない」


 松明も蝋燭も、どこを向いても火の気を見つけられなかった。だのに天井も壁もある屋敷の中が、なぜ見える。


「備前守?」


 廊下の中央、渡辺源次と似た自然体で動かぬ背中にそっと呼びかける。が、返ったのは答えでない声。


「なにか……」


 どうも音を聞いているらしい。同じように手をあてがい、耳を澄ます。


「ひぃ──」


 いつかどこかで聞いたような、小さな悲鳴。左右に並ぶ襖のどれでもなく、廊下の果てから届いた。


「人の悲鳴です」

「人のか」


 その問い返しはどういう意味だ。瞬間に悩み、直ちに打ち消した。悲鳴を上げた者が鬼だったとして、頼光がどうするかなど気にしてもしようがない。


 都の見廻りの歩幅で進むこと十歩。こちらへ向かってくる影と、にわかに慌ただしい床の振動。


「迎え討つ」


 頼光の指示に従い、足を止める。太刀と鉞をそれぞれ抜き放ち、息を整える。


「ありゃあ、乙姫じゃないのか」


 最初に言ったのは金太郎。ほとんど間なし、松尾にも見えた。子供を抱え、艶やかな布を脱ぎ捨てた筒袖姿で走る。

 ほかに拐われた者と見える若者を引き連れ、誰も必死の形相がまさに鬼気迫った。


「出るでない!」


 頼光が叫んだのは、松尾が乙姫を呼ばんとした時。迎え出ようと足を浮かした時。

 なぜ。考える暇はなかった。

 乙姫との間の十数枚。既に通り過ぎた十数枚。見える限りの襖が一斉に弾け飛び、のそりと出てくる姿があった。いずれも頭頂に角を付けて。

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