第63話:四天王(七)

 夕餉の頃合い、松尾の部屋を叩く音がした。ただ、膳は既に目の前へある。


「金太郎か?」


 ほかに訪ねてくる心当たりがない。なにかよほどがあればという但し書きで、渡辺源次くらいだ。

 戸を開け、立っていた人物に発すべき言葉を迷う。先制を許したのは、まったく候補にもなかったために。


「都合がなけりゃ、腹ごなしに見廻りでも行くずら」


 ──驚いて、どう答えたかも曖昧になった。ともあれ応じたのは間違いなく、残っていた飯と魚と茶を掻き混ぜて喉へ流し込んだ。

 金太郎と三人、屋敷を出るのが随分と久しぶりに感じる。


「お前が誘うとか、どういうこった」


 さっそく朱雀大路へも届く前に、金太郎が咬みつく。「へっへっ」と先頭を行く荒二郎の顔は見えない。


「あたしにも、気紛れっちゅうのはあるがね」

「ないな。散歩に行くなら鬼の出ない時分、それで銭が貰えるなら丸儲けってのがお前だ」


 酷い言い草だが、松尾もそんなことはないとまで庇う気にはなれなかった。


「いや金太郎、私が怠けてたんだ。荒二郎殿、連れ出してくれて、ありがとうございます」

「なあに」


 東南の城門へ、荒二郎はおよそまっすぐ進んだ。怠ける前は、あちこち寄り道をしつつだったが。


「しかし茨木童子が居なくなっても、変わらず鬼は出るっちゅうて。困ったことずら」

「そうらしいですね」


 池田中納言邸でも、都の鬼が一掃されるような期待は聞こえた。けれども毎朝、頼光の屋敷へ戻る見廻仕だけでも、鬼との遭遇は絶えない。

 羅城門へ篝火と、見張りの兵が常駐するようになってもだ。


「で? 誘ったお前は手伝わないんだな」

「いやいや。人間、あんまり突飛なことするもんでねえずら」


 九条の通りを東へ。城門がすぐそことなって、金太郎は道端の遺体を持ち上げる。同じく松尾も抱えたが、荒次郎はあくびをするだけ。当人の言うように、いつものことだ。


「しかし何日かで、また増えてる」

「これだけ人が暮らしてりゃ、誰も死なない日なんてないからな」


 傾いた長屋の、この柱まで。たしかに目印にした位置より城門の側へ骸がある。

 いつ、どんな人が、どんな顔で運んでくるのだろう。ふつと沸きかけた胸を、深い呼吸で松尾は冷ました。


「ところで松尾太郎。一つ、訊いてみるずら」

「なんです?」


 夕餉の汁の具はなんだったか。そんな調子で、荒二郎は問うた。思えばいつも、一方的に過去を垂れ流すだけの男が。


「昼間、備前守となにを話したべが?」

「昼間は」


 荒二郎と会ったろうか。念のために思い返したが、もしかしてと疑う瞬間もなかった。

 すると外縁の間での会話を聞いていたことになる。隔てる物は明障子くらいで、盗み聞きでもないけれど。


「松尾太郎は死にに行きたいんが」

「──そんなはずないでしょう」

「そうが? 見たべ、酒呑童子の城を。こっちが何人で行きゃあ釣り合うんだか。あんなもん、死にに行くほかにどう言うずら」


 三、四歩の後ろから、好き勝手に言ってくれる。人ひとりの躯を抱え、松尾はなんと返すべきか。振り向くだけの言い分を、用意が間に合わなかった。


「乗り込もうって言ったのか」


 先頭の金太郎が言って「うん、そうだ」と。子供じみているのは承知で、援護を期待した。

 だが次の言葉も、重ねて松尾へ向けられる。


「なんのためにだ」

「なんのって。それが私達の、見廻仕の役目だろう」

「見廻仕の?」


 もとより低い金太郎の声が、地面を這いずる。

 意味するところに、はっと気づく。松尾は声も出せず、首を横に振った。


「茨木童子にやられっぱなしで腹が立つとかよ。鬼を根絶やしにするとかよ。松尾丸がそうしたいってなら、おらぁどこまでだって付きあってやる」


 金太郎が息を継げば、辺りに音はない。どこかで叫ぶ怒声は、遠く方向も知れず。


「自分のもんにするって決めたんなら、それでもいい。けど、違うだろ」


 乙姫を、とは言わなかった。事実、違いもする。松尾の「うん」は至極、弱々しい。


「おらは母ちゃんがひもじい思いしなけりゃ、なんでもいいんだ。向かってくる奴は容赦しねえけど、徹底的にとかはどっちでもいい」

「うん」

「松尾丸はどうなんだ。どうして攻め込もうってんだ。いい恰好して見せて、そうしなきゃって思い込もうとしてるだけだろ」


 答える必要はないだろう。違うと嘘を吐いて、信じる金太郎ではない。


「なんだか面白おもしれえ話してるべ。まあよく分かんねえけど、要はあたしが巻き込まれるような危ねえのは勘弁っちゅうことずら」


 途切れた会話に、荒二郎が蓋をかぶせた。

 まま鳥辺野の山門へ向かい、運んだ躯に手を合わせる。それも心あらずで、どう祈ったやら。

 荒二郎の「あらら?」と妙な声に金太郎が立ち止まり、松尾は鼻をぶつけた。


う」

「居なくなってるべ」

「誰が」


 松尾が喋れぬのとは関係なく、荒二郎の指がすっと動いた。


「あそこだったべ。鉄棍使いってのは」

「ああ、居ないな」


 さすがに無視できず、鼻を押さえながら視線を走らせた。たしかに鉄棍の男の躯がない。

 日ごと鳥や獣に啄かれてはいたが、頭骨や背骨まで綺麗になくなるのはおかしい。


「鬼に……」

「だべな」


 感慨という言葉を知っているか。荒二郎にそう問うても、ばちは当たらぬはずだ。が、関わりない者のことで責めては理不尽というもの。

 それより、もし出遭うことがあったら。


「会いたくないな」


 祈りつつ。松尾はこの日も次の日も、見廻りを再開した。

 茨木童子の件などなかったように、鬼は出る。相変わらず傍観の荒二郎と組んだままで、危機に陥ることもなかった。


 そうして五日が過ぎた朝。

 ちょうど頼光の屋敷を目の前にした松尾達に先んじて、慌ただしく小男が駆け込んでいく。


「池田中納言が使いにございます! 備前守に今すぐのご用をお願い申す!」

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