第58話:四天王(二)

 まだ陽のあるうち。頼光に連れられ、赴いた池田中納言邸には十数人が待ち受けた。

 ほとんどが強装束を着た男ばかり。年代は四十を超える者から、松尾より歳下に見える者まで。


「これは。身分いやしき我々が遅参とは、面目もない」

「良い、そうなるよう吾が計らった。なにせ悪名高き、茨木童子を討伐せしめたのだからな」

「勿体ないことで」


 恐縮する頼光を先頭に、招き入れられる。松尾の後ろから「なんだ見せ物か」と、よく知る巨漢の声がした。


 各々、腰を落ち着けるとすぐに酒が振る舞われた。

 松尾の父のどぶろくと異なる、透明に澄んだものだ。含むと喉に引っ掛かり、あまり得意でなかった。


「御名を訊いてもよろしいか」


 盃に口をつけるだけで、膳に置く。するとそこへ継ぎ足そうとする、誰かの手。


「あ、飲みます」

「おお。さすが四天王してんのう殿は飲みっぷりがいい」


 慌てて空ける中、耳に馴染まぬ言葉。言ったのは、おそらくこの場で最年少の男。

 腰に佩いた朱塗りの鞘に金蒔きんまきが施され、瓶子へいしを傾ける細腕と釣り合わない。


「松尾太郎です。浦辺、松尾太郎」

「ほう。もっと荒々しい、寅だの龍だのを想像していたが。なんとも、のどかなことよ」

「はあ」


 朱塗りの男も名乗り、大納言家の二番目と言った。まだ二、三杯のはずだが、やたら愉しげに。


「ああ、乙姫殿の婚姻の相手という」

「いやそれは内大臣家だ。ほれ、備前守と話しておる」


 指されるまま見れば、たしかに頼光の前へ十七、八の男が居る。やはり太刀は飾り物に感じたが、睨むことなど縁のなさそうな、優しげな眼差しが好ましい。

 朱塗りの男は、内大臣家の優男を横目に睨める。だけでは済まず、嘲笑うように鼻息を噴かした。


「どう取り入ったやら。あれが居なければ、乙姫殿は儂のものだったというに」

「はあ、それはその」


 どう答えて良いか、松尾には経験の疎い話し相手だ。幸いその当人が、「まあ良い」と切り替えてくれる。


「今を時めく四天王と、最初に話したのは儂だ。そう言って心寄せぬ女などおらん」


 含み笑いを隠しもしない朱塗りの男を、松尾は呆然と見守るしかできなかった。色々と、この男の話は意味が分からない。


「ん、どうされた?」

「いや、その。先ほどからの四天王とはなんでしょう」


 首を捻る松尾に、朱塗りの男も首を捻った。互いに「んん?」と唸り、鼻先へ指が突きつけられた。


「お前達だ。今ここへ、備前守の連れた四人。茨木童子を討伐せしめた剛の者。しかし渡辺源次のほかは誰も知らん。ゆえに池田中納言が、この場を設けたのだ」

「わ、私が?」


 渡辺源次と金太郎と、荒二郎。松尾を加えて四人、落僧をさておけば茨木童子と相対した面子。

 討伐と言われたのも気になるが、これは聞き流せと言い含められていた。


「これは面白い。誰が言い出したか知らぬが、仏法守護神の四天王になぞらえてのこと。都じゅう知らぬ者などないはずだが、本当に知らんのか」

「ええ。まったく」


 三日も閉じ籠もっていたせいか。ちらと隣を盗み見ると、金太郎が最後に残した甘鯛の干物を咥えるところ。

 瓶子片手の女が二人付くが、会話のかの字も感じない。


「ふっ、ぐふふっ。その慎ましき物腰が、逆に良いのかもしれぬな。見憶えておくとしよう」

「そうですね。乙姫殿も、内大臣家の方で良かった」


 含みすぎの含み笑いが、松尾の口を滑らせた。


「ん、どういう意味だ?」

「あ、ええと。つ、慎ましそうなので。内大臣家の、あの方が」

「うん、よく分かったな。まあ儂に言わせれば、あれは頼りないというだけだが。婚姻が決まったなら、さっさと夫婦になれば良いものを。鬼に拐われても知らぬぞ」


 その点、松尾なら問題あるまい。そう付け加え、朱塗りの男は酒を注ぐ。松尾にも、自分にも。


「鬼に?」

「なんだ、四天王殿はなにも知らぬのか。もう何年も、婚姻の決まった貴族の子女が、姿を消し続けておる」

「婚姻の。となると、貴族の子というだけで元服はしていると」


 然り。鼻で笑われたが、それはどうでも良かった。子女が拐われるという件を、松尾は誤って考えていた。


「羅城門の階段を上ったところに五、六歳や、もっと幼い子らの躯がたくさん──。子女が拐われるとはそのことで、茨木童子のせいとばかり」


 既に亡くなった子らには、間に合わなかったのを謝るしかない。

 けれどもう、同じことは起きない。茨木童子を取り逃がしても、それだけは信じてほっとしていた。


「羅城門の? ああ、聞いたことがある。あれは賓客を招いた折に使った門ゆえに、幼くして死んだ者を楼の高いところへ置けば、次は貴族に生まれ変われるとか」

「ではそもそも、鬼のせいではない」


 貴族に生まれ変わる、まじないの真似事。となれば貧しくして飢えや病に斃れた子供。


「うむ、四天王殿も見たのだろう。どこもかしこも家も持たぬ貧しい者の巣だ。用済みとなって久しい、あんな門になにを夢見ているのか」


 やれやれと思わせぶりなため息。その埋め合わせの勢いで盃を呷る、朱塗りの男。


「しかしさすがは帝だ。大禍の祓われたことだし、徹底的に綺麗にされるそうだ」

「それは、結構なことで」


 ──僕はなにも救ってない。

 せめて仇討ちくらいになっていれば良かったのに。これでは掃除を願った意味など、なかったとさえ思える。

 いや、あった。あってくれねば困る。

 いったいなにが?

 あてどなく答えを捜す松尾に、朱塗りの男の声は届かない。


「ところで松太郎・・・殿。儂の太刀をどう思う? 名匠に作らせたのだが」


 もはや騒音としか聞こえず、席を立った。酒に当てられたようだ、と。三杯目も飲みきらぬ盃を置いて。

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