第三幕 莫逆の友
第57話:四天王(一)
「三日、寝込んだそうだな。加減はどうだ?」
いつもの外縁の間に頼光と向かい合った。脇へは渡辺源次、松尾の隣には誰もない。
「寝込んだ。私が?」
「うははっ、源次からはそう聞いたのだがな。まあ、こういう時は合わせて、腹か頭でも痛いと言っておけば良い。丸く収めるのも必要よ」
笑い飛ばされてようやく。部屋へ篭もっていたことに、言いわけを付けられていたと気づいた。
松尾は深く、頭を下げる。
「すみません」
「良い良い。必要となれば綱で括ってでも連れていくが、今は良い。身体も心も、己で機嫌をとれるのが優れた者の証だ」
軽薄なまでの哄笑に、頭を下げ直す。身体と心の両方と言うなら、松尾は優れた者でなかった。
「で? 自ら
天岩戸とはなんだろう。けれど、頼光が
「そんなことは。むしろ私が、こうして話していてもなにを問うべきか迷っている有り様で」
「なんだ、容易いではないか」
主と相対してから、なんの用件か自分でも分からない。などと、松尾が反対の立場なら困り果てる。
それを頼光は、より軽くけらけらと笑った。
「はっ?」
「なにを問うか。つまり分からんこと、呑み込めぬことがある。それがうまく言葉にならん、ということだ」
「はあ、まあ」
言うとおりだ。しかしだからこそ、どうしたものか困っている。
「儂を誰と心得る。大内裏の
「け、けん──?」
学問をしない松尾に、難しい言葉は聞き取るのも難しい。
大切な話だったろうか。あせる目に、頼光はにやり笑う。
「問おう。豆腐は何色をしているか」
聞き違えたか。頼光の口から、豆腐と聞こえた気がした。この場にふさわしい、似た言葉も見つからない。
「と、豆腐と? それはおよそ白いと思いますが、なにか関係が」
もし、頼光の得意とする冗談の類なら。そんなもので和みはしない。あれからずっと、視界に坊主頭がちらつくのだ。
「うん。ない」
「ない……」
「ないが、松尾太郎。それどころではない、と腹を立てたな? と同時に誰か、あるいはなにかの物が思い浮かんだろう」
たしかに
「お前の困りごとが、結果としてなにかはまだ分からんが。最も深く関わるのは、きっとそれだ」
そうだろうか。最も、と注釈まで付けられては安易に頷けない。
深く関わるのを否定もできないが。言うなら茨木童子も酒呑童子も、最初に見た幼い子供達だけの部屋も。
寝ても覚めても纏わりつく光景を、挙げれば多すぎる。
「信じられずとも、まあ口に出してみよ。千里も一歩よりと言う」
「それは、落僧殿が」
出した名を、「ふむ」と。頼光は含んだ茶と共に咀嚼した。
「果てしなく天井と床だけの場所だったか。源次より先に、あの男とお前が居たのだったな」
「正確には、落僧殿が先に。私が行った時には、もう満身創痍で」
「なるほど。その後、戦いぶりも見たのだろう? どうだった」
あらためて問われると、なんとも答えにくい。ざっくり、ひと言でなら簡単だったが。
「強かったです」
「ほう、松尾太郎よりもか」
「はい」
「源次より」
「いえ、それはなんとも」
腕前の話なら、考える余地なく渡辺源次に軍配を上げる。だが現実の、茨木童子を前にしては決め難い。
「同等と?」
「それはありません。ですがあれは──なんでしょう、命の乗らない軽い刃でした」
「うん、興味深い」
少し笑んで前のめりに、頼光は頷く。その表情はあからさまに、早く続きをと訴える。
「なんと言えばいいか。その、例えば私なら、茨木童子を恐ろしいと思いました。単に大きさだけを見ても、鋭い爪や風を唸らせる腕も足も」
「恐ろしいな。だからと竦んでいては、太刀を捨てるしかないが。相手が儂だとして、斬られれば死ぬのは同じこと」
もちろんだ。大きく首肯を返し、言葉を捜す。
「斬られること、死ぬことは恐れません。あ、いや、斬られたくはないですが。痛いですし、負けてしまいます」
言いながら、松尾は自分の脚を殴りつけた。「なにを当たり前を」と。対して頼光も「当たり前だな」と小さく噴き出す。
「当たり前がゆえに、考えねばならんことだ。最善の一手とは、ただ相手を斬れば良いものでない。斬られぬよう、即ち負けぬように斬り、また次を考える」
「そうです。勝つことが目的で、必ずしも一振りで決める必要はない。ですが落僧殿の刃は勝ち負けなど関係なく、その場に命を放り投げる」
浄穏寺の件で、死にたがる心情は想像できた。悲しいことだが、既に亡くした者をどうもできない。
だとしたら、自分はなにに拘っているのか。凝り固まった思考を声として吐き出し、松尾は問いたいことを一つ見つけた。
「あの性分を知っていたのですか。備前守が、どうしてもと誘ったように聞きましたが」
「うぅむ、源次を向かわせた時には知らなんだ。しかし戻って、お前の言うようなことは聞いた」
記憶を手繰る素振りの頼光に、渡辺源次も頷いて示す。そうだ、と松尾も思い出す。
切れすぎるほど腕はいいが、関わるな。落僧がやってきてすぐ、たしかに言われた。
「ではなぜ。割れると決まっている薄い刃を、なぜ割れるまで」
「割れよ、と命じてはおらんよ。あの男に与えた待遇は、松尾太郎と同じだ」
茨木童子に。いや羅城門へ行けとは、割れよと命じたに等しい。違うのならどう違うのか、「しかし」に続いて問おうとした。
「松尾太郎!」
松尾は、間近へ雷が落ちたと感じた。実際、眩んだ目をしばたたかせた。
すぐに戻った光景の、どこも焼け焦げてはいないけれども。強いて言うなら渡辺源次の眼に、いまだ雷光が残っていた。
「松尾太郎」
再び呼ぶのは頼光。
「儂は武家として、服ろわぬ者を誅さねばならん。その手段が源次であり、松尾太郎だ。もし、この場で付きあいきれぬと言うなら、引き止めはせん。だがやると言うなら、お前は儂の太刀だ」
常に増して穏やかに、反して表情に緩みの欠片もなかった。
「己の刃が厚いか薄いか、見極めるなら今ということですか」
念押しに問い返したものの、理解していた。落僧についても、どう答えるかも。
だから頼光が首を動かした途端、縦か横かも見極めずに言った。
「私の刃で斬れるのは、人でないもののみ。太刀としての我儘はそれだけです」
「うん、聞いている」
ふっと笑う頼光が、どんな感情でいるのか。本当に分からないのはそこのところかも、と松尾は思う。
だから。ではないが頭を下げず、じっと主の顔を見つめる。
「おお、そうだ話は替わるが。今宵、池田中納言にお誘いいただいておる。松尾太郎も指名でな」
「は、私を?」
「うむ。これも太刀の役目よ」
僅か前の武士の顔をどこへ放り投げたか。頼光は愉しげに、茶のお代わりを声にした。
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