第60話:四天王(四)
「では、今宵はこれにて。浦辺さまもわたくしも、なにも見なかったし会わなかった。で、ございますね」
「あ、ええ」
返答を待つ沈黙が少し。しかし挟んで聞こえたのは、頼んだという言葉ではなかった。小さく頭を下げ、乙姫は向こうの建物へ去っていく。
今ので任されたということだろうか。いや、きっと違う。まあ期待されずとも、勝手に果たすのは構うまい。
十分以上に気分も換わった。元の方向へ足を動かすと、大きな影が立ちはだかる。
「金太郎」
「その気になったのか」
「馬鹿を言うな。聞いていたのか?」
「必ず鬼を倒すってところだけだ」
「それなら、逢引でないのは分かるだろう」
巨漢が「ん?」と首を傾げ、すぐに「さあな」と意地悪げに笑った。
「好きに言え。それより、なにかあったのか」
「鬼退治の立役者が、どこへ行ったってな。探しに来た」
「人の相手をするのに逃げてきた、の間違いではないのか」
「わはは。備前守が呼んでるのは本当だ」
了解を言うより先に、金太郎は歩き始める。抗う理由もなく、当然に松尾もついて進んだ。
「貴族の姫と身分違いとは、どういう相手だろう」
幼少から七年も連れ添った金太郎に、いつもの他愛ない世間話をしたつもりだった。いつものつもりで、ふと思いついたことをそのまま言った。
だが金太郎は、急激に動きを止める。ぶつかりこそしなかったが、半歩の半分の距離で松尾は止まった。
「本気なんだな?」
振り返りざま、金太郎の首がそこらじゅうへ向けられる。最後に松尾を睨みつけ、あわや接吻の恰好で問われた。
「本気? ──あっ、いや違う、私ではない。乙姫殿のことでもない」
「ごまかすな。松尾丸がこうしたいって言えば、どんなことだって手伝ってやる」
潜めて言いながらも、辺りを警戒する気配がやまなかった。見廻りの時、鬼を前にしてもな感じたことのない緊張感が迸る。
「い、いや本当に。金太郎がそんなに言ってくれるのはありがたいが、本当に嘘ではない」
「どっちだ」
「私のことではない」
じっと頭蓋の奥底まで見通すように睨まれ、やがて金太郎は「なんだ、つまらん」と鼻を噴いた。
「身分違いってなら、おら達だろ。あとは街の、職人どもとか」
「うん、そう思う。じゃあ備前守は」
「うーん? 一国を預けられてるんだ、身分違いとは言わないだろ」
備前に縁と言われて、直ちに思い浮かんだ。けれどもすぐそこへ居る者を、しかも話す松尾の主を、そんな風に表すのか。
おそらく違うと考えていたものが、間違いなく違うに変わった。
──宴の席へ戻ると、幾人か数が減って見えた。誰もが元の位置へは座っておらず、勘違いかもしれないが。
「おお松尾太郎、どこへ雲隠れしておった。童子退治の功労者が見えぬでは、儂が困るではないか」
苦言であっても、いたく愉快げに。頼光が手を振って、ここへ来いと示す。
「退治と言われても。斬ったのは源次殿ですし」
退治してはいない。という部分は、池田中納言邸へ入る前に呑み込むことと決めていた。頼光の立場を落としてまで言っても、詮ないことだ。
「細かいことを言うな。世間の方々は、お前達を頼光の四天王と褒めてくださっておる。頭が源次である以上、源次の手柄はお前達の手柄。お前達の手柄は源次の手柄よ」
「はあ、なるほど」
分かるような、分からぬような。ともあれ言われるまま腰を下ろせば、今度は宴席の奥から豪快な笑い声。
「はっはっは、いやさすが備前守。主の下にあって、従たる者は斯くあれかし」
「お恥ずかしいことで」
頼光が
「さてこうなると、次は酒呑童子よな。浦辺だったか、お前はどう思う?」
「しゅ、酒呑童子ですか」
自分へ向く予想はしていなかった。松尾は慌てて頼光の姿勢を真似て、「それは」と答えようとした。が、視界の端の渡辺源次が言うなと首を振っている。
「畏れながら中納言。酒呑童子に至っては、いまだ一度たりと所在を掴んだ者もなし。さすがの浦辺松尾太郎と言えど、居らぬ者を斬ること叶いませぬ」
「うむ、まこと惜しい。羅城門を浄めんと言ってくれたおかげで、帝におかれては吾にお褒めの言葉を賜った」
代わって頼光が、まるで用意していたようにすらすらと答えた。
収まりきらぬ笑いを振り散らかし、中納言は手にした盃を空にする。
「ゆえに、酒呑童子を討つにも助力は惜しまぬ。備前守、なにごとも吾を頼れよ」
「は。ありがたきことで」
控えた女が酒を注ぎ、またそれも空にする。上機嫌にもこの上ない池田中納言は、頼光以下の五人に金目鯛の干物を振る舞った。
次の日。中天には届かぬ頃合いに、世話係の少年が松尾を訪ねた。酒を飲んだ上に遅く帰り、寝ぼけ眼もいいところを。
「池田中納言邸のご使者が?」
「はあ。なんでも忘れ物を預かっているから、取りに来いと」
「忘れ物?」
心当たりがない。身一つでやってきた松尾に、忘れ物のしようがなかった。肌身から離せると言えば太刀と脇差しだが、もちろんそれもしかとある。
だが聞けば、使者は戻ってしまったと。ならば行かぬ選択はなく、隣の戸を叩いた。
「なんだぁ?」
「どうも中納言のところへ忘れ物をしたらしい」
「なにを」
「いや、なにも忘れていないんだが」
どういうことだろう。問うたのに金太郎は、「行ってこい」としか答えなかった。
「源次殿には、おらが言っとく。昼が過ぎちまうから、早く行け」
「昼が?」
時分がどうしたかも教えてくれず、金太郎に追い出された。伴連れてもくれぬらしい。
仕方なく、一人歩く。行って、忘れ物とやらを受け取れば済む話だ。
昼と言えば、過ぎれば頼光も帰ってくるかもしれない。やはり待って、同行してもらうほうが良いだろうか。
悩む間に、二条の西端へ近い中納言邸へ着く。
ままよ。門を守る小男に、浦辺松尾太郎を名乗った。
「池田中納言はいらっしゃるでしょうか」
「いやお館様は、まだ内裏より戻られませぬ。けれどもご用は承知しておりますゆえ、どうぞ中へ」
中納言は居ない。
考えてみれば、考えるまでもなく、当然だった。頼光が昼過ぎに戻るのは、内裏の貴族達が昼までで勤めを終えるからだ。
それでも小男は、用が足ると言う。鬼に対するのとはまったく違っておそるおそる、松尾は案内に従った。
「こちらでお待ちを」
「はあ、どうも」
ゆうべの母屋を行き過ぎ、乙姫と話した渡りの廊下をも過ぎた。別棟の最初の部屋は、軽く駆け足のできるくらいには広い。
なにをしに来たかも判然とせず、一人待つのは尻の具合が良くない。幸い、下ろされていた
「呼び立てて申しわけありません」
「お、乙姫殿」
「はい。人を払っておりますので、どうぞお楽に」
御簾越しに聞こえた声に驚き、松尾は辺りをぐるぐると見回した。なにやら良からぬことをしでかした心地で、尻の座りをますます悪くしつつ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます