第62話:四天王(六)

 * * *


 頼光の屋敷の、外縁を突き当たる。引き戸を抜けた先へ、桃と桜の園があった。

 あいにく、花の時期でない。それでも昼下がりの青空を背景に、健やかに延びた枝ぶりを美しいと松尾は思う。


 まばらに十数本の林の奥。明るい茶の柱が、陽光で白く見えた。世間話でもと頼まれた、頼光の先祖を祀る廟が今日も清々しい。

 言われたその日から、挨拶をした。

 しかし今日は。いや三日前から、いつもは開け放ったままの格子板が、固く閉じられている。


 松尾はためらうことなく、格子板を開いた。少しばかり、淀んだ空気の漏れ出るような感覚に眉を顰める。

 埃の一つもないほど掃除されているのは、世話係の少年の手柄だ。塩と米と酒の備えられた祭壇が、一分の隙もなく左右対称に整っているのも。


 祭壇に手を合わせ、失礼を詫びてから視線を逸らす。

 対面の隅、柱へ縛りつけられたものがある。紙垂しで付きの縄と、厄封じの札とで。

 あり得ぬことだが、それ・・は今も動いていた。当たり前のように五本の指が、さらには隆々としたあらゆる筋肉が。


 白い肌に青々とした、茨木童子の右腕。這いずってでも、どこかへ行こうというらしい。

 どこへ。

 斬り落とされた、茨木童子の肉体の下へに決まっている。そして同時に、酒呑童子のところへ。

 と。松尾には、ほかにあり得ぬとしか思えなかった。

 

「執心だな」


 誰か。おそらく頼光が、数歩の後ろを着いてくるのには気づいていた。どの時点からかは分からないが。


「お戻りでしたか」

「驚かせようとしても、お前達の誰も引っかからん。腕の立つのはいいが、これはつまらんな」


 ことさら平静にしたつもりもないが、頼光はむくれて見せる。

 松尾が金太郎なら、驚かせ方が下手なのだと文句を言っただろう。渡辺源次なら、次に驚く時にはどの程度がいいかと注文を承った。


「すみません、気が利かないもので」

「ええい。謝られては、儂がわらしのようではないか」


 憤った口調で、頼光は笑う。するとこれで正解だったのか、ということはないはずだ。

 幾らか考えたが、さらにうまい返しは思いつかない。ゆえに、掻いた頭を少し下げる。


「童子退治は、まだでしょうか」


 ひと呼吸を置き、訊ねる。童子の腕を眺めていては、言いわけの必要がない。


「期とみるや、直に急所を狙うか。小鬼相手には良いが、大鬼であったらどうかな」

「私の実力では論ずる資格がない、ということですか」

「自分ではどう思う」


 変わらず頼光は、にやにやと冗談めかす。


「──分かりません。たしかに羅城門で亡くなった方は多く、私は生き残りました。でもそれは、実力だけの問題ではないはずです」

「まあな」

「ですが少なくとも、足手まといでないとも思います」


 頼光の手が、首や頬を掻き毟る。「うぅーん」と気に入らぬ風に唸りつつ。


「自分の順序は分からんが、最低限の腕はある。虫のいい評価だな」


 また苦笑で言ったのは、せめても温情だったに違いない。が、松尾に次の言葉を失わせるには十分な威力を持った。

 代わりを探すのに、四度も五度も息を呑み込む。


「誠実なつもりでした」

「うん、松尾太郎はそういう男だ。人として好ましくはあるが、戦う者として危うい」


 足下から、冷水に沈む心地がした。寒々として、顔だけは羞恥で熱い。


「まあ特別に言ってやるなら、実力を不足とはしておらんよ」

「では」

「酒呑童子と対面に行かぬのにも理由がある」


 ぴしゃりと、目の前で戸を塞がれたようだった。実際はただ、頼光の背が遠ざかっていく。しかし諦めず、松尾は追った。


 母屋の外縁を、いつものごとく。途中、世話係の少年に茶を頼みもした。頼光は常がそうであるように、なにが楽しいのか問いたくなる朗らかさでいつもの部屋に腰を下ろす。


「羅城門と同じですか。危ういと知れている場所へ立ち入るには、人数が必要と」


 多くの被害が明白で、きっと所在も分かる。それなら再び、頼光の手腕で人数を揃えることは可能。

 もちろん容易いとは言えない。人任せにするなと言われれば、ぐうの音も出ない。だが都に住む誰しも、思いは同じと松尾は信じた。


「いや? むしろ逆だ。酒呑童子を退治の折には、ほかの武家を関わらせたくない」

「それは……」


 なぜ。どう考えても、合理的な理由に辿り着けなかった。酒呑童子と、集った無数の鬼の姿は渡辺源次が伝えているはず。


「分からんか? まあ分かったとして、その時には間がある。ゆるりと考えてみよ」


 茶が運ばれ、飲み干す段になっても。遂に頼光から真意を聞くことはなかった。

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