第69話:鬼退治(五)
背恰好は頼光や荒二郎に近い。擦り切れた筒袖、括袴から伸びる手足も、そこらの大人と同じような肉づき。
今まで見てきたどの鬼より貧弱に見えた。
「なんだ、お前ら」
喋った。茨木童子とは比べものにならぬほど滑らかに。
さらには手にした棒。というより皮を剥いだだけの枝を突き出し、威嚇を示した。すぐさま鉞の柄を掴んだ金太郎も、どうやら戸惑って「んん」と呻く。
「いや失礼。儂らは山歩きの修行者でな、ひとりでに地面を這う腕というものを見かけ、浅薄にも追ってきた」
すらすらと、頼光はでたらめを並べた。鬼が「なんだって?」と眉を寄せても、動じた風もなく重ねる。
「そちらには当たり前かもしれんが、儂らには珍しいことなのだ。しかし見失い、うろうろとしておったところでここに出た」
「へえ? たしかにさっき、イバラの腕だけ帰ってきたな。失くした、って泣いてたんだ」
構えた枝先が、ゆっくりと下りる。
「失せものであったか。それは余計なことをせず、見るだけに留めて良かった。いや危うく、そちらに迷惑をかけるところだ」
「いいさ。なにもなかったんだ」
肌色だけを見れば、誰もが死体と断じるだろう。それが笑い、手遊びに枝を振り回す。
「
「なんだ? ほかの奴か。居るぞ、たくさん」
鬼は後ろ手に、峡谷の奥を指さす。
受けて「ほほう?」と、いかにももの問いたげな頼光の声。額に手を翳し、遠くを見通す素振りも堂に入った。
「おいまさか、村を見たいって言い出すのか? 駄目だぞ、入れないために門番をしてんだ」
「うん、そこをなんとか頼めぬか。世の中を広く知るのも、儂らの修行のうちでな」
「駄目だ駄目だ」
あっさり聞き入れるかと思えば、意外にもきっぱりと断る鬼。
見つめる松尾は無意識に、それでいいと頷いた。
「うぅむ、ではこうしよう。ちょうど手元に、珍しい酒がある。これをお前様の長に、そっくり渡そうではないか」
「酒かぁ」
「お前様は酒を飲まんか。では儂らの仲間に言って、食い物を持ってこさせよう。魚が良いか、菓子が良いか。いや、どちらもでどうだ」
自身の笈から、頼光は大とっくりを出した。鬼の前に音を立てて置き、さらに餌を追加する。
「いやぁ……」
「よし、善は急げ。悪いが頼めるか」
「承りました」
困った声で鬼は頭を掻く。が同時に、こちらの各々の笈へ視線を巡らせる。
頼光の目に、付け込む隙と判じたらしい。ここまで案内をした組と少年を使いに走らせた。「あっ」と引き止める鬼の手は、まったく届かない。
「分かった。入れてやればいいんだろ」
「いやあ無理を頼んで悪いが、ありがたい」
遂に折れ、鬼は峡谷のほうへ一歩踏み出した。しかしすぐ振り返り、手の枝をこちらの全員へ向ける。
「そういえば、武士は居ないだろうな」
「うははっ。おらんおらん、儂らは俗に山伏と呼ばれる者どもよ」
「ならいい」
頼光得意の笑声が、芝居とは思えなかった。現に門番の鬼も、満足げに頷いた。
そのまま、今度こそ峡谷の奥へ進む。どこか弾むような足取りで。
「さあ案内されるとしよう。のう、荒二郎」
おもむろに足を動かしつつ、頼光の首が後ろを向く。けれどもそこに、いやどこにも、荒二郎は見えない。
「……へえ、行きますとも」
数拍の沈黙から、がさがさと藪が動く。頼光の睨む辺りの茂みに、荒二郎は潜んでいた。
「腕の立たぬ儂が行くところなら、安心して同道できよう? 今日はどこまでも道連れてやるゆえ、心置きなくな」
