第70話:鬼退治(六)
外道丸──
痛みを堪えでもするように、折り畳んだ右腕が額を支える。大輪を咲かせた椿のように、伸ばした左手が
着乱れた筒袖もそのまま、立てた片膝は雪化粧の山に見えた。
丈など松尾より幾分も高い。切れ長の眼、不満げに歪めた唇は、氷の刃かと思う。
どこにあの頃が残るか。問われれば、しかとは答えられない。それでも松尾には、ほかのなににも見えなかった。
頭に二つ、角が尖っていても。
「誰だ?」
ああ。
声を聞けば、より強く感じた。大人びているけれど、間違いなく外道丸だと。
「お頭、こいつら迷い込んできてさ。帰れって言ったんだけど、酒も食い物もくれるって。村を見たいって言うしさ」
門番の鬼が、執り成す風に。お頭と呼びつつ、友と語るような。
「ふぅん。そりゃ構わねえが、まさか武士じゃねえだろうな」
「違うってよ」
にやり。金髪の鬼は、俯き加減に笑む。裏腹に、声は低く機嫌を悪くしたが。
「へえ。まあなんにしろ、こっちへ来いよ。遠くてかなわねえ」
真白い指が一本、招いて動く。そこへ糸でも繋がっていたかのごとく、五人が一斉に足を出した。頼光を真ん中に、横一列で。
「見てのとおり、ここは鬼の村だ。俺が作った、俺の村だ。通りがかりの人間が、たまに来ることはある。俺は来る奴を拒まねえ、この村をほかの誰にも言わねえと約束すれば」
畳一枚を残して、頼光は止まった。笈を下ろし、「どっこいしょ」と座り込む。残る四人も倣い、誰かの喉がごくりと鳴った。
「生意気な鬼だと思うだろう?」
「いえ、そのようなことは。たしかに鬼の村と知って驚きはしましたが。未だ知らぬものを知りたい、それだけでお邪魔をお願いしました」
頼光の押し出した大とっくりを、金髪の鬼は見下ろす。睨める眼が頼光とを往復し、ぺろりと唇を舐めたのはなにか、窺い知るには足らない。
「身勝手なことよ。約束を破れば八つ裂きにする、とさえ忘れなきゃ好きにしやがれ」
「ああ、ありがとうございます。ところでその、そちら様のお名前を聞いても?」
「俺の名? そんなもの、聞いてどうする」
「いえいえ。単にお呼びするのに難しいだけで」
お頭と呼ばれる者が、酒呑童子のほかにあるか。松尾はそっと、目を瞑る。
ささと乙姫。外道丸と酒呑童子。ただでさえ困難な二者択一を、なぜ増やすかと呪って。
「ふん。どうせお前らには、俺の名を呼ぶこと叶わん。ここへ来た人間は、酒呑童子と言っていた。それで構わん」
「は、酒呑童子殿。お近づきの印に、どうぞ
大とっくりを、頼光は片膝で提げる。酒呑童子が盃を出す前にも後にも、太刀を抜ける姿勢。
「酒か。ただともいかん、俺からも馳走してやる」
酒呑童子は門番の鬼に支度をするように言った。「今からか」と小さく、金太郎のぼやき声。
けれども予想に違え、二十を数える間も待たなかった。部屋の左右の襖が開き、女の鬼が膳を運ぶ。
「これは……」
「お前らの酒を飲めと言うんだ。俺の食い物も口に入れてもらわねば、対等とは言えんだろう?」
にやにや笑う酒呑童子は、まったく笑わぬ声で告げる。
頼光が息を呑むのも無理はなかった。むしろそれだけで、まともに声を発したのを褒めねばなるまい。
五人に配られた膳は、顔を浸けられる大きさの椀があるのみ。中身はと言えば、続いて運ばれた鍋にあった。
ぐつぐつと、まだ煮え音も賑やかに。湯浴みの
覗くこともなく、どろどろの赤い煮汁が目に痛い。上がる湯気は、見廻りで親しんだ生臭さ。
具材は大きく刻まれていた。
手首より先、五本の指が揃って。同じく足首も、脛は膝から。肘は上下の腕の半分ほどと繋がり、割れた頭蓋から中身が溶け出す。
「さあ食ってくれ。先に喉を湿らすなら、俺の酒を飲ませてやる」
酒呑童子の腕が上がると、また女の鬼が
五つを五人。その真ん中、頼光へ盃を渡す鬼を、松尾は凝視せずにいられない。
酒呑童子と同じ肌色に、白銀の髪。
羅城門での姿と違う。きっと七年で、大人びた。都を歩けば、誰もが振り返ること間違いない。
ささの仄かな笑みを、松尾は忘れていなかった。
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