第65話:鬼退治(一)
十日の過ぎた、夜が明けぬうち。頼光は屋敷の門前に立つ。
「いざ。鬼退治と参ろうぞ」
すぐ後ろに控えた松尾や、ほかの数人にだけ届く声。それでも突き上げた拳が、十分以上に意図を伝えたはず。
「気をつけてな」
四、五人をひと組とした者達が、次々と門を出ていく。
いずれも濃茶の法衣に房付きの袈裟。頭に八角の頭襟、手には錫杖。さらに自身の半身よりも大きな木箱を背負って。
「やっぱり、あんなでかい
何度も繰り返したはずの議論を、荒二郎が蒸し返す。そう言う自分も、まったく同じ出で立ちというのに。
「人が相手ならばな。人の装いの細かなことが、鬼に理解できるとは思えん。要は武士に見えねば良いのだ」
渡辺源次の言うとおり、「ぶしはころす」と茨木童子が執拗に繰り返したのを受けての変装だった。やはり何度も話したことだが、荒二郎は「うーん」と不満を顔に出す。
「うははっ、まさか鎧姿で鬼の城を捜せとは言うまい? 笈に納めておけるし、山伏とは松尾太郎の妙案だった」
「はあ」
頼光に褒められても、そこまで考えての発案ではなかった。なにか別の恰好をと言われ、最初に思いついたというだけで。
それ以前に松尾は、この鬼退治行に納得してもいない。
松尾の組を除いた最後の者達が出発し、すぐに頼光も門を出た。渡辺源次と荒二郎も続くが、松尾は持ち上げかけた足を戻す。
「足柄山に帰るか?」
頼光が行くのとは反対へ、金太郎の指が向く。遠く見通せぬあの山を、懐かしく思った。
すぐさま、ひと月やそこらでと自嘲もした。
「またにしよう。乙姫殿を助け出すには、ほかに方法もないし」
武士が貴族に成り代わるという件を、金太郎には残らず伝えた。強く鼻息を一つ、あとは「へえ」とだけだったが。
「生きてるとは思えんけど」
「悲しむのは、駄目だと決まってからでいい。今はどうやって救うか、それだけに備える」
「なら、迷うこたぁない」
にかっと歯を見せ、金太郎は歩き出す。笈の天井から突き出した、鉞の柄が踊る。
「そうだな」
腰の太刀を撫で、松尾も踏み出した。
頼光はもうかなり先を行き、片やこんなところで迷子では笑い話にもならない。救う方法どころか、まだ酒呑童子の居所も定かでないのだ。
それから二日、一行が着いたのは広大に田畑の広がる村だった。行く先を聞いてはいたものの「ここが?」と訊ねてみる。
「うむ、摂津国は
越えた山から向こうの山まで、平地のすべてが耕された土。合間にちらほらと建つ家は、どれも盃浦になかった板作り。
藁を束ね、薪を運び、村人は楽しげに畔道で話す。
「ほう、誰も儂に気づかん。良い変装と喜ぶべきか、寂しいと悲しむべきか」
「好きになされ」
渡辺源次にも突き放され、頼光は項垂れて歩いた。とは言え奥まった屋敷を前にすれば、「帰ったぞ」と朗らかさを取り戻す。
留守を任された家人も、一度に詰めかけて通路を塞ぐ有り様。
「お帰りなさいませ、お館様」
「出迎え、ご苦労。しかしお前達、儂の変装をよく見誤らなんだな」
「お館様ですから」
そうかそうか。ご機嫌の頼光に、金太郎は憚らず舌打ちを聞かせる。
「いつも妙な真似ばかりってことだろ」
「公時。正しくとも言わずが華というものが、世の中にはある」
渡辺源次の窘める声を、荒二郎など「へへへ」と笑う。家人でも最年長と見える者が「滅相もない」と色を変える中、頼光はむくれた顔を金太郎に向けた。
「お前の母君は、北の離れで気ままに過ごしていただいておるのだがな」
「ああ。そいつは結構」
「ふん、皮肉の通じん奴め。挨拶でもしてこい」
せっかくの勧めだ、松尾も「行ってくるといい」と背中を押す。けれども金太郎は「うんにゃ」と動かない。
「鬼退治の帰りならいいが。行きに寄っちゃあ、叱られちまう」
叱られるだろうか。断った金太郎の文句に、松尾は首を傾げた。余計な心配をかけると言うなら頷いたが。
「そうか。ならば全員で、神頼みにでも行くとしよう」
問う間もなく、頼光は荷を放り出す。忙しいことだが、待つだけの時間は持ちたくなかった。
連れられるまま、屋敷の脇から細い道を進む。山裾を少しばかり登る恰好だが、丸太を埋めた階段に落ち葉は少ない。
金太郎が頭を引っ掛けそうな鳥居をくぐると、ささやかながら小石もない境内。形を合わせ、およそまっすぐに繋がる踏み石に従うこと十数歩。
小ぢんまりとした社に頼光は手を合わせる。当然に、残る四人も。誰も、願いを声に出すことはなかった。
「さて」
頼光が言って、戻るのかと思いきや。おもむろに格子戸が開かれた。
入ろうと思えば、この場の全員でちょうどの広さ。幼いころ、町行きで泊まった仏堂を思い出す。
「神頼みとは、これのことだ」
「はあ。お祈りっちゅうことでねえだが?」
社に立ち入った頼光は、両手のそれぞれになにやら提げて戻った。荒二郎の言うように、神頼みが物とは意味が分からない。
「
常ながら平坦に、渡辺源次が代わって答えた。にやり笑った頼光は、たしかに白い大とっくりを床へ置いた。
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