「へへ、ありがたいこって」
誰も、強いて言うなら金太郎が鼻を噴いたくらいで。咎めるようなことはなく、鬼のあとを追った。
白けた靄を抜けた途端。どこまで続くか、果てしない草原が広がる。
どこかで見覚えのある草、花、樹木。道という道はないが、どこを行っても歩けぬところは見当たらない。
真上の陽が柔らかく、暑いでも寒いでもなく心地良かった。
「む。あれはなにをしておるのか」
きょろきょろと落ち着きない頼光が、どこか遠くへ指を向ける。門番の鬼も律儀に足を止め、「なんだ?」とそちらを見た。
「ああ、球遊びだ。草とか蔓を丸めて、枝で叩く。石で門を作ってな、うまく通せるか競う」
「ほう、面白そうな。儂はやったことがない」
「やってみるか? 門番でない時は、俺もよくやる。面白いぞ」
幼い子供らの遊びでないのか。松尾は首を傾げたが、たしかに離れて集まる鬼達は、門番の鬼と同じような体格に見えた。
話し方から察するに、大人と言って元服から間もなく思える。まあ頼光が面白そうと言うのなら、どんな歳でも構うまい。
「いや遠慮しておこう。せっかく入れてもらったのだ、挨拶の酒はなにより先にお渡しせねば」
「お頭は酒好きだからな。きっと喜ぶ」
「それは良かった」
道々。松尾には見慣れた茅葺きの家が、そこここに建つ。田畑はなく、見かける鬼は誰ものんびりと過ごした。
ある者は寝転び、ある者は散歩をし、ある者は酒を酌み交わして。
やがて門番の鬼が「ここだ」と止まる。そう言う一瞬前まで、たしかにその先にも草原が続いていたはず。
しかし今は、聳えた岩壁に鉄の門扉が閉ざされた。門番の鬼が触れると、重々しくも勝手に開いていく。
「松尾丸?」
おそらく一行の全員が、鉄の門とその奥へ注意を向けた。一人、松尾を除いて。
門扉とは反対の、通り過ぎた広場と思われる場所を見ていて、気づいた金太郎に肩を叩かれた。
「ん、開いたのか」
「ああ。焚き火の跡が珍しいのか?」
「そうではない。懐かしいだけだ」
「そうか」
なぜか金太郎は、肩をもう一度叩いた。先よりも強く、危うく転びそうなほど。
やったなと、おどける心持ちにはなれない。だがこの巨漢が居てこそ、懐かしいと松尾は言えた。
「これは立派な屋敷だ」
「だろう? 客も多いからな、お頭が作ったんだ」
「客が来るのか」
頼光が褒めたのは、間違いなく世辞でない。緩く湾曲した通路には、延々と板床が敷かれている。壁は漆喰、天井には太い梁。これだけ拵えるのに、いったい何年がかかるかという代物。
途中、通路の左右に絵襖が見えた。等間隔でなく、右に二箇所続いたと思えば、次は左へ三箇所と気紛れに。
池田中納言邸も問題にならぬほど進むと、通路が四つ叉に分かれる。これも、どの方向にも絵襖が並んだ。
「お前らとは違う。お頭が客と認めた奴が客だ」
「なるほど、粗相のないように致そう。それでそのお頭とは、どのような?」
「もうすぐそこだ。会えば分かる」
門番の言うことに嘘はなかった。絵襖もない、ただまっすぐの通路が少し続き、行く手をまた鉄の扉が塞ぐ。
門番は前置きもなく無造作に押し開き、「入れ」と自身はそこへ留まった。
一面、畳の敷き詰められた部屋。およそ五十、いや百枚ほどもあろう。
その最奥に、誰かが居た。牛の乳の色そのままの肌、結い上げた髪は自ら輝かんばかりの黄金色。
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