第66話:鬼退治(二)

 茨木童子の腕を預けた組が、どこへ行ったか。報せは次の日の夕刻になった。


「松尾太郎さん」

「はい。って、ええ?」


 掃き掃除を買って出た松尾の前に、世話係の少年が現れた。都へ残ったはずが、身一つの恰好で。


「備前守にお伝えください、腕は天橋立あめのはしたての方向と」

「はあ」


 最も先行している組から、まったく別方向のここまで。どういう脚力があれば来れるのか、唖然とする松尾にまともな返答はできなかった。


「次の連絡場所はこちらで」


 簡単な地図を出し、少年は駆け去る。まこと、追いかける気にもならぬ速さで。

 少年の言うまま、見たままを渡辺源次に伝えたが、驚く風ではなかった。さらに頼光に伝わっても同じく。


「おお、懐かしいな」


 反対に、地図を開いての反応は分かりやすい。「のう源次」と共感を求め、「それがしは居らぬころでしょう」で終わったが。

 その腹いせでもあるまい、頼光はすぐの出発を告げた。瀬戸の海に近い多田庄から、北の海の辺りへ。


 すると盃浦も近いだろうか。

 ないに等しい松尾の知識と感覚では、まったく判断が利かなかった。仮に目の前だったとして、立ち寄りたいとは言えぬけれども。


 行軍は昼に夜を、いやさ夜に出発して昼を継いだ。

 その二日目の日暮れ近く。地図に示された寺はここと、隔てる柵も塀もない境内へ頼光は踏み入る。誰に断ることなく本堂へ上がり、荷を下ろす。すると間なし、小坊主が湯を運んだ。


「しかし備前守。まだここが鬼の城っちゅうんでもねえだに、えらく急いだずら」


 だらしなく、荒二郎が大の字になるのも当然と言えた。夜ごと見廻をする身にも、睡眠を削ってまでの移動はつらい。


「うん、それはだな。儂らは表向き、当てずっぽうで捜しておるに過ぎん。ゆえに幾らかの日数を使えば、成果を言上ごんじょうせねばならん」

「はあ。するってえと、よその武家には関わらせたくねえってことで」

「大きな声では言えんがな」


 荒二郎は知らぬことらしく、返事が「へえ……」と消え入った。だがすぐに


「まあ備前守が直々に指図するっちゅうだら、あたしにゃ文句はねえずら」


などと続けた。


 また、そういう話か。

 頼光の計算高さに、松尾は吐き気を覚える。ただ、今この時ばかりは、ほかにも心当たりがある。


 この寺だ。寺だけでなく、すぐ先を流れる川。並ぶ家の前に敷いたままの筵。なにより寺の背後に控える、大江山。

 ──僕は、この町に。

 父と、盃浦の仲間と。物の交換に訪れていた、あの町だ。


 偶然だ。密かにかぶりを振って、吐き気を忘れる。

 茨木童子の腕がこの方向へ来たがったというだけで、誰の思惑があるわけでない。あったとして、松尾を引き寄せることに得がない。


「どうかしたか?」

「いや、偶々だ。そこの山が大江山っていう」

「……ああ」


 案じた声の金太郎にも、それ以上に言えることはなかった。


 それから、稗と蕪だけの夕餉を終えたころ。世話係の少年が寺にやってきた。先だっては見なかった背負子に、荷を載せて。


「首尾はどうだ?」

「この辺りという場所に、目星のついたよし。ですが、どうしても城の発見には至らぬと」

「ふぅむ。本当に鬼の世界のような場所でもあるのやら」


 先行した組からの報せに、頼光は髭を撫でた。少年の指さす、やはり大江山の頂上付近を向いて。


「で、その荷は」

「は。携えていても、もはや活かすことがないと預かってきました」

「うははっ。持っていれば、茨木童子が狙い討ちに襲うやもしれんしな」


 脇へ下ろした背負子から、少年は固く布で巻いた荷を取った。「そのようなことは」と顔を青くしつつ、丁寧に布を解いていく。


「ああ、そういえば。鬼の城とは無関係ですが」

「うん?」

「預かった組長が、お訊ねでした」


 厳重に、長い布が何枚も使われていた。その端ごと、厄封じの札も。


「腕の暴れ方が手のつけられなくなるほどとなり、封じ札を増やしたそうです。すると腕の見目が変わったとのことで」

「ほう?」

「それでお訊ねとは、茨木童子は女であったかと」


 最後の布が床へ落ちる。少年の言うように、ほとんど肌の見えぬくらいに札が貼られていた。

 その腕を、頼光が受け取る。「女なら、めとるつもりか?」などと軽口で。


「なんとも言えんが、言葉遣いなどは女のようでもあったな。どうであれ、鬼に変わりなし」


 主の冗談は置き去りに、渡辺源次が答えた。少年も「畏まりました」とこうべを垂れる。

 その間に頼光は、厄封じの札を剥がしていった。一枚ずつ、腕の動きをたしかめながら。


「たしかに活きが良うなっておるな」


 十枚ほどで、茨木童子の腕が大きく跳ねた。「おっと」などと言いつつ、頼光は受け止める手も出さない。

 車座の中央。松尾の手も届くところで、童子の右腕は跳ねる。釣り上げた魚と思えば、まだ可愛い暴れようだが。


「はあ、たしかに女の腕に見えるべな」


 怖怖こわごわというていで、荒二郎は夕餉の箸を伸ばす。肌の多く見える辺りの、札をもう一枚捲ってみようというらしい。

 松尾の目にも、女に思える。少なくともあの隆々とした筋肉は失せ、白い肌がより白い。


「んん。古傷ずら」


 札の下に、大きな傷痕。褐色の百足を張りつけたように太くでこぼことして、終いを三叉に分けた。

 松尾は呆然と眼口を見開いたまま、動けなくなった。

